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【相棒】(二次小説) 深淵の月・らせん

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  「…ねえ怜。」
  「なによ。」
  「ひとつだけ、忠告しておくけどね。」
  「だからなによ。」
  「大河内君とは、早い内に距離を置きなさい。」
瞳が見開く。まさか不可思議なカラスから言われた事と全く同じ事をこの小野田公顕から言われるとは思ってもみなかったからだ。
  「彼は誰の事も見ていない。湊哲郎君だけを見つめている。八年経った今もね。」
  「…知ってるわよそんなこと。」
  「その後ろ向きの姿勢は何も生み出さないでしょう。先が短いきみにはなおさら良くない相手ですよ。キリュウの血筋にとって何か大切なものを彼が手にしたらしいけど、それでもです。早い内に彼から離れなさい。」
  「ちょっ!」
慌てた。なんだってそんなトップシークレットをこの男が知っているのだ。
  「あんたなんでそんなことまで…!!」
  「その事自体は問題じゃないでしょう。問題は大河内春樹がその切り札を手にしてしまっているという事です。」
  「どういう意味よ、それ…。」
  「肝心な局面で何の役にも立たない人間が切り札を手にしてどうするのって話だからですよ、怜。」
よくもまあここまでズケズケと、と怜は今度こそ口をあんぐりと開けた。というか仮にも大河内は警察庁からの出向組、即ち小野田の部下でもあるのだ。その部下をここまでこきおろすってどんだけえげつないのよこの男?と怜は呆れて物が言えない。
  「…ご忠告ありがとうって言いたいけど。私達、全然それをあてにしてないのよ。」
  「わたしたち?それって桐生院の人たちってことかしら。」
  「そう。この際だから言っとくけど、その切り札っていうのは鬚切のことよ。」
小野田の瞳が見開く。へえ、驚いてる、と怜は可笑しくなった。この小野田が驚いた所など見た事がなかったからだ。
  「あら。鬚切だったの。すごいじゃない?」
  「そう考えるのが普通かしらね。けど、私達にとってはてんであてにならない代物なのよ。」
  「あてにならない。どうして?」
  「とんでもなくきまぐれな刀だからよ。」
ふふ、と笑って両手を広げた。そのまま髪をかき上げて小野田に語った。
  「鬚切はね。持ち主を自分で選ぶの。しかも肝心の時にいない事の方が多いっていう、まるで遊び人みたいな刀なのよ。」
  「あらまあ。」
  「第一ここ三百年あまりは全く出現して来なかったのよ、先々代のおばあさまの代でどれだけ彼女が探したか、言って聞かせられるものなら正座させて説教したいくらいよ。」
  「ずいぶんと風来坊な刀なのねえ。」
  「寅さんだってあんなに実家にまめに顔出すんだもの、爪の垢煎じて飲めってのよ。」
  「あははは。」
  「だからいきなり春樹くんの許に現れたけど、私達は彼を巻き込むつもりもないし。出来るだけ“そういった事”に関わらないように配慮もしてるわ。私が…」
ここで思わず息を止める怜。
  「…私が、春樹くんの所に顔を出す以外はね。」
  「…そう。」
目の前の女性は絶望している。小野田にはそれがよくわかった。
 翻弄されるばかりの己の運命、それからの逃げ水が否応なく巻き込まれてゆく現実。それは退路を断ち怜自身を追い詰める。逃げようもない現実。夢も希望もない現実。その「現実だけしかない人間」の姿。まだ若いのにねえ、と小野田はしゃらりと考える。愛情のかけらもない感情で。
  「…嘘をつき続けるのは辛くないの?怜。」
  「あんたに言われたくないわ小野田。」
  「誰にも言いませんよ、きみの事は。大河内君にも、杉下にもね。」
  「恩を売られるのは真っ平よ。」
  「売りゃしませんよ。買わせはしますけどね。」
  「最低。」
ふん、と鼻で笑う怜。本当なんだけどね、と小野田は考える。本当にきみの事が愛しいから、言わないんだけど、と。
  「…小野田。」
  「なに?」
 踵を返した小野田を呼び止めた声。それはひどく頼りなく、切なさに充ちていた。だから振り返った、ためらいもなく。
  「あんたが、誠実だった事が、ひとつだけあるわ。」
目を瞠った。そんな事があったとは思えなかったから純粋に驚いた。樹にもたれ俯いていた怜が顔を上げ、まっすぐ小野田を見つめた。
  「あんたは最初に言ったわ。“きみとは友達になれない”って。」
ざあ、と風が抜けた。冬の気配を孕んだそれは二人の間の温度そのままだった。
  「…そうだったかしら?」
  「ええ。きっぱり言ったのよ。“友達にはなれないけど、仲良くしましょう”って。」
  「なんだか矛盾してるね。」
  「そうね。でも、私にはよくわかったわ、その意味が。」
  「そうなの?」
  「ええ。だからあんなにあんたを慕って追いかけたのよ、私。」
  「ふうん?」
逆説的だ。意味がわからなくて首を傾げた。
  「あんたが正直だったからよ。」
ざあっ。再び風が舞った。らせんを描いた風が病葉を巻き上げ怜の髪を跳ね上げる。
  「…正直。」
  「ええ。あの頃の、他の誰よりもね。」
最初から騙していた。成り立ちは嘘だった。それでも“友達にはなれない”と告げたあの言葉は真実だった。その事だけは小野田は正直だった。薄笑いを浮かべてすり寄ってくる者だらけの中で小野田の潔さは他を圧倒していた。
  『自分を拒むセリフが正直者の証だなんてね。』
小野田に向けて微笑んだ怜。それは哀しげで、傷だらけだった。
  「…今も、そうかな。」
また俯いた。その怜に小野田は優しさをかけてやった。
  「杉下には負けるよ。」
顔が上がった。笑っていた。
  「違いないわね。」
ふふふ。
 笑えば魅力的なこの女はそれでも喪服を纏い闇に生きる。そうせざるを得ない現実は残酷だ。
  「だから小野田。頼みがあるわ。」
  「あら。なにかしら。」
  「私がキリュウの流れを止めた後の事を、あんたに任せたいの。」
おや、と体が動いた。まっすぐ向き直って怜に訊ねた。
  「止められるのかな?」
  「止めるわ。絶対に。」
  「そう言い続けて千年…じゃないのかな?桐生院さん。」
  「皮肉は聞かない。どうやるかの手段も聞かないで。返事だけ言ってよ、イエス?ノー?」
  「別にかまわないけど。」
すいと右手を上げた。
  「どう任せたいわけ?」
  「“奴”が消えたからって、私の家族を根絶やしになんてするんじゃないって言ってるの。」
  「あら。」
よくわかってる。小野田は物騒な感慨を抱く。伊達に公安と付き合って成長してないねえと感心した。
  「特に大阪のおじは心配だわ。真っ先に槍玉に揚げられるじゃない。だけど彼は…」
  「そうね。あの不確定要素が一番問題でしょうね。本来イレギュラー中のイレギュラーな存在だから。」
不確定要素。イレギュラー。外部の人間にしてみれば彼はそんな言葉で片付けられてしまう存在なのだ。