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【相棒】(二次小説) 深淵の月・らせん

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  「ねえ怜。きみは杉下のこと、すごく好きみたいね。」
  「あんたと違って杉下さんは嘘をつかないからよ。」
  「あら。それ、きみが言う?」
  「どういう意味よ。」
  「自分が何者なのか、言ってないんでしょ?杉下はおろか、きみの大事な、春樹くんにも。」
  「!!」
足元から大地が崩れていくような気がした。
  「……なん…… 」
  「八年前に出会った時から。再会した今も。自分が何を身の内に飼ってるか、言ってないんでしょ?」
  「…… 」
めまいがした。ふらりとよろけて一歩下がって支えた。
  「きみが抱える最大の秘密。それをどうしても春樹くんには言えない。それ、どうしてだかわかる?怜。」
  「うるさい… 」
  「もし真実を知ったら、春樹くんはきみを忌み嫌うからだよ。桐生院怜。」
  「…っ!!」
顔を背けた年若い乙女。その顎をぐいと掴み持ち上げた。
  「それ、きみ自身が一番よくわかってることだもんねえ、怜。」
朝の爽やかな空気の中で不穏に睨みあう二人。道を行き交う勤め人たちが一瞬不思議そうな顔を向けるがあまりの剣呑さに慌てて顔を背ける。
  「あの男はけっして受け入れられやしませんよ。きみが抱える、その重すぎる荷物。それを分かち合えるほど彼自身に余裕がないし、そもそも彼は土壇場の重圧にからきし弱い。エリートにありがちの、挫折を知らない温室育ちのお坊ちゃんだからねえ。」
  「彼を貶められるほどあんたはえらかないわよ小野田…!」
言ってもまるで信憑性がない。怜自身が気付いていたそれは大河内春樹の弱点であり現状であり真実だからだ。
  「もしきみの真実(ほんとう)が彼に知れたら。彼はきみを避けるだろうね。ともだちだから名前で呼べって、言ったのにね。」
  「… 」
涙を必死になって堪えていた。あの日の大河内の笑顔がよぎる。それが目の前の声だけは優しい小野田とダブる。有り得ない。
  「僕がしたよりももっと酷い事だよね、それ。あの時の僕と警察庁長官は、まだましだったと思わない?」
  「…、」
  「きみを飼い慣らしたいと思ってたのは警察だけじゃないんだよ怜。人格を破壊するかロボトミーかどっちがいいか、なんて言ってた輩もいたんだから、きみの人権を尊重しましょって言ってた僕達はとっても紳士的だったと思わない?」
  「だから感謝しろとでも言いたいの、ゲス野郎…!!」
  「その通り。きみの事を大河内君に言わないでいてあげてるのは、僕の、きみに対する愛情ですからね。」
  「…っ、!!」
  「あの頃僕は本当に楽しかったんですよ怜。きみの小さな手が僕に縋ってきたのがほんとうに愛おしかった。」
やめろ、と怜は瞳を閉じる。自分が最初に慕った第三者、それがこの小野田公顕だったなんて全て抹殺したいのに。
  「きみが歩む人生はどうせろくなもんじゃないでしょ?だから夢を見させてあげたかったんだけどね、僕は。」
  「やめろ…」
  「その夢を、春樹くんなら与えてくれるとでも思ったのかな?八年前のきみは。」
そうよ。 怜は心の中で言い放つ。だけどそれ自体が夢だった。それを再会した二ヶ月前、嫌というほど理解してしまった。
  「無理な話だよねえ。あいつは、過去にしか生きていないから。」
  「!!」
怜の瞳が恐怖の色までも帯びてしまった。あら、脅かしすぎちゃったかしら、と手を離す。
  「…ど…どういう…」
  「過去の恋人のこと。きみ、知ってるんでしょ?」
愕然とした。どうしてそれをこの男が知っているのか、理解そのものが出来なかった。
  「誰も知らないと、大河内君は思ってる。きみも思ってたみたいね。でも、僕は八年前当時から知ってたの。」
にっこり笑って怜を見下ろす。そしてね。小野田は続けた。
  「僕が大河内君よりも偉いとか偉くないとかそういう問題じゃなくて。大河内春樹がさっき僕が言ったような人間だからこそ湊哲郎君は死んだんだって、そう言ってるの。」
  「…… 」
そうじゃないわよ。怜は言いたかった。湊哲郎もそういう人間だったからよ。二人揃って現実から逃げたからよ。だから何の関係もない人間を簡単に巻き添えになんか出来たんだわ。大河内を断罪する事だけれど死者を鞭打つ事だけれどそれが真実なのだからと、側杖を食った女達の悲鳴を呪詛の言葉を聞いてしまった怜は声を大にして言いたかった。それでも。
  「…それでもきみは好きなんだねえ。大河内君のことが。」
  「…あんたに関係ないわ…。」
そう、誰の指図も受けない。これは桐生院怜だけの感情なのだから。
 家もしがらみも関係ない。ただの「怜」が八年前から抱く純粋な感情だ。大人になって気付いた知ってしまった様々な醜い側面を、ひっくるめてそれでもなお、大河内を慕っている気持ちに変わりは無かった。嵯峨崎仁が苦く思う未来も怜にはわかっている。だけれどいずれ怜が迎える人生の終焉に、ほんの少しだけ優しいものを抱いて逝きたかった。そんな願いまでも邪魔させない。例え小野田が言う通り、近い未来で大河内に疎まれようとも。
 怜が抱える現実は誰にも理解されない種類のものだった。忌避され封印され続け、千年の昔から一族は日本国家のお荷物だった。小野田が最初に感じたのは同情だったと思う。純然たる優越感からくる同情だ。僕はきみのことはわからない、【だって僕は普通の人間だから】。十三年前言った事は今も変わらなかった。怜の苦悩は小野田にはわからない。理解なんかする気もない。けれどこれだけは聞きたいと思ってきた事がある。ひとつだけ。だからついでに今それを聞いてみる事にした。
  「きみの命は、あと五年程度だよね。」
怜が顔を上げる。何の感情も窺えないのは心を閉ざしてしまったからだろうか。
  「どんな気持ち?期限を切られてカウントダウンしてる毎日って。」
他人が聞いたら口をあんぐりと開けて絶句するような質問だ。だが怜はふふ、と、笑った。青ざめた顔でそれでも笑ってのけたのだ。
  「先が短い命だからこそ未来を信じて、今をせいいっぱい生きてまあす。」
(棒 、とでもつきそうな平坦な口調。
  「とでも言えば満足?」
笑って言ってやった。誰が教えてなどやるものか。こんな男に。こんな恥知らずな人間に。
  「つれないねえ。かつての“公顕くん”に向かって。」
  「ガキを手玉に取った手段がそうそう通じるなんて思わないでちょうだい。」
あの頃の小野田は実にストレート、常に直球勝負だった、怜に対して。何のてらいも隠し立てもなく怜に接していた。それが嘘にまみれた大人しか周りにいなかった怜にとってどれだけ清々しかったか、小野田は全く理解していない、皮肉にも。