【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目
「そのじいさんは先祖代々からその山の持ち主で、その社ごと引き継ぐのがしきたりだったそうだ。山の中腹にあるその社に毎日お供えを欠かさずに世話しろってのがじいさんのじっさま以前からずうっと言われ続けてきた事らしい。だからバブルの時期にどんだけ売れって矢の催促がきても決して手離そうとはしなかったそうだ、おかげで湧き水なんかも未だに飲めるいいとこらしいんだが。」
「うん…。」
「問題は死因そのものじゃなくて、“なんでそこで”って事なんだな。」
「社の前ってこと?」
ああ、と答えてコーヒーのお代わりを催促。ごくりと一口飲んで伊丹はファイルの写真だけを見せた。社の前で撮った死体写真である。普通なら一般人、しかも女子大生にそんなものは見せないがこと怜と仁に関しては大阪府警時代から両手では足りないほどの死体を発見してきている上、更に警視庁に出入りするようになってからでも既に五体発見している。大河内監察官もここの部分では最早ヤケクソの境地に達しているらしく(伊丹分析)、何なら捜査員に加えろとまで言っている始末。そこまでいくと実際本当にヤケクソである。そんなわけだからこの死体写真を怜はまじまじと眺めてしまうわけで、だんだん俺もこいつらに慣らされて流されてきてんなあとは伊丹が微かに思ったこと。それは置いておいて。
「…なにこれ?」
「ヘンだろが。」
変だった。本来社を守る筈のじいさまが、ナタでもってその社のてっぺんをかち割っている。そしてそのまま社の上に倒れ伏し、まるで社に支えられているかのように立ったまま絶命しているのだ。
「…死因…心臓発作?」
「ああ。」
「ホントに?」
「おめー監察医の御厨さんにそれ言ってみろ。社会勉強出来るぞ。」
「いや、現状で充分です。」
右手を上げて辞退した。もう一度写真を眺めて怜は惜しい、と思った。これでは顔が見えない。安らかなのか苦悶の表情なのか、それだけでわかる事もあるというのに。
「その死に様がな。遺族である親戚連中にちょっとした騒ぎを起こしてな。」
それはわかる気がした。戦中戦後を生き抜いた方々の時代は魑魅魍魎と同居してきた時代だ。たった六十年前後で迷信と片付けられてしまう事柄がその頃には立派に大手を振って生きていた、着物を着て下駄を履いて。その遺族から貰ったんだとファイルの中から一枚のメモを取り出す伊丹。達筆とも言えるがのたくった汚い字とも言える。
「相変わらずわけわかんね。これじゃなくて…。」
ともう一度ごそごそ。
「これだ。“鬼の爪にて我蘇らん。封ぜし者の命もて楔爆ぜらせば十の夜を越えてぞ我きたりぬ”…」
「……。」
怜の顔が青ざめた。それに気付かず伊丹は続ける。
「これがじいさんちの家訓ってか、バケモンの言い伝えだな。まあ今時こんなもん眉唾だが、なにしろ社の前ってか社をぶっ壊す途中で“封ぜし者”の血筋の人間が死んじまったもんだから親戚の一部が騒ぎ出したらしくてな。山をどうするかで遺産がらみでまた揉めて。大変だったんだと。しかもまだ揉めてっから葬式もあげてねえって話だ。」
「ええ?それはひどい。」
「ああ、けどこのメモにある通り、十日か?その間は様子を見るとか言ってたらしい。まあ俺らには意味がわからんし、事件性はねえからそれっきりになっちまったが。」
「ん、先輩?それお社んちの、例のメモですよね?」
芹沢がパンをもぐもぐさせながら割り込んできた。
「それくれたあのおじいちゃんの息子、なんか具合悪いみたいですよ?」
「えっ?」
芹沢の何気ない一言に反応する怜。ちょっとびっくりして芹沢が笑う。安心させるように。
「や、持病の高血圧がまた出たらしいっすよ?薬サボっちゃうらしいから、あのおじいちゃん。」
息子と言っても当のじいさんが既に八十を超える年齢だったのだ、長男はもう還暦を過ぎている。しかし聞けばこの息子は三兄弟で、長男だけでなく地元を離れた次男と三男もそれぞれ父親の死後具合が悪くなっているらしい。嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感。
【鬼の爪にて我蘇らん…】
怜が「力」を出したのはこの隣の山だ。私のせいなのか?怜は両手で自らを抱いた。
結局大河内には会わず、とりあえず何の変化もないと直轄四人から様子を聞いて差し入れだけを置いて帰った。仁に連絡する気はなかった、そうそう彼を巻き込むわけにはいかない。
もうそろそろいい頃だ。怜は仁と出会った十二の時からずっと思っていた、二十歳を過ぎれば別れの準備をしなければと。どのみち自分は…
夢ともつかないものへの処置として怜は早めに休んだ。どうせやって来る、もとい連れ出されるのは午前二時過ぎ、丑三つ時である。それまでに昨夜の催眠不足を補うべく早々に寝てしまおう。九時と同時の就寝は久しぶりだったがよく眠れた。またあの鳥に乗るまでは。
ざああ。風が吹きすさぶ。また飛んでいた、何かに乗って。
ざあっ。上空へ縦に飛んだ。上昇気流を体全部で感じるなんて人間には無理な話だ。けれど感じた、わたしの尾羽と背中に駆け抜ける凄まじい空気の流れ。遥かな上空を飛びながら空と風だけを感じていた。
〈姐さん〉
いきなり頭の中に声が響いた。いや、声というより単語と言った方が正しい。思考がぶつけられわたしの頭が勝手にそれを翻訳しているような感覚。
〈助け(すけ)ちゃくんねえかい〉
ずいぶん時代がかった口調だ。わたしはぼんやり考える。
〈おめえさんにも、責任ってやつがあるもんでね〉
そうみたいね。
やっぱりわたしだったのか。ごめん、とない瞼を伏せてみた。しおれた心が伝わったのか、その相手は驚いた事に笑ったのだ。優しく。
〈おめえさんが悪いと、責めてるんじゃねえ。どのみちあの一家は跡目を継ぐ気なんざ無かったんだから、早晩奴は外に出ちまったろうさ。〉
そう言ってくれると気が楽だわ。 沈んだままで答えたら、相手は更に優しく接してきた。
〈それにあの嬢ちゃんを掘り出してやりてえってのはあっしも同じだったぜ、姐さん〉
知ってたの。わたしが訊ねれば相手は頷いた気配。
〈あの廃れっちまった療養所、あの場所はいけねぇ。〉
このひと、よくわかってる。少し驚いて、そして感心した。
〈あの場所にとっ捕まっちまうと、もう逃げられねえ。あんな近くにあんな場所が出来ちまうと、こっちの山のあの野郎にも、よくねえ影響を与えちまう。〉
時間の流れの中の、仕方のない事だったのかしら。
答えが返るとは思わず独り言のように呟いた。
〈運命ってことかい?姐さん〉
ないはずの顔が上がった。真っ向から風がきた。風というより空気のかたまりだ。
〈そんなもんはありゃしねぇさ。強いて言うなら、〉
滑空が始まった。
〈予定調和だ。〉
ざあああっ。気流に逆らう躯体の悲鳴。びゅうびゅうと矢継ぎ早に聞こえる風の咆哮。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目 作家名:イディ