Solid Air(前編)
chapter.5
独房に残されたジェットは苦しげに浅い呼吸を繰り返していた。体が燃えるように熱い。体温を下げる機能がうまく働かず、タンパク質が凝固する温度に達しかけていた。体液の流出が多すぎたため循環液のめぐりが悪く、このままでは末端部から壊死してしまう。ジェットの生命維持プログラムは頭の中でそのように警告を発し続けていたが、どうすることもできなかった。
混濁する意識の中で、人の足音と声を聞いた。
(まだ生きているぞ。驚くほどタフだな)
(それはやはりサイボーグですから)
(サイボーグはどうやったら死ぬのかね?)
(脳を破壊するのが一番確実ですね。しかし人為的な傷かどうかはすぐ分かりますよ。サイボーグでも殺すと罪に問われます)
(それは穏やかでないな)
(このまま放っておけばいずれ死ぬでしょう。死因はどうとでもごまかせます。我々が手を下したという証拠はないのですから…)
(では内々に処理したまえ)
(はい。…ところで例のパイロットは?)
(もちろんテスト飛行は中止だ。我が軍にとって優秀なパイロットは手放しがたいからな)
よかった、あいつは助かるのか…。
ジェットは苦しい息の下で安堵した。それならば、もう思い残すことはない。メモリーチップも託した。かつての仲間が後を引き継いでくれるだろう。
(…俺…死ぬのか…)
案外しみったれた死に様だな、とジェットは思った。自分は戦いの中で散ると思っていたのに。こんな暗い孤独な場所で、誰にも知られずに死んでいくのか。(こんなことなら…あのとき、お前と一緒に燃え尽きてしまえばよかった)
「ジョー …」
懐かしい名前を呟く。ジェットの目から涙がこぼれ落ちた。
◆ ◆ ◆
島村ジョーは夢を見ていた。
夢だということは分かっていた。平凡な高校生であるはずの自分がなぜかアメリカンコミックのヒーローのような深紅のスーツに身を包み、超人的な力を発揮して戦っていたからだ。傍らには、固い信頼で結ばれた仲間たちがいる。ジョーは微笑んだ。
でも、何かおかしい。ジョーは首をかしげる。ぼくの仲間はこれで全員だったろうか。誰かが足りないのではないか。
「ジョー」
遠くから自分を呼ぶ声がした。
「ジェット!」
振り返り、名前を呼ぶ。なぜか彼が『ジェット』という名前で、自分が探していた仲間だということがすぐ分かった。ジョーは嬉しさで胸がはちきれそうだった。どうして忘れていたのだろう。こんなにも懐かしい、大切な人のことを。「ジェット!」
ジョーは駆け出した。ジェットも微笑みながらこちらに歩いてくる。彼の輝く金髪が、空の色を映したような青い目が近づいてくる。
そのとき、ジェットの背後に何かが見えた。黒い人影。武器を持っている。ジェットを狙っている。
「危ない!ジェット!」
ジョーが叫んだのと、ジェットの体を光線が貫いたのは同時だった。赤いものが飛び散る。ジェットの顔が苦しそうに歪み、青い目が閉じられてしまう。その体がスローモーションのようにゆっくりと倒れる。
「ジェット!!」
ジョーは必死で彼のそばに駆け寄ろうとしたが、見えない壁のようなものに阻まれてしまう。その間にも黒い影たちがジェットを取り囲み、ぐったりと横たわる彼をどこかへ引きずっていこうとする。
「ジェットを放せ!ジェット、ジェット!」
半狂乱になって透明な壁を叩くが、びくともしなかった。
「みんな、ジェットを助けて!…みんな!?」
振り返ると、ジョーの近くにいたはずの仲間は一人もいなくなっていた。ジョーは一人だった。
ジェットの姿も、だんだん霧に隠れるように見えなくなってしまう。
「あ…ああ…!ジェット!嫌だ!ジェットー!!」
ジョーは絶叫した。声が枯れるまで叫び続けた。
「…まむらくん、島村くん!」
ジョーは体を揺さぶられて目を覚ました。カチューシャをした少女が心配そうに覗き込んでいる。ジョーは保健室のベッドの上にいた。冷たい汗で全身がぐっしょり濡れている。
「大丈夫?授業中に急に倒れたのよ。今もすごくうなされてた…」
クラスメートの少女はずっとそばにいてくれたらしい。ジョーの心は少しだけ落ち着いたが、悪夢の恐怖は消えなかった。
「とても怖い夢を見たんだ。大切な友達が…どこか遠くに連れていかれてしまう…。助けなきゃいけないのに…届かなくて…」
ジョーの目から涙があふれた。
「友達って?だれだったの?」
「わからない…。夢の中では名前を呼んでたはずなのに…思い出せない」
胸がつぶれそうな不安にジョーはおののいた。優しく慰めようとする少女にしがみつき、泣き続ける。
「助けて…お願いだ、彼を助けてくれ…!」
どこの誰とも分からない、自分の夢の中の人物にすぎないかもしれない者を助けろという。自分でも無茶苦茶なことを言っていると分かっていたが、そう叫ばずにいられなかった。
◆ ◆ ◆
「フランソワーズ、…大丈夫か?ジョーは」
褐色の肌の大男が、蜂蜜色の髪の女性に話しかけた。
「ええ、なんとか落ち着かせたわ。でも夢の中で記憶が戻るなんて…。それに、なんて不吉な夢…」
フランソワーズと呼ばれた彼女は、モニターに映像を展開しながら美しいかたちの眉を寄せた。
「ジェットから何か通信があって、それが引き金になったということは?」
「ジョーの脳波通信はブロックされてるわ。彼は自分が脳波通信で会話できることすら知らないのよ」
「だが、何かの拍子で届いたとしたら…」
「そうね…」
フランソワーズは少し考え込んだ。
「…ありえなくはないわ。ブロックされている通信回線はあくまで私たちが把握しているものだけ。ジョーがプライベートな通信ルートを隠し持っていたとしたら、あるいは…。だけど、ジョーの今の状態を知っているはずのジェットが、連絡をよこしたとは思えないわ」
戸惑った声で彼女は言った。ジョーには今、サイボーグ戦士だった頃の記憶がない。あるのは、日本に暮らす高校生としての偽の記憶だけだ。ジェットはジョーがそうなることを受け入れられず、結果としてかつての仲間たちから距離をおくことになってしまったが、内心では誰よりもジョーのことを案じている。そのジェットが、記憶を封じられたジョーをいたずらに刺激するような行動をあえてとるだろうか?フランソワーズは思案した。
「ともかく、ジェットの様子を確認してみたらどうだろう?何事もなければそれでいい」
「そうね…ジェロニモ、あなたの言う通りだわ」
フランソワーズはダイブギアを装着し、ジェットが所属するアメリカ空軍のローカルネットに侵入した。
「…?おかしいわ…ここ数週間、ジェットはまったく任務についてないみたい。報告書にも名前が出てこないわ」
「本当にジェットはそこにいるのか?別の基地に移ったということは?」
「いいえ、少なくとも数日前まで隊員宿舎に泊まっていた形跡があるわ。なのに、任務にもついていないし、休暇中でもない。…待って…メンテナンス記録を調べてみるわ」
フランソワーズが操作する画面が目まぐるしく変化していく。彼女は今、基地内の医療データにアクセスし、ジェットの記録を検索していた。
「これも変よ…!臨時メンテナンスの申請が却下されてる」
「ジェットはなぜ臨時メンテナンスを?負傷したのか?」
作品名:Solid Air(前編) 作家名:桑野みどり