【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形1
「まあ自宅の住所まではアテにはしてへんかったけど。」
「アトリエもまあ無理やろなとは思うてたけど。」
〈それにしたって本人の素性くれえはどうにかなるもんなんじゃねえのかい。〉
「「うーーん………。」」
会場のはしっこの窓越しに二人と一羽が途方に暮れる。普通“個展”とはいわば作品販売の為の手段である。特に芸術作品の場合本人の略歴を紹介するのが普通だろう。曰くどこそこの芸大卒。曰くパリに何年留学。これまでの受賞タイトル云々。しかしこと松宮遙、そういった一切のものがこの会場で明かされていない。よく順路の最初や最後にパネルで貼り出されたりしているものだがここにあるのは人形と、買い手のついた「売約済」の札だけだ。ほんまかいなと二人は唖然としたものだ、こんな気色の悪い人形をわざわざ買おうとする人間がいるなどと正気の沙汰とは思えない。しかも結構な価格がついている、それなりの人気という判断は間違ってはいなかったようだ。
「ちゅーかなんでこないなもんが売れんねん、意味わかれへん。」
「や、まさか人間のもん使うてるとは思うてへんのとちゃう…?」
ひそひそと辺りを憚り言葉を交わす。そう、この人形達はあの家で垣間見たものと“同じ”なのだ。即ちサイズの小さなものまで髪には人毛を使い、着せている着物は誰かが使っていた古着なのだった。これはいけない。それをやりたければそれなりの、いやそれなり以上の徹底した祓いが必要なのだ。それをやっていないという事は松宮本人の意志だろうか。多分そうだろう。
「ここのお客さん、誰もわかってへんのかなあ…?」
ぽつりと仁が呟いた。それはもっともな疑問で、先刻から怜もその事をずっと考えていたのだ。
「ちゅーか普通の人間やったら具合悪うなる人かていてるやろ?そんくらいキッツいでこれ。」
「そうやけど…ほんだらなんで皆さんあないにニコニコしてはるん?」
会場にはどうやら松宮のファンらしい人間が沢山いる。というか殆どの客がそうらしい。みな一様に瞳を輝かせ作品に見入っている。それが二人には不思議でならない。柘榴はふんと鼻を(嘴を?)鳴らしたほどだ。
「なんでみんな平気なん…?」
「うーん…カンのええ人やったらまずこの会場の中に入ろうとはせんやろし、とにかくニブい人ばっか来てるっちゅう事か…?」
「それにしてもやで?」
怜と仁は顔を見合わせる。謎がまたひとつ増えてしまった。
受付嬢やスタッフらしき人から松宮遙の人となりを聞き出そうとしてみたがこれも失敗に終わった。来歴や経歴どころかなんと性別すら不明だというのだ。
「そんなアホな。」
「本当なんですよ、ミステリアスな人形作家としても有名です。ある時期突然現れて、次々と魅力的な作品を発表なさったんです。むしろ作品そのものの力量で名前を知られた方ですね。いまどき珍しい方ですよ。」
「…。」
確かにそうだった。ネットがここまで発達した現在、人々の好奇心を充たすのにこれほど最適なツールもあるまい。しかしネットユーザーの追求の手を逃れ松宮遙は未だに顔写真以外の情報を世間に与えてはいない。
「アカン、お手上げや。」
「なんやねんこの周到なまでの隠れっぷりは。」
〈姐さん〉
「せめて出身の学校だけでもわかればええねんけどなあ。」
「あんま使いとうないけど内調か情報通信局当たろか?カンちゃんの命がかかってんねんから背に腹は」
〈姐さん?〉
「って柘榴?怜ならこっちやで?」
仁のツッこみに柘榴は答えなかった。窓越しに会場の中の一点を見据えている。金色(きん)の瞳も白い傷痕の左目もそこを凝視したまま動かない。
「…柘榴?」
〈おめえさん方、聞こえねえかい?〉
「え?」
〈さっきから若けぇ女の声がしやがる。〉
二人目を瞠った。柘榴の視線の先を追えば床の上だ。隅っこの更に奥の方。と、「聞く」に特化した仁の方が怜よりも先に聞こえた。しかし柘榴の言う若い女性の声ではなく何かのノイズのような音だ。
「…なんや。」
「仁、どこかわかる?」
「ああ、多分こっちの…」
言って仁は人形を設置している長机(オフィスで会議によく使われるもの)の下に潜った。スタッフに怜が落し物と誤魔化す間に仁がそれを引っ張り出した。柘榴が体を膨らませ窓の向こうで翼を広げた。
優しい色合いの、片方だけの真珠のイヤリングだった。
急いで会場を出た。かなりの距離を走って遠ざかり、行き交う人の少ない場所を探した。小さくてどこか陰気な児童公園に辿り着き、二人と一羽は顔をつき合わせてそのイヤリングを見つめた。
【…け て】
「聞こえる。」
怜が目を瞠る。仁が頷く。彼には会場を出た瞬間から聞こえていたらしい。仁の掌に乗せた真珠が細かく震えているように見えた。
【た …け、て 】
〈あっしが聞いたのもこの声ですぜ。〉
「柘榴、おまはんには最初っからこんな風に聞こえてたんか?」
〈そうさね。仁にぁ機械みてぇに聞こえてたって言いやしたね。〉
「どういう事やろか。あそこ、何か仕掛けられてたんやろか。」
怜が呟く。そう考えればあの不気味な人形を普通に受け入れていた客達の反応もわかる。ただ柘榴は動物だからその効果が無かったという事だろう。柘榴は怜の肩の上から仁と怜は顔を寄せて、その微かな声を聞こうとした。
【た す、け て】
「仁…もしかしてこの女の人、」
「ああ。多分その通りや、怜。」
〈あの別嬪と同じく、松宮遙とかいう人形師にとっ捕まってるんでしょうぜ。〉
全員の感情がシンクロした。無意識の同調は勢いを持ち、その感情の波が真珠の向こう側に一気に届いた。一瞬イヤリングが震える。
【…だれ…?】
「えっ?」
「うおっ!」
〈姐さん、無事かい?〉
年の功だろうか、柘榴がすぐに反応した。
【ここ どこ … 】
「ねえ、私達の声、聞こえる?あなたはだれ?」
怜が標準語で訊ねる。しばしの沈黙の後震える声が届いた。
【 きょうこ … 】
「キョウコさんか。ええ名前やな。」
「ねえキョウコさん、そこがどこなのか、私達に説明出来る?東京?それとも違うところ?」
それが一番大事だった。場所の特定が出来なければ手も足も出ない。
【…わからない… 】
「あー、アカンか。」
〈あの別嬪と同じ方法で攫われたんなら無理もねえぜ。〉
「じゃ、じゃあキョウコさん、体動かせる?目は開いてる?今の状況、説明出来る?」
怜は嫌な予感がしていた。まさかと思いたいけれどとそれを確かめずにはいられなかった。
【…目…あかない… 立ってる… 】
「…。」
怜と仁、顔を見合わせた。やっぱり、と思った。
あの部屋の、壁一面に立ち尽くしていた人形。あれは人形ではない。人間なのだ。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形1 作家名:イディ