【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目
〈姐さん〉
また社だ。社が見えた。真上から一直線に目指すそこに、今日は何かが見えた。黒と迷彩色が混じったような霞のようななにか。
〈あっしを助け(すけ)ておくんな。〉
どうすればいいの?このままじゃわたしは力を出せない。その霞が上を向いた。牙を剥いた。
〈明日、この山に来てくんな。あっしだけじゃ無理なんだ。〉
わたしの目が見開いた。牙が揺れて四つになったのだ。
〈こいつら、二匹いるんだ。〉
ざああっ。牙が頭が二つに分かれた時わたしの意識が離れた。
「……。」
朝の爽やかな空気と無縁の精神状態で怜は目覚めた。洒落にならない、そう思った。封じられたバケモンも夢の中の相手の正体もわかってしまったからだ。これは一度祖父に連絡を取らなければ無理な話だとまた髪をかき上げる。時間は刻々と過ぎてゆく、早く、と怜は夜具を跳ねのけた。
電車とバスとタクシーでそこへやって来た。免許を持てない怜は単独行動の際は公共機関を使うしかない。もう午後に入ったその時間、怜は山の入口に佇む。ふ、と息を吐いて一歩を踏み出した。
冬枯れの山は色侘しい。木々の地肌は寒さに震えているようで積もった落ち葉は命の終焉を象徴する。焦げ茶と灰色で占められた山を一歩一歩進む。黒のレザーコートに黒いジーンズ、更に黒のシャツ。相変わらず二十歳の若さにも関わらず喪服のようなコーディネートが曇天の山に妙に馴染んでいた。吐く息が白く、そのモノトーンの塊がざくざくと土を踏み山を登る。甲高い鳴き声がしてバサバサという羽ばたきの音がした。それにつられたようにザアッと何かの群れが飛び立つ。空を見上げて怜は足を止めた。いるだろうか、あの中に。いやいないだろう。“彼”は群れにいられるような存在ではないのだから。
ざく、ざく。けっこうな勾配の道を歩調の変化なくかなりのスピードで登る怜。毎日二千段の階段をダッシュで登っていたのだから山道などは楽なものだ。獣道でもなく踏みしめた跡がそのまま道になっているのは件の翁が毎日社へ馳せ参じていた証拠だ。頭が下がるな、とこんな場合にいつも怜は思う。辻の地蔵や庚申、社の管理はそこに住まう者の自主性と謙虚な信仰心にのみ支えられる。時代によって変わる対象はあれど人の心が変わらなかったからこそ脈々と守られてきたものだって溢れているのだ、この世には。そして忌み嫌われ、封じ続けられたものも。
突然視界が開けた。ちょっとした空き地に出たのだった。山の中腹にある社まではまだ半分程度しか来ていない。だが怜はそこでゆっくりと止まった。瞳を閉じて意識を“広げた”。知覚センサーを360度に展開し地平から上空まで一気に“上げた”。そして見つけた。向こうも見ていた。
来た。
バサバサ。翼を操る音がする。真後ろに立つ樹にとまり、“彼”は小首を傾げて怜を見下ろした。背を向けたままの怜に届くあの思考。
〈姐さんだと思ってたが、こいつぁ驚いた。まだ娘っ子じゃねえか。〉
思わず笑った。いきなりご挨拶だわ。
「小娘じゃご不満?」
〈いいや。キリュウの娘ならそれでかまぁねえ。〉
瞳が見開く。そこまで知っているのか。そして疑問が更に増えた。彼はなにものだ?
〈肩に行ってもいいかい?嬢ちゃん。〉
「肩は話しづらいわ。顔も見えない。」
そう言って怜はすいと右腕を横に伸ばした。
「こちらにどうぞ。」
腕は止まり木。“彼”は迷いもなくそこに降り立ったのだった。
“バサバサ!” 受け止めた怜はその意外なまでの重みに驚いた。もっと軽いと思っていたのだ。そして“彼”の“容貌”も驚くものだった。漆黒の体、乳白色の足。翼は闇夜のような輝きで羽根を散らしていた。そして自分に向けた左側の、瞳の部分が、無かったのだった。
正確には大きな傷を負っていて目を損傷しているのだ。ざっくりと斜めに入った傷は眼球の部分を切り裂き引き攣れたような痕を残している。もう白くなっている色は痛みを訴えることは無さそうだったが、縦一本だけでなく途中、つまり眼球の部分でかぎ裂きのようになっていて見た目がとても痛々しい。かなりの古傷だった。後天的なものであるのは確かだが、もしかしたらまだ雛鳥のうちに受けた傷かもしれないと思った。相当の痛みだったろう。“彼”はしっかりと足を食い込ませ腕に留まり翼を畳む。かく、と鳥独特の首の動きで顔だけ怜の方へと向き直った。正面から見据えられて思わず見惚れた。右目は澄んだ輝きを放っていてそれは黄金(きん)色だったのだ。
〈初めまして。嬢ちゃん。〉
優雅に翼を毛づくろいしながら現代風に挨拶。“彼”は一羽の烏(カラス)だった。
「初めまして。」
〈いきなり夜中の逢引に連れ出しちまってすまなかったな。〉
「そうね、まずお名前くらい聞いてからにしたかったわ。」
〈ちげぇねえ。あっしは“柘榴”ってんだ。よろしくな。〉
「私は桐生院怜。よろしく。…柘榴?それが名前?」
〈ああ。誰ともなくそう呼ぶようになっちまってな。この傷が柘榴の爆ぜたとこみてぇだってんで。わかりやすくて通りがいいだろ?〉
くつくつ笑う感覚が頭に届く。夢(?)の中で感じた意思疎通の感覚と同じだった。まじまじと見つめて思わずため息をついた。
「…ああ…なんかさすがにヘンなかんじ。私カラスと話してるのね。」
今度はカラカラと笑った。顔を上げ嘴を開き、かくかくと首が動くのは確かに笑っているように見えた。
〈おめぇさんの始祖は髑髏とだって話してやしたぜ。〉
怜の瞳が見開く。顔が強張った。
「どういう事?」
千年以上前の陰陽寮の役人を何故知っている。
〈蛇の道は蛇ってやつでさ。動物は人間よりものしりなんだぜ怜。〉
真正面から見つめられた。片目の視線が強い。本当にカラスなのかと疑いたくなるほど。
「ものしりなのにあいつらを倒す手段は知らないわけ?」
〈カンちげぇしねえでくんな。奴らを倒す義理なんざあっし達にゃありゃしねえよ。〉
「ええそうね。だけど自衛のためなら仕方ないんじゃない?」
〈あっしがなんだってしゃしゃり出てるんだって言いてぇのかい?〉
楽しそうに響く声。見据えていた瞳が逸れて山の向こうに向いた。
〈この山は昔っからあっしの縄張りなんでさ。そこにいきなり人間が社なんざおっ建てやがって、邪魔くさくってしょうがねえ。ずぅっとぶっ壊す機会を狙ってたんだが、〉
とそこでまた怜を見据えた。
〈そこにおめえさんが来た。なんとまあおあつらえむきに、キリュウの娘がな。〉
嬉しくないわ、と怜は柘榴の片目を睨む。だがそれには触れずちくりと針で刺してみた。
「社は五百年前からあるって聞いたけど?」
〈そんなもんかい?まああっしも見た目は若ぇが、奴らの方がもっと若造ってこった。〉
からから笑う柘榴。どこまで信用したものか量りかねたがそもそもいくら桐生院の人間とはいえ動物と話しているのは尋常ではない。この柘榴が見たままの存在ではないのは確かなようだ。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目 作家名:イディ