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【相棒】(二次小説) 深淵の月

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深淵の月





  「…あ。」

 誰ともなく呟いた。ざわついた食堂の人声がさあっとさざなみのように静まってゆく。入室してきたたった二人の人物が警察官たちの視線を一気に奪ってしまった。
 男はプラチナグレイのスーツに銀縁の眼鏡。ポケットチーフが目に鮮やかだ。しかし決してそれが洒落者と映らないのは彼の持つ自戒の雰囲気だろう。大河内春樹。言わずと知れた警視庁首席監察官だ。
 女性は恐ろしい程に整った容貌をしていた。それにふさわしい見事なプロポーション。コーラのボトルを体現したような現実とは思えない体を漆黒のコーディネートで包み、スリムのパンツに肩を出したデザインのシャツで見る者の目をはっと惹き付ける。さらさらの髪も漆黒のまま肩口で切り揃えられ、そのトータルバランスが食堂に居る警官たちの言葉を失わせていた。
  「あれ、けっこう空いてるんだ。春樹くん、どこに座る?」
  「どこでもいいぞ。」
  「じゃあやっぱ窓際がいいな。お天気いいもの。」
ニコ、と長身の男に笑いかける。二人笑い合いながら陽当たりも眺めもいい席に就く。隣の島と前後の島に座っていた職員の体が一斉にこわばった。
 この女性、凄まじい美人だが同時にとても幼かった。向かい合わせで座る大河内監察官に比べれば、だが。まだ十代のあどけなさが残る笑顔と話し方、人懐っこい態度と雰囲気。あんまりにも整った美形なのにツンとした嫌味がないのはそのせいだ。纏った空気の明るさと若さが大河内のしかめっ面までも柔らかくしている。
  「それにしてもまさかまた重箱で持って来るとは思わなかった。」
  「えー?だって直轄さん達気の毒なんだもん、こないだ来た時もお昼食べ損なう所だって言ってたよ?春樹くんもお昼あんまりマトモなもの食べてないって聞いたし。」
  「ああ、あいつらも喜んでいた。ありがとう。しかし手間だろう?無理はしないでくれ、怜。」
  「無理じゃないよ、ずっと十五人分も作ってたんだよ?五人や六人は却って減らす加減がわかんなくなる。」
そういう意味では手間かもと肝っ玉母さんのようにクスクス笑った。敵わないな、と大河内は重から煮物をつまんだ。
  「うん、美味しい。」
  「ありがと。」
作った甲斐があるわとにっこり笑う。桐生院怜。二十歳になったばかりの大学生だ。

 この怜と大河内が出会ったのは八年も前だ。まだ十二の小学生だった怜と警視庁キャリア官僚の大河内が何をもって出会ったか、それは不可思議な縁と運命による。「桐生院」という「家」にまつわる忌まわしい事実が二人を引き寄せたのは事実だ。だがそれは二次的な繋がりに過ぎず、怜と大河内は出会って僅か七日で強固な絆を作り上げていた。
 その七日間以降、二人は全く接触を持たなかった。自分が大河内の側にいる事は現状では無理だと気付いた怜が自らを変えるため別の世界へと飛び込んだからだ。警察官、しかも警官を取り締まる警官という立場の大河内は普通のキャリア官僚とは一線を画している。自分自身の「自助と自己責任」に自信が持てても怜は二十歳を過ぎるまで大河内に会いに来ようとはしなかった。それを彼が知るのは遥か後になるのだが。
 八年前と同じ思慕と純粋さを携えて今怜は大河内の側にいる。それを本当に嬉しく、また面映ゆく思う自分を感じて大河内の心はほどけてゆく。怜の笑顔がまた花開いていた。
  「大学は大丈夫なのか?」
  「うん、今日は午後のひとマスだけだから。」
  「そうじゃなくて…」
  「ん?」
自分で握ったおむすびをぱくりと頬ばり大河内を見やればほんの少しのしかめ面。
  「ああ。全然大丈夫よ春樹くん、問題ないわ。課題もレポートもちゃんと出してるし。」
  「講義を受けて私の夕食を作り朝食の仕込みをして朝弁当を八人分作ってもか?」
胡乱な顔で卵焼きをぱくりと食べた大河内に、怜はあははと笑った。
  「朝食十五人分作って学校行って買い物して掃除して洗濯して道場でしごかれて夕食やっぱり十五人分作って宿題やって、」
この時点で大河内の目は見開いていたのだが怜の言葉は更に続く。
  「週三で部活やって武術の大会で優勝出来なきゃ“軍規合宿”入っておばんざいの師匠にきりきり絞られて合間に師匠からお茶と三味線仕込まれて。」
怜はずず、と食堂の味噌汁をすすり更に続ける、
  「…ってゆー生活五年続けて次の年は受験勉強加わって、見事一発合格してってゆー毎日だったんだけど。」
椀を置いてにっこり微笑む。
  「八人分のおべんとくらい大した事ないと思わない?」
  「…………」
額に手を置き大河内が沈む。聞いているだけでどっと疲労が溜る。まさかそんな毎日だったとは思いもしなかった大河内は胸に手をあてすいと逆の手を上げた。
  「…わかった。悪かった、怜…」
  「あは、別に謝らなくても。」
ニコ、と笑う顔がはつらつとしている。八年前の線の細い、病弱な少女はそこにはいなかった。心身共に鍛えられ健康になった大人の女性だった。
  『元気になりすぎた気もするが…』
大河内は内心、苦笑してしまったのだった。

  「春樹くん、今日は早いの?食べられそうだったら何か作っておくよ?」
 怜がさりげなく進言してくれる。警察機構の上層部に足をかけ始めた大河内は同じく上層部の人間と会食の機会が増えた。旨くもなく楽しくもない時間だが組織に身を置く以上仕方ない。その合間に怜が夕食を作ってくれるようになった。
  「ああ、今日は早く上がる。午後に聴取が一件あるだけだからな。」
怜がちょっと驚いた顔をした。なにぶん部外者の怜に大河内が仕事の内容や予定を話した事は一切ない。え、聞いちゃったけど良かったのかな?と困っている表情に大河内は笑って言った。
  「君も知っている男だ。本当なら一週間前に聴取している筈だったんだが。」
  「あ゛。」
にやりと笑って怜を見る。あー、とさすがにバツの悪い顔で笑い、怜は右斜め上を眺めていた。
  『その視線は虚偽申告の内容を考えている人間特有のものだ怜。』
教えてやろうかというくらいわかりやすい視線。あははと手を振り結局怜は笑ってごまかす事にしたらしい。
  「あ、あはは、えっとー、それはまあ、不可抗力っていうかぁ、正当防衛っていうかぁ。傷害事件を未然に防いだわけだしぃ…」
  「何を言っている、キレたんだろう?」
  「う。」
事実そうだった。あの場で怜は大河内にさらりと言ったのだ、“ちょっとキレちゃった”、と。分が悪くなって怜はむきになった。
  「だって刃物持って首席監察官室に入る所だったんだよ?」
  「そうだな。」
別に責めているわけじゃない、と大河内は優しく笑った。
  「ただ錯乱がひどくて聴取にならなかったのは困った。」
  「あう。」
結局怒ってるんじゃないかー、と怜はすねる。
  「怒ってるんじゃない。」
  「嘘。怒ってるよ。」
  「心配してるんだ。」
  「…。」
あの日、刃物を持った監察官聴取の対象警官は正気ではなかった。その正気をなくした相手に怜は立ち向かったのだ。怜は強かった。確かに強かったのだが、それでも大河内の中の怜はまだ幼い少女のままだった。それをわかっている怜は静かに告げた。