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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形1

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  【 こ わ い … 】
  「キョウコさん、大丈夫や、俺らが助けに行くさかい。あんじょうきばりや?」
  「今その家を探してるの、もうちょっと待ってね、キョウコさん。」
  【…ねむい… 】
  〈こいつぁいけねえ、眠っちまったら奴の思う壺ですぜ。〉
慌てた。ヒーリングにも優れた仁がとりあえずイヤリングを通して気を送った。しかしあまり送りすぎて相手に気取られてもいけない。微妙な加減をしている内に怜がふとパンフレットに目を留めた。
  「ねえ、ああいう作品って普通、売買する時には間に業者が入るわよね?」
  「ん?」
  〈浮世絵を売り捌いてた蔦屋みてぇなもんかい?〉
怜の肩から柘榴が訊ねる。うん、と肩を見上げて白い瞳に頷く。
  「松宮遙の人形も、直に本人が売ってるわけないと思うわ。あの個展だって誰かプロがお膳立てしたんじゃないかな。」
  「ああ。せや、そらトーゼンやわ。」
  「てことは画商みたいな、人形を売買するノウハウを持った会社が一枚噛んでるってことよね?」
自らの思いつきに勢い込んで怜がパンフレットをもう一度読み直す。あ、と声を上げて指差した。
 “柳善堂”。都内に本拠を置く美術品ブローカーの名前が印刷されていた。



 画廊や画商が軒を連ねる銀座の一角。バブルの時期に手痛い目を見た者手堅く堅実な商いをした者、それらの淘汰が終わり新規勢力が台頭してきている昨今、その新旧どちらもがあまりに長い不景気に四苦八苦しているらしく、どこか全体的に冷え込んだ印象を拭えない。怜と仁は“おれら若造には場違いなとこやなあ”と苦笑しながらもその店に足を踏み入れた。
  「いらっしゃいませ。桐生院様、お噂はかねがね…。どうぞこれを機会に手前どもとも親しくお付き合い頂ければと存じます。」
 にこりと商用スマイルで現れたのはせいぜい四十代半ばのすらりとした男だった。表向き「財閥」の形を取っている桐生院の名前は経済界の裏側で密かにそれなりの影響力を持っている。こんな時に重宝するのはめっけもんやなあと現当主の怜はしみじみ思った。なにしろ怜自身はたかが二十歳の小娘なのだ。芸術を扱う繊細な職人、というよりは喰えないビジネスマンといった印象の柳善堂社長・上原は笑顔を貼り付けたまま応接ソファに座った。
  「それで?本日は一体どのようなご用件でしょうか。」
  「松宮遙さんという人形作家なんですが。」
おや、といった顔で目を瞠る。素の表情はなかなかいい男だった。
  「こちらの柳善堂さんが、作品の窓口になっているようですね?」
  「これはお目が高い…。数ある現役人形作家の中で松宮遙をお選びになるとは。」
  〈しゃらくせぇ。〉
外で待機している柘榴のツッこみが二人に同時に届く。まあまあ、と仁が心の中で宥めて怜はにこりと微笑んだ。
  「たまたま個展を拝見したんです。私は今大学で民俗学を専攻しているのですが、松宮さんの製作方法が古い生き人形の過程を守っていらっしゃるようにお見受けしまして。」
  「これは、お若いのに慧眼ですね。さすが桐生院の若きご当主です。」
上原は世辞でも社交辞令でもなく本気でそう言っていた。まさかと二人は訝しんだ、この男も松宮遙のシンパか?
  「…それで、私の研究しているテーマにぜひお知恵を拝借したくて。出来れば作品もいくつか購入させていただきたいですし、よろしかったらこちらの方から松宮さんにご紹介してもらえたらと思って、失礼を承知で伺ったんです。」
にっこり。 美しい怜の笑顔はこんな時にも役に立つ。桐生院の名と権力をふりかざしていながらそれを毛ほども感じさせないという離れ業をやってのけるからだ。この瞬間もそれは如何なく発揮されたのだが。
  「もちろん構いませんよ。ですが、松宮さんは今ちょうど人形製作の時期に入っていましてね。」
  「え?」
  「誰にも会わずにアトリエに篭ってしまうんですよ。ですからお話だけはお通し出来ますが、実際にご本人に会えるとは思えませんねえ。」
  「え、そんなに根つめてしまう方なんですか?」
仁が関西訛りの標準語で訊ねる。ええ、と笑って上原は仁を見た。
  「この製作期間中は私でも松宮さんにはお会い出来ませんよ。電話も取られないので留守電に吹き込むくらいしか出来ませんのでね。」
  「あら、メールのやりとりはなさっておられないんですか?」
  「松宮さんはパソコンを持っておられません。携帯電話もお持ちじゃないんですよ。」
唖然とした。今時なんて大時代的なと現代っ子の二人は顔を見合わせた。妖怪やら霊などという“全く見えない感じない人間”達からすればアナクロとしか言いようのない世界の住人を相手にする二人とて、揃って大学に籍を置き友人もいる。線引きを明確にしてきっちりと現実世界も生きているのだ。してみるとこの松宮遙、やはり世界との繋がりを極端に嫌っていると見て間違いないだろう。
  「では松宮さんと連絡を取るにはどうすればいいんでしょう。」
  「製作期間が終わるのを待つしかありませんねえ。なにしろこちらからどれだけアプローチしても向こうがそれを意に介してくれませんから。」
笑って両手を広げる上原は別にそれに対して何の不満もないらしい。松宮だけが食い扶持の端ではなく彼は彼で忙しい。販売について全権を委任されれば逆に連絡を密にするよりも放っておいてくれた方が有り難い。食えないビジネスマン、やはり商売上手のようだ。
  「それではその製作期間はいつ終わるのでしょう?」
  「さあ、こちらには何とも。なにしろ芸術作品に納期を求めてもね。あちらが満足したらおしまい、という事ですよ。私にはわかりません。」
おいおい。二人揃って心中ツッこんだ。上原の笑顔にしかしハタ、と気付いた、上原はこういった申し出をされる事に慣れているのだと。
 なにしろ松宮遙は謎の人形師、ファンは作家の個人的な事を知りたがるものだ。そしてニュースソースに飢えた記者達も。その矛先は常に上原だという事だ、なにしろ松宮自身は携帯すら持っていないのだから。ああ仕方ない、と二人顔を見合わせた。最後の手段だ。
  「とにかく、松宮さんにこちらから桐生院様の事を申し出ておきますよ。あの方は当方からの紹介でないとどなたにもお会いになりませんから、それでご本人から桐生院様に連絡が行くでしょう。失礼ですが桐生院様の連絡先をこちらに…」
  「すみませんがそれでは間に合いませんの。」
  「は?」
メモを差し出しスーツからクロノスのボールペンを取り出そうとしていた上原が顔を上げた。
  「それは桐生院様の研究レポートに間に合わないという事でしょうか?しかしこちらからはどうしようも…」
  「いいえ。私の友人の命が消えるという意味ですわ。」
  「は!?」
虚を衝かれた一瞬。怜は人差し指を上原の額に突き出した。
  「!!」
驚いた上原の顔が瞬時に茫洋とした顔に変わった。怜は額のチャクラを通してするりと上原の中に侵入したのだった。