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【相棒】(二次小説) 深淵の月・兄貴の条件

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  「怒ってないよ。」
  「!!」
弾かれた。怜を見た男は泣いているのに気付けなかった。
  「心配してんだよ。逆だよ。ずっとあなたの袖を引っ張って止めようとしてたのに、あなたは聞いてくれなかったよね。」
  「嘘だろ…怒ってるに決まってんだろ…!」
  「怒ってない。謝ってる。あなたも怪我したでしょ?」
思わず右肘を触ろうとした。がちゃんと黒いチタンが鳴いた。怜がそこを見やる。かぎ裂きの醜い引き攣れた痕がちらりと見えた。
  「…あ、やっと言う事聞いてくれたのは、彼女にアタックした時だって?」
ぷぷ、と怜が笑った。カアッと赤くなった男の顔が実に幼い。あははと笑って怜はひとり何かにウケていた。
  「な、なんだよ!」
  「いや、ごめ、えっと、うん、とにかく、全部話してよ。あの人達は大丈夫。十四の時の巡査とは違うわ。」
  「そんな事…どうしてお前はそんな風にきっぱり言えるんだよ。」
  「あなたの担当が伊丹さんだからよ。」
くい、と親指で長身の男を指す。先刻自分が暴れて頬を切った男だ。
  「あの人だから言えるの。安心して。」
  「あいつだったら大丈夫って、なんでなんだよ。」
  「あの人は嘘をつかないから。」
男の瞳が見開いた。まっすぐ見つめてくる怜の瞳は澄んでいて、それ自体に嘘がなかった。
  「あの伊丹さんだけじゃなくてこの芹沢さんも、あっちの三浦さんもね。あなたこのトリオが自分の担当なのを感謝しなさい。」
  「…。」
とてつもない信頼だった。男はそんな問答無用の信頼に縁がなかった。だから無意識に訊ねていた。
  「あいつ…いや、あの人、なんなんだ。あんたのなんなんだよ。兄貴なのか?」
  「ん、私とは赤の他人。」
  「っておい!兄ちゃんって言ったよな!?」
  「うん、理想のお兄ちゃん。」
ニコ、と笑ってケロッと言った。
  「まさかホントにいるとは思わなかった、理想のね。」
ふふ、と笑う怜にはどこか得体の知れない底深さがある。さっき垣間見たあの殺気、その先の闇という言葉では足りないような昏い暗いどこか。そこを常に覗きこまなければならない業のようなもの、男は怜をそんな風に感じた。長年の極道の勘だった。
  「それに、捜査一課だけでなくこの事件、別の人達も動いてるから。」
  「は?」
きょとんとした男にイタズラっぽく笑って怜は言った。
  「正義の塊、正義のためなら法も曲げる、みたいな。審判の女神の使いのような、凄い方がね。あなたと真実の為に動いてるから、今。」
安心して。
 にっこり笑って怜はぽんと男の右肘を叩いた。ずっと痛かったその肘の古傷が、すうっと重みをなくしていったように男には思えた。
  「あ、それから。」
はた、と思い出したように怜が続けた。
  「聴取が終わって、あなた多分軽い罪で刑務所入ることになるから。」
  「はァ!?」
  「覚えはあんでしょ?イヤってほど。」
  「う…。」
ぐ、と詰まってバツの悪そうな顔をする。怜は笑ってすいと近付いた。
  「拘置所に移ったらね。面会に来た彼女に“ありがとう”って言ってごらんなさい。」
  「…。」
耳元で告げられた言葉にきょとんとして男は怜を見つめる。怜は深い微笑みで男を見つめていた。
  「あなた、彼女に謝ってはいるのよね。何度もゴメンって。けど、今まで一度もありがとうって言った事ないでしょ。」
  「…そう…かな。」
  「そう。言った事ないの。」
  「…。」
そうかもしれない。男は自身を省みてそう思った。
  「言ってどうすんだよ。」
  「なんでそんなに身構えんのよ。」
苦笑した怜に口を尖らせた。
  「だってよ…そんなん、みっともねえ。」
  「ぶ!ちゃんとお礼も言えない大人の方がみっともないわよ!そんなくっだらない事言ってるとこやっぱり極道よねー!」
からからと明るく笑いながら付け加える。
  「ああそうそう、刑務所入ったら離脱指導受けて。組辞めなさいねアナタ。」
  「そ!」
  「辞めたいんでしょ?」
ずいと近付く怜の顔。美人な分凄みが違う。
  「…。」
こくりと頷いた。
  「それもね。私が辞めなさいって言う意味、彼女に“ありがとう”って言ったらわかるから。」
  「なんだよ…どうなんだよ、礼言ったら。」
  「あなたの世界が変わるわ。」
男の瞳が見開いた。ニコ、と笑って怜は立ち上がる。
  「いいわね?ちゃんと全部正直に話すのよ?でないと…」
バキ。ボキ。 怜の両拳が鳴った。
  「拘置所の中だろーがムショん中だろーが、あんたを湾に沈めに行くわよ。わかった…?」
  「~~っっ!!!」
ぶんぶんぶん、と頷く。なんだか本当にそれをやってのけそうな法やら常識を超えた範疇の、なんというか「ありえないことを現実にしそう」なおっとろしさを感じて男は怜に確約した。完全に完璧に毒牙を抜かれて男は一介の「容疑者」でしかなくなっていた。芹沢が無線を終えてひょいと後部座席を覗き込んだのと同時だった。
  「こら怜ちゃん、ダメだよ容疑者脅しちゃ~。」
  「やだな芹沢さん、脅してないー、ちょっとお話ししてただけー。」
んふ、と笑う姿が美しくも胡散臭い。離れた場所に立っていた仁が笑った。

  「おう怜、これから戻るからよ、お前ら聴取は明日にしてやっからとっとと帰れ。」
  「わかった。午後でもいいかな、午前は私も仁も講義があるから。」
  「あーかまーねえ。つうか学生は学生らしく大人しく授業受けてろっつうの。なんでこんなヘンピな住宅街に来てんだよおめーらはあ。」
  「だからここに来たのたまたまだってばあ。」
あはははは。二人揃って胡散臭い事この上ない。ち、と伊丹は舌打ちをして立ち去る二人を見送った。
  「…伊丹…サンっての、あんただよな?」
  「ああ?」
般若顔で振り向けば随分しおらしくなった容疑者。伊丹はずかずかと近付いた。
  「俺が捜査一課の伊丹だ。てめェ、怜の奴に何言われてなにゲロッたか知らねえが、それをもういっぺん取調室で喋れよ。洗いざらい全部、ひと言も洩らさずに、全部だ…!わかったな!!」
  「~~!!」
こくこくこく、と仰け反りながら頷く。怜とは違って伊丹のは年季の入った犯罪捜査最前線の凄味である、今の男に逆らう気力は残っていなかった。
  「あいつが…」
  「あ?」
  「あの女の子が…あんたなら信用出来るって言ったんだ…。」
ぽつりと呟いた。伊丹の瞳が見開く。やがてがりがりと後ろ頭をかき、伊丹もぽつりと呟いた。