【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形2
つ、とそれを目の前の一本の糸に近付ける。ぼっ、と燃え移った炎が糸の行き先を辿る。めらめらと燃え始めた糸はやがて全ての経路に炎を伝えるだろう、しかし怜はそこで一気に炎を噴射させた、まるで火炎放射器のように。
“ゴウッ!”
一瞬で全ての糸に炎がまわった。空間に灯りが点ったように糸の模様が瞬時に浮かび上がる。灼熱に焼かれ糸はぼとぼとと崩れ落ちた。地面に届く前に全てが消え、音も無く白い凶器は消えた。
「伊達に大口を叩いているわけではありませんね。」
松宮の声がした。どこからかはわからない。
「アンタはやっぱり世間知らずや松宮。」
怜がズケッと断じた。
「たかがこの程度で脅しかけとるつもりかいな。」
「おやおや、お気に召さなかったようですね。」
「アンタにかまけとるほど俺らヒマちゃうねん。とっととカンちゃんとキョウコさんもぅてくで。」
「わたしのものよ。」
ざわっと怖気がきた。身勝手で自己中心な、それが故に強烈な強さを持つ欲望が一気に空間を充たしたからだ。人形が立っていない壁の一角から松宮が滲(し)み出してきた。
「わたしのおにんぎょうだ。」
「この人達は人間よ松宮遙。」
怜が標準語で告げた。怒りでゲージが振り切れる寸前だったからだ。
「あんたのおもちゃでも持ち物でもないわ。」
「わたしのものだ!!」
真っ黒い眼球が怜を射抜く。逸らしもせず受け止めて怜は叫んだ。
「仁、二人をお願い!」
「おう!」
「させるか!」
対称(シンメトリー)の方向に飛んだ怜と仁は各々の力を一気に放出した。怜は松宮の獣じみた爪を受け止めそのまま脇に抱え込み腕ごと捻る。仁は人形達の側に跳び見えない盾のような透明のシールドへ両の掌を叩きつけた。
“ゴキッ!” “ビキッ!”
同時に鈍い音が二つ響いた。怜が松宮の腕をへし折り仁が神戸の前のシールドにひびを入れたのだ。しかし松宮は動じず反対の腕を突き出してきた。怜が顔の上に腕をかざして阻止、同時に右足で松宮の左脇腹を蹴った、力一杯。普通の人間なら右方向に吹っ飛ぶほどのエネルギー量にも関わらず松宮はよろけただけで踏み止まった。黒い眼球が持ち上がった時怜が容赦なくその首を倒した。左手で肩を掴み右手でその細首を90度倒したのである。“ごき。”鈍く骨の折れる音がしたが怜は平然とその首ごとねじ切った。
血は出ない。骨も飛び出さない。怜の右斜めからびきびきと細かく何かが砕ける音がする、仁がシールドに多重振動を与え物質構造を崩壊させているのだ。怜がねじ切った首を左へと投げる、汚いものを捨てるように。ぼと、と間の抜けた音がして栗色の髪が跳ねて行った。
「アンタとことん【こすい】性格やなあ松宮。」
侮蔑を篭めて言い放つ。
「あくまでぇも自分は安全な場所にいたいんか。」
「それとも俺らの相手なんか人形さんでかめへんてかあ?」
「「ごっついナメられたもんやなあ。」」
ぶ わ 。
二人の体から光が迸った。それは特殊な空間である「ここ」だからこそ見える光だった。穢れた澱みを祓い死を纏った暗闇を消滅させた。人形たちの頬がほんの一瞬煌いたがそれは涙のように見えた。人形の立っていない幾つかの壁の窪みにも光は届き、そこに黒い輪郭を浮かび上がらせた。松宮である。
「あら、だってハンディあるじゃない。」
暗い窪みから一歩を踏み出して松宮は言った。迸る光が消え始めてもまだ松宮は暗いまま。仏の加護により浄化される筈の来光もこの澱んだ人間には届かないらしい。
「わたしは一人で、あなた達は二人なんだもの。」
「アンタかて一匹ちゃうやん。」
びきびき。砕ける音が少しずつ大きくなってきた。仁の手の向こうで透明のシールドが目に見えてひび割れてきている。
「アンタの相方もとっとと出したったらよろしやん。二匹まとめて相手したるさかい。」
ふふん。相変わらず鼻で笑う怜に松宮の額に青筋が浮かんだ。こうやって怒りを増長させる言葉や行動に簡単に乗ってくる松宮は戦いという側面に於いて全く場数を踏んでいない。そして確かに世間知らずなのだ。世間知らず、それは即ち子供のままという事だ。他者をいたわれない子供。自分だけが世界の中心でいられる恐ろしく残酷な子供。
「…馬鹿な女。その言葉、後悔させてやる…!!」
不敵に笑ったままの怜。その髪がさらさらと揺れ始めた。地面が波打ってきた。突然、何か黒く巨大なモノが地中から突き出してきた。昆虫の足である。節足動物特有の硬質さでそれは土を砕き地面を穿ち、平らかだった土の床を持ち上げ粉々に砕いた。剛毛としか言えない毛が節に絡み対称に生えた四本の足が真っ黒な躯体を持ち上げてきた。巨大だ、とにかく巨大としか言えない。穢れた部屋じゅういっぱいにそいつはその体を充たしたのだから。振り上げるように出現した六本目の足を仁がバク宙でよける。皮肉なことに仁が壊そうとしていたシールドのおかげで気の毒な被害者達の体は無事だった。怜は笑顔を留めたまま出現した蟲を見上げる。その蟲は蜘蛛であった。巨大な地中に潜む暗黒の蜘蛛。
土蜘蛛である。
「あーあ。やっぱわっかりやすい奴っちゃなあ怜。」
「ほんまやなあ、柘榴の言うた通り、まんまやん。ひねりもクソもないわ。」
半ば呆れて怜と仁がツッこむ。別に笑いの話ではない。あんまり簡単に正体を看破出来てしまっていたので心情的に裏拳が出ただけの話だ。
千年前の京の都であちこちに開いていたという道っぱたの穴、それはこの土蜘蛛が仕掛けるエサ獲得の為の罠だった。地中に自らが潜む巣を造り、罠に落ちた人間をそこから通じた次元の通路から自らの元へと引き摺り込み喰らうのだ。中にはこれと狙いを定めた人間だけを連れ去る為に朝方の穴のように指向性を付け、それ以外の生き物がかかるとどこだか知れない“どこか”へ全て吹っ飛ばしてしまうという実にタチの悪い罠を仕掛ける輩もいたそうだ。それだからきっと松宮遙に憑いているのはこの土蜘蛛だろうと物知りで不可思議なカラスは言った。先刻の白い糸でそれが確信に変わった二人には大して驚くにも当たらない、しかしあまりにそのまんまな上にとにかく無駄にでかいので、思わず呆れてツッこんでしまったのだった。
「そういやおまえ図体でかい奴嫌いやったなあ怜。」
「そやねん。どつき甲斐もけたぐり甲斐もないねんもん。」
「その通り、この蜘蛛はちょっとやそっとじゃ倒れないわよ。」
蜘蛛の前に佇んでいた松宮が一歩下がった。また壁の闇の中に染み込んで行った。後に残された巨大な蜘蛛は輝石のような輝きを放つ紅玉の目を戴き二人を見据えていた。じり、と節のついた足が動く。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形2 作家名:イディ