我が心臓に杭を
「私が望んだのだ。ダンブルドアははじめ反対した…。これは私のわがままだ」
「自分から望んだ…って…どうして?」
「彼の信頼を…裏切りたくないから…だ」
ではやはり、スネイプはダンブルドアを裏切ったわけではなかったのだ。ネビルは確信した。スネイプは今も、亡きダンブルドアに命懸けの忠誠を尽くしている。
「では、あなたはずっと、こちら側の人間だったんですね!さっきも、僕を助けてくれた…」
ふいに、スネイプがネビルの目をまっすぐに見つめた。
「もう一度…もう一度、言ってくれ…」
すがるように、懇願するように彼は言った。
ネビルは驚いたが、求めに応じて言葉を繰り返した。
「あなたは、僕を助けてくれた」
「…もう一度…」
スネイプの呼吸が穏やかになってきていた。
(そうか…!)
ネビルは突然理解した。誓約の内容はホグワーツの生徒を守ること。それが破られそうになっているので、スネイプは苦しんでいる。
(だから、彼が誓約を守っていることを証明すれば…!)
彼の苦痛はやわらぐはずだ。
ネビルはスネイプの体を護るように抱き、呪文を唱えるかの如く精神を集中させて言った。
「あなたは誓約を破ってなんかいない。精一杯僕たちを守ってくれている。…あなたは忠実な人だ……あなたは裏切り者なんかじゃない」
腕の中の細い体が、徐々に生命力を取り戻していくのがわかった。
ネビルは深い安堵と同時に、底知れぬ危うさを感じた。ネビルの言葉ひとつで、スネイプは死の淵から回復した。
(もし僕が何もしないでいたら、死んでいたかもしれないんだ…)
なんという、か細い糸で彼の命は繋がっているのだろう。
(生徒全員を完璧に守るなんて、できっこない…)
生徒が傷つけられるたびに、スネイプは苦しむ。そのことを誰も知らない。いずれ、限界が来るだろう。彼は人知れず苦しみ抜いて死んでしまうかもしれない。
(いやだ…!)
ネビルはぎゅっと強く彼を抱きしめた。
その衝動、込み上げてくる熱い想いが、何という感情であるのか気づくよりも早く、ネビルの口は言葉を紡いでいた。
「せんせい、好きです…。僕はあなたを…守りたい」
「何を…馬鹿な…」
スネイプは驚くというよりも呆れたような声で言った。
「僕は本気です。今気づいたんだ。…あなたが好きです」
「気の迷いだ」
「そんなんじゃない!」
ネビルは射るようにスネイプの目を見た。
スネイプの黒い瞳がかすかに揺れた。
尚もネビルが泣きそうな目で見つめ続けていると、スネイプはため息をつき、目を伏せた。
「まあいい…どうせすぐ忘れてしまう感情だ」
「忘れたりなんかしません!僕は…」
「…ネビル」
ふいにスネイプは少年の名を呼んで微笑みかけた。
その表情に、ネビルは一瞬魅了された。
スネイプの杖が素早く動き、次の瞬間、ネビルはぶざまに壁に叩きつけられた。捕縛の呪文をかけられたらしく、身動きひとつできない。
「お前はここであったことを忘れる…。なぜなら、今から私が忘却呪文をかけるからだ」
冷酷な声でスネイプは告げた。
ネビルは愕然と目を見開き、叫んだ。
「僕の記憶を…消すって言うんですか!?」
「私の行動は誰にも知られてはならない。そうでなければ、任務をまっとうできない」
「どうして!せっかく、やっと気づいたのに」
――この想いまで消されてしまうなんて。
耐え難いことだった。どうしてそんなひどいことができるのかと、ネビルは黒衣の男にうったえた。
だが、男の態度は冷淡だった。
「思い上がるな。私は貴様を利用しただけだ」
とりつく島もなかった。
「私が何の考えもなしに秘密を喋ると思ったのか」
スネイプは冷笑した。では、最初からそのつもりだったのか。記憶を消せばなかったことになるから、話したのか。
(じゃあ、僕のこの気持ちはどこへ行くんだ…!)
ネビルは憤りを感じた。
「いやだ!」
スネイプが呪文を唱えるのを遮るようにネビルは叫んだ。
「それなら…それなら…こう言ってやる。お前は…」
(いけない)
「お前は…生徒に…」
(それを言ってはいけない)
「…危害を加えた…!」
言い終えた瞬間、目に見えない呪文に打たれたように、スネイプの体が跳ねた。
まるで巨大な蛇に巻き付かれ締め上げられているように、びくびくと痙攣する。
「…ぐっ…あ、ああっ!」
胸をかきむしり、この世のものとも思えぬような絶叫をあげた。
ネビルは凍りついた。自分の一言で、本当に彼は死ぬというのか。
(そんなつもりじゃなかった。この人を苦しめたかったわけじゃない。死なせたかったわけじゃない…!)
彼に手を差しのべようともがいたが、一歩も動けなかった。
(知らなかったんだ。たった一言でこんなことになるなんて…!)
――ちがう、それは嘘だ。僕は知っていた。
言葉には人を殺す力があるということを。誰であろうと、魔法族の子供なら知らないはずがない。
(知っていたのに…僕は…なんてことを!)
ネビルは必死の思いで叫んだ。
「今言ったのは嘘だ!彼は誓約を破ってない!お願いだから…彼を殺さないで…!」
見えない呪いをなだめるように、ネビルは叫び続けた。
苦悶に満ちた呻きは徐々におさまり、荒いながらも落ち着いた呼吸になった。
スネイプは一命をとりとめたようだった。
「ごめんなさい、先生。ごめんなさい」
ぼろぼろと涙がこぼれた。ネビルは泣きじゃくりながら、切れ切れに言葉を紡いだ。
「ごめ…んなさい…、ゆるして…っ…僕は、そんなつもりじゃ…!…ただ、わかってほしかったんだ。…忘れてしまうなんて…いやだ…!耐えられない…!どうか、お願いだから…」
倒れ伏したスネイプは、観念したように目を閉じたまま静かに言った。
「どうすれば…満足だ」
(僕は…ずるい…。彼の命を人質にとって脅しているんだ…)
後ろめたさを感じながらも、ネビルはうったえた。
「僕の記憶…完全には、消さないでください…。せめて、いつか思い出せるように」
スネイプはゆっくりと目を開け、ネビルのほうを見て深々とため息をついた。
「…いいだろう。約束する」
――すべてが終わったとき、お前は今日のことを思い出すだろう。
――ただし、そのとき私はもう生きていないだろう。
闇よりも尚黒い目を持つ男は、慈愛にも似た表情を浮かべ、少年に杖を向けた。
「私に手間をかけさせた以上、必ず生き延びる自信があるのだろうな…?」
そして、ネビル・ロングボトムの記憶は封じられた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
闇の帝王と呼ばれたヴォルデモート卿が滅んだ後、ハリー・ポッター、そして彼と共に闘った者たちは、それぞれの道を歩み始めた。
ホグワーツ校では、あの最後の戦いの時最終学年だった者、及び、ここ数年の間に卒業した者に対して、再履修の機会が与えられた。希望するならば、好きなだけ勉強していってよいということになったのだ。授業料は全額免除。その費用は寄付金によって賄われた。
ハリー・ポッターの知名度と人気のおかげで寄付金は随分集まったが、その当のハリーが再履修制度を利用しないと言い出したので、周囲の者たちは苦笑した。