Solid Air(後編)
chapter.9
懐かしいスキンヘッドの英国人の姿が目に入ったとき、ジェットはまだぼんやりする頭で、これはきっと夢なのだろうなと思った。
グレートが自分の目の前にいるわけがない。ゼロゼロナンバーズ…かつての仲間と連絡を取らなくなってから、もう十年以上になる。連絡を断ち、脳波通信の回線すら切っているのに、彼らが会いに来てくれるわけがない。
(だいたい、あんたは仮にもイギリスの諜報部員だろ。ここは米軍の基地だぜ)
もし現実なら大問題だな、と思うとおかしくなって、ジェットは小さく笑みを浮かべた。
「よう、起きたのか」
グレートが言う。声もリアルだ。もう少しこの夢に浸っていたいな、と思いながらジェットは頷いた。するとグレートは顎に手をやり、じっと観察するような目でこちらを見た後、唐突に言った。
「今、西暦何年だ?」
「…?」
「いいから言ってみろ」
変な質問をする。首をかしげながらジェットが4桁の数字を言うと、グレートは「よし」と言って頷いた。
「ここがどこか分かるか?」
「…アメリカ?」
「アメリカのどこだ」
「エドモンド空軍基地…」
「今俺たちがいるこの部屋は?」
「…メンテナンスルーム」
「どうしてお前はここに寝ているか分かるか?」
(えっと…俺は…懲罰房に入れられて…。え、あれ?)
慌てて自分の体を見る。傷口から流れ出た循環液でべとついていたはずの体は清められ、きちんと手当てしてある。ちぎれたりむしられたりしたパーツはやはり虚無のままだが、切断面を整えて消毒してあるようだ。茹だるようだった熱は摂氏37度に下がっている。
(俺は…助け出された…のか?)
ジェットはハッとして目の前の人物を凝視した。
「最後に訊くが…『俺』は誰だ?」
「…007、グレート・ブリテン」
「Excellent!」
グレートはパチンと指を鳴らし、満足げに笑った。
(夢じゃ…ない…)
ジェットは呆然としながら改めて周りを見た。
「おーい、主任。ジェットの目が覚めたぞ。『感度良好』!」
グレートが呼ぶと、数秒後、パタパタと足音がして主任技師が部屋に入ってきた。
「ジェットさん!よかった…。どこか痛くないですか?体に違和感は?」
ジェットはしばらく考えた後、あることに気づいてガバッと身を起こした。
「お前!これ…命令違反して…!?」
彼が処罰されるのではないか、とジェットは焦った。しかし技師は首を横に振った。
「ご心配なく。あなたの臨時メンテナンス申請は受理されましたよ。『しっかり養生するように』というコメント付きで」
なぜかうんざりしたような顔で技師はため息をつく。
「…あなたの体の具合を訊いたんですけど?どうして人の心配ばっかり…」
「まったくだ、こいつめ寝ぼけやがって」
グレートがジェットの頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪をかき混ぜた。
「あ…いや、俺は…大丈夫だけど…」
「痛みは?」
「ない」
「違和感は?」
「ちょっとジーンて痺れてる…かな。でも変な感覚はないぜ。おい、どうなってるんだ?状況を説明してくれ」
後半はグレートに向けて言った。
椅子に座っていたグレートは悠然と足を組み替えた。
「この人から連絡を受けて、」
主任技師の方を顎で示す。
「俺とフランソワーズとジェロニモがお前を救出に来た。一方、偶然だか何だか知らんが、タイミングよく軍の上層部で政変があったらしくてな。お前をこんな目に遭わせた奴等は憲兵隊からお縄を頂戴したってわけだ」
ジェットは目を見開いた。グレートがこちらを強い目で睨んでいる。ジェットは視線を外し、気まずそうに顔を少しうつむけた。
「なんか…迷惑かけたみたいだな。悪い…」
「馬鹿野郎、そうじゃねえだろ」
グレートはジェットの顎をぐいと掴んだ。
「一発殴ってやりたいところだが、病み上がりに免じて勘弁してやる」
「いいか、俺たちは仲間を助けることを『迷惑』だなんて思わない。ただ、なぜ助けを求めてくれなかったのかと失望してるだけだ。フランソワーズは泣いてたぞ」
『フランソワーズが泣いていた』
その一言はかなりのダメージを与えたらしく、ジェットはみるみる表情を曇らせ、母親に叱られた子どものようにうなだれた。
「…フランは今、どこに?」
「離れた場所で待機してもらってる。だがお前さんの泣きべそづらは見えると思うぜ。なあ、フランソワーズ?」
グレートの呼び掛けに答えたのは、ジェロニモだった。
『静かに。まだ眠っている…』
そうか、ジェットには幸いだったかな?とグレートは声には出さずに呟いた。
「彼女は何て言ってる?」
ドクターストップのため、まだ脳波通信が使えないジェットがもどかしそうにグレートを見た。
「…フランソワーズは疲れきって眠っているそうだ。お前をそんな目にあわせた奴らを皆殺しにするんだって言って、さっきまで大暴れだったんだぜ」
「なっ…!?おい、止めてくれたんだろうな?」
「まあな。大変だったよ」
実際に大変だったのはジェロニモだけどな、とグレートは心の中で付け加えた。
「で、さっきの話だが」
グレートは上着の内ポケットから取り出したものをジェットに突き付けた。
「こんな遺言みたいなものを送ってくる暇があったら、直接俺たちに言えばいいだろうが。なぜコンタクトを取らなかった?」
ジェットはむっとしたようにしばらくメモリーチップを見つめていたが、ぷいと顔をそむけてしまった。
「…それは本当に最後の手段のつもりだったんだ。俺は別に死ぬつもりなんてなかったし、」
「お前はっ!」
グレートはジェットの胸ぐらを掴んで引き寄せた。その手が激情のあまり細かく震えていた。
「自分がどれだけ危険な状態だったか分かっていないのか!」
ジェットは本当に分かっていなかったらしく、驚いたようにグレートを見上げている。
「…俺、そんなにやばかったのか?」
「感染症で高熱を発していた。あと少し遅かったら脳をやられてたんだぞ。…人間はな、そのへんの空気中にいるような雑菌でも死ぬことがあるんだ。生身の部分を残している限り、サイボーグだって同じだ」
ジェットはあまりピンとこない様子で首をかしげていた。
(分からないか…そうだよな。俺たちは派手にぶっ壊れることはあっても、病気でじわじわ死にそうになることなんてなかったもんな)
まして、ジェットは18歳で体を改造されたのだ。サイボーグ化手術に耐えられたということは、極めて生命力の強い健康体だったということだから、きっとそれまで病気らしい病気ひとつしたことがなかったのだろう。そして丈夫な人工皮膚を持つサイボーグが細菌やウイルスに感染することは「通常なら」ありえない。外皮部に無数の傷を負ったまま不衛生な環境に放置でもされない限り。グレートは目の前の男が無性に不憫に思えて、胸元を掴んでいた手をそっと放した。
「いいだろう、お前は自分が死にかけているとは思わなかったので、連絡を取らなかった。気に食わんがそういうことにしておいてやる。だが、それだけじゃないだろう?」
「…今回のことは、米軍絡みだから。もし俺がみんなに助けてもらったりしたら、筋が通らないだろ」
(単純馬鹿のガキだったお前が、大人の正論を語るようになりやがって)
グレートは舌打ちした。
作品名:Solid Air(後編) 作家名:桑野みどり