【相棒】(二次小説) 深淵の月・らせん
【出来れば、一ヵ月後くらいに】
杉下の落ち着いた駆け引きに小野田が足を止めた。
【相変わらず面白いねえ、おまえは】
ふふ、と笑った気配。小野田がテラスを後にした。
杉下は残りFAデータを眺めている。そちら側に背を向けていた神戸は気配でそれを確認したが怜は固い表情のままだった。小野田が完全にその場から立ち去ったとわかる頃静かに立ち上がった。幽霊のように気配がなく、遠いとはいえ杉下に悟られる事など絶対にないだろうというほどに静かに。こちら側のステップを降りてゆく怜を神戸は静かに見送った、そこで怜がカップを置いて行った事に気付いた。あ、と声をかけそうになって踏み止まった。杉下が立ち上がり向こう側のステップを降り始めたからだ。
「…。」
神戸は眼鏡を外しふう、と長いため息をついた。今の神戸はあのスリムな体型ではないので詰め物がきつくなってきたせいもある。ふくみ綿で頬をふくらませマスクではない合成皮膚を貼り付け顔かたちまでも変え、特殊なボディスーツを着込みサイズ四つ分上のスーツに身を包んでいる。巨漢のアナリストといったいでたちは大学時代の先輩に手を借りたものだった。芸能界という華やかな場所で生きている彼はしきりと神戸を同じ世界へと誘うのだが神戸はそれをソデにし続けている。たまに借りる知識や技術は有難く、今も杉下は最初に一瞥をくれただけで何の注意を向ける事もなかったのだから。
「…怜ちゃん…。」
どういう事だろう。神戸は杉下と小野田だけでなく謎多い女子大生と小野田との繋がりまでも知ってしまった。しかもあまりいい種類のそれではないらしい。だが。
とりあえず帰るか、と神戸は新聞を畳んだ。今日は幸いな事に非番だったのでこのまま帰ってメイクを落とせる。あまり実がなかったようにも思う二人の会合はまた続くのだろう、いつかは杉下から全て聞きたいと、神戸はまた空を見上げて願った。
「小野田公顕。」
待たせておいた車に乗り込もうとした時いきなり呼び捨てで呼ばれた。しかも随分と若い女性の声で。
「…あら。」
ひさしぶりの顔に小野田が微笑む。険しく歪んだ相手のそれとは対照的に。
「ひさしぶりだねぇ。怜。」
「ちょっとツラぁ貸してくんない?」
ぐいっと顔を逸らす怜。顎の辺りで切り揃えた艶やかな髪がさらっと流れた。口の端だけで笑ういつもの表情で小野田は了承した。運転手に軽く目配せで告げて小野田は怜と歩き出した。
「ずいぶん大きくなったじゃない。もう大学生?」
「白々しいセリフはごめんよ。毎月報告聞いてんでしょ。」
「うん。でも報告は報告だからね。実際に見るのとじゃ、全然違うでしょ?」
「あんたは老けたわ。」
「そりゃあねえ。もう十年以上経つもんねえ。」
楽しそうに笑う小野田。苛立ちが増してくる。怜はざくざくと病葉を踏みしめ並木道を歩いた。
「…どういう繋がりよ。」
「なにが?」
「あんたと杉下さんよ。」
「あら。見てたの?」
立ち止まり怒りの表情を露わに小野田を睨む。
「どういう事なのよ。杉下さんと、よりによってあんたが、どうして…」
それに対峙する小野田は静かな表情だった。子供だった自分が最後に見たそれと変わらず、どんなに残酷なあやかしよりもむごい事をやってのけた時と全く変わらず怜を見ていた。次の瞬間怜の瞳が見開く。驚愕の表情がすぐに青ざめた。
「…あんたなの…?」
怜が信じられないという顔で小野田を見た。十年以上前のあの決別の日、木の陰から小野田を見ていた時と同じ目で。
「あんたが、杉下さんを…特命係に…!!」
その言葉を待たず怜の頭の中に強烈な画像が飛び込んできた。怒りに任せ力の限り何かのプレートを剥がす杉下右京。今より若い、まだエネルギーの奔流を操る術を持たない若き日の杉下右京。それを断絶するように怜は瞼をシャッターのように下ろし顔を背けた、唇を噛み締めて。ほんの一瞬なのに怜は肩で息をしなければならないほど消耗してしまった。はあはあと息切れしている怜を見下ろし小野田はくすりと笑った。
「十年以上前も言ったでしょ?それ、プライバシーの侵害だよねえ。」
「…。」
ぎろりと睨みつけられ小野田は微笑む。好きでやっているわけではないと嫌というほどわかっているのに。
「…最低。」
「あら。どこまで読めちゃったのかしら。」
「閣下っておっさんがろくでなしって所までよ。」
「それ、全部じゃない。」
篭城事件の背後の真実まで読まれてしまった。
「他言無用でお願いね。彼ももう出て来られないだろうし。」
「ジジイの事なんざどうでもいいわ。あんたが杉下さんにした事を言ってんのよ小野田…!」
「僕が?杉下に何を?」
しれっと笑って切り返すその鉄面皮は全く変わらない。ぎり、と唇を噛む怜は拳を握り締め叩きのめす衝動を堪えた。
「あんたが杉下さんを陸の孤島なんかに追いやったのね…あんなに才能ある人を飼い殺して、あんたの手駒にするために…!!」
「だったら、なに?」
「あんたにそんな権利はないわ小野田!!」
これも全く同じ台詞だった。十三年前の、あの決別の日と。
「…青臭いねえ相変わらず。」
「私の事なら仕方ないとも言えるわよ、私は桐生院の人間なんだから!だけど他の人間の事は全く別だわ!」
「違わないよ怜。」
「どのツラ下げて言えるのよ、小野田公顕!!」
「僕は杉下を飼ってるわけじゃないからね。」
怜の瞳が見開いた。瞬時に疑問だらけの表情を浮かべる顔は小野田がこれまで見たどんな女性よりも美しかった。
「…詭弁じゃないの。」
「本当ですよ。僕だけじゃない、杉下は警察機構の中の何にも縛られちゃいないからね。」
怜の瞳が晴れた。それは怜の頭の良さを示していた。ああもったいない、と小野田はまた思う。
この頭脳と能力、そして“飼ってるモノ”、警察庁に欲しかったのにねえ。
「…あんた…。」
「杉下は元々組織というものに嵌らない形だから。僕が関わっていなければあいつはとっくに懲戒免職ですよ。良くて、ね。」
それはそうかもしれない。怜はさっき感じ、どんどん痛みを増している左脇腹に意識を飛ばす。生きているだけまし、のみならず死んだ方がまし、という状態になる可能性もあったかもしれない。杉下右京なら。
「僕は杉下を使うけど、それはあいつも納得ずくですよ。亀山君はよくついて行ってくれたから二人揃って実に役に立ってくれました。それだけの事なんだけどね、怜。」
「杉下さんが未だに警察にいられるのは自分のお陰だって言いたいわけ?」
「それも、あるかなあ。」
にやりと口の端だけで笑ってやった。忌々しげに睨む怜はどうにかして杉下と自分の繋がりを断ちたいと思っているらしいがそれは無理な話だ。ま、いずれわかるでしょ、と小野田はスラックスのポケットに手を忍ばせる。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・らせん 作家名:イディ