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桑野みどり
桑野みどり
novelistID. 52068
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Solid Air(前編)

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chapter.3


日がたつにつれ、ジェットの体調は少しずつ悪くなっていった。人工の体は壊れにくい代わりに、一度傷つくと時間と共に悪化していく。生身の人間のような自己回復能力がないためだ。それでもジェットは呼び出しを受けるたびに出頭し、査問委員と対峙した。
尋問官は、あくまで「コントロール不能状態に陥った戦闘サイボーグが暴走した」という線で事を片付けたいらしく、執拗にジェットに証言を迫った。罪を認めて反省の色を見せれば特赦が与えられるとほのめかし、ジェット自身の口から「自分の過失だった」と言わせようとした。査問会は時には数時間にも及んだが、ジェットは椅子に座ることを許されなかった。
負けたくない。こんな卑怯な奴らに屈服はしない。その気持ちだけがジェットを支えていた。

メンテナンスルームを訪れると、いつもジェットの面倒を見てくれる技師が心底申し訳なさそうな悲しい顔をした。
「どこが悪くなっているかは分かります。しかし交換用のパーツも、治療のために必要な備品も薬も、許可が下りず…使うことができないのです」
軍の物資は厳密に管理されており、所定の手続きを取らなければ使えないことになっている。医療系は特に締め付けが厳しく、錠剤一粒勝手に使うことは許されていなかった。ジェットが出した臨時メンテナンスの申請は受理される気配すらなく、おそらく上層部の誰かが握りつぶしているものと思われた。

「本当に申し訳ありません。自分が情けないと思います…」
「いや、気にすんなって。俺なんかのために規則違反することないぜ」
ジェットは小さく笑って技師の肩をぽんと叩いた。

せめて出来るだけのことを…と言って、技師はジェットの体の傷一箇所一箇所に、丁寧に保護剤を塗ってくれた。
「痛みますか?」
「ん…少し」
ジェットは嘘をついた。本当は、かなり、すごく痛い。
「いま処方できる鎮痛剤はこれと、これくらいですが…こちらの方がしっかり効きますよ」
技師はカプセル状の薬剤を見せた。
「歩いたり喋ったりするのに支障がないほうにしてくれ。頭がぼんやりするのも困る」
「…じゃあ、これはだめですね。…もう一つのほうにしますね」
肩を落とした技師の様子を見て、ああそうか2種類のうちの片方はプラシーボ(偽薬)だったのだなと、ジェットはなぜか気づいてしまった。ふたつあると言ったのは技師の優しさだったのだ。
「ありがとな」
立ち上がって出て行こうとするジェットを、技師は心配そうな目で見つめた。
「あの…整備不良という理由で免除してもらうことは…?」
「条項にないんだ。俺みたいなサイボーグを想定してないから」
条項にあるのは、『怪我・病気等の場合、査問会の延期を申し入れることができる』という一文のみ。だが、ジェットのように体の大半を人工素材に置き換えた人間の「病気」を診断するには、特別な資格が必要とされる。その資格を持つ医師はこの空軍基地には一人しかおらず、しかも折り悪いことにその医師は一週間ほど前に突然出張を命じられ、留守にしていた。
(ずいぶんご丁寧に、逃げ道を塞いでくれたよなあ)
ジェットは他人ごとのように苦笑した。

◆ ◆ ◆

その日は査問会の行われた部屋から宿舎までの距離がやけに遠く感じられた。
やっとのことで自室までたどり着くと、ドアの前に一人の男が佇んでいた。高級そうなスーツを着た、見るからにエリートといった風情の中年の男だ。男はジェットを無遠慮な視線でじろじろと眺めた。
「ふむ…なるほど、君があのジェット・リンクか」
「そうですが…あなたは?」
「中で話そう。私はボイド。国家安全保障局の者だ」

「ひどい目にあっているようだな」
ボイドと名乗った男は、馴れ馴れしく距離を縮め、まるで親しい友人か家族のような仕草でジェットの顔を両手で挟んだ。ぎょっとして思わず振り払うと、悪びれもせずにやりと笑う。
「私は上層部に独自のパイプを持っていてね。きみをこの状況から救ってあげられるよ」
尊大な言い方がカンにさわった。ジェットは手負いの獣のように男を睨んだ。
「余計なお世話だ」
「そうかね…?まあきみが意地を張るのは勝手だが、周りを巻き込むのは本意ではないだろう?」
「…どういう…意味だ」
「きみの同僚や友人は嫌がらせにあうかもしれないね。もう既にそういう目に遭っているかもしれない」
ジェットは目を見開いた。ボイドはことさらにのんびりとした口調で言った。
「きみに懐いている若者がいたね。名前はなんと言ったか…。彼は今日転属を言い渡されたよ」
「なっ…てめぇ!何を知っている!?」
激昂したジェットはボイドの胸ぐらをつかんだ。が、傷ついた左腕をねじりあげられ、あっけなく形勢が逆転する。ボイドは見かけによらず機敏な動きでジェットの抵抗を封じ、ダン、と壁に押し付けた。
「ぐっ…ぁあっ!」
体がきしむように痛んだ。膝の力が抜け、壁を背にずるずると倒れ込むと、男は追い討ちをかけるようにジェットの上に馬乗りになった。
「誤解しないでもらいたい。私なら彼のことも助けられると言いたかったのだよ。ジェット…私はきみの力になりたいのだ」
男は興奮したように目をぎらつかせ、ジェットが痛がる左腕を殊更に締め上げる。
(くっ…なんなんだ…?!こいつ…言ってることとやってることがめちゃくちゃだ)
狂気じみた男の行動に、ジェットは本能的な部分で恐怖を感じた。
「ずっと前からきみを知っていたよ…こうして抱いてみたかった」
「やめ…ろ…っ!何…を…」
「かわいそうに。こんなに傷だらけになって」
「痛っ…!さわ、る、な…!」
「怖がることはない、誰も見ていないよ。そのために、きみを自室で待機させるように計らったのだからね」

ジェットを好きなだけ弄ぶと、ボイドは何事もなかったかのように涼しい顔をしてネクタイを締め直した。
「きみ、空軍をやめて私の下で働く気はないかね?どのみちここにはもう居づらいだろう」
ジェットは床に這わされた姿勢のまま無言でボイドを睨んだ。
「まあ、考えておいてくれたまえ。…また会おう」

◆ ◆ ◆

ボイドが去った後、襤褸きれのように打ち捨てられたジェットは、なんとか立ち上がって身なりを整えようと悪戦苦闘したが、手は震えてまともに動かず、頭は船の上にいるようにぐらぐらして平衡感覚がつかめなかった。結局ジェットは30分後、昼間会ったばかりのメンテナンス技師に連絡を取った。

どれだけ調子が悪かろうとも必ず自分の足でメンテナンスルームを訪れていたジェットが、「部屋に来てほしい」と言ったため、通話機の向こうで技師は驚いたようだった。
『そんなに具合が…?歩けないくらいひどいんですね?』
「…というより、腰がたたないというか…」
『すぐ行きます!絶対、無理に動かないでください』

部屋に入り、ジェットの惨状を見て取った技師は、薄暗い室内でも分かるほど蒼白な顔色になった。
「どうして…いったい誰がこんな…」
聞かないでくれ、とジェットは力なく首を横に振った。頬のあたりの傷に貼ってあった保護用のコラーゲンシールが剥がれ、死んだ皮膚のようにだらりと垂れ下がっていた。ジェットは弾力性のあるそれを引っ張りながら淡々と言った。
作品名:Solid Air(前編) 作家名:桑野みどり