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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形2

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  「カン違いせんとって欲しいなァ…。」
かりかりと頭のてっぺんを掻いて怜がため息をつく。仁が苦笑して両手を腰にあてた。次の瞬間怜の瞳がぎらりと光った。右の拳が目に見えぬほどの早さで繰り出された。
  “ドゴッ!!”
蜘蛛の硬質な筈のボディ、しかも口の辺りに見事にヒットした。捲れるように抉りこんだ黒い躯体、しかし怜の拳はその一発だけでは終わらなかった。両手が目視出来ないほどの早さで矢継ぎ早に繰り出され、まるでガトリングガンのように炸裂する拳は止まらなかった。あまりの勢いに巨大な蜘蛛の体がじりじりと押され後退し、何の攻撃も防御も出来ぬまま黒い躯体が徐々に後ずさりながら持ち上がってきた。薄い色の腹が見えてきた刹那怜がその柔らかい部分を思い切り蹴り上げた。
  “ずん!” “どおん!”
土の天井に叩きつけられピンポン玉が跳ねるように巨大な黒い塊が地面に沈む。土煙が微かに舞って足掻くように蜘蛛の足が地面を掻いた。
 巨大さも重量級の重さも怜には何の問題も無かった、その愚鈍さが軽蔑するほどの弱さに繋がるからだ。
  「なりがでかいと拳も蹴りもまー見事に全部当たってしまいよるんや。こんだけでかかったらマトモに動けへんからよける事も逃げる事も出来ひん。カラダ全部がそのまんま的になってしまいよるんや。」
ぼき、と両の拳を鳴らして怜がケッ、と言い放つ。
  「ほんーまに、おもんない。」
身も蓋も無いが、仁もしれっと言ってのけた。
  「まーなあ、確かにどつき甲斐もけたぐり甲斐もないわなあこんだけでかいと。」
二人の修行時代の凄絶さが窺えるというものだろう。その時二人の脳裏に懐かしい声が響いた。“蜘蛛さんはなあ。”
 蜘蛛は、と怜は思う。“蜘蛛さんは殺したらアカンねんで”、大阪の信子おかんの声がした。天下茶屋のお好み焼き屋のおかみである彼女は田舎育ちの気のいいおばはんで、農家の“しきたり”にも近い家訓を幾つも持っていた。蜘蛛は他の虫を獲ってくれるのだから例えどんなに気色悪ぅても殺したらアカン、ミミズにアオムシアブラムシとは違うんや… 穀物倉庫たる納屋を抱えていた彼女の実家は猫の巣窟というほど大勢の猫を飼っていた。もちろん鼠避けである。猫に限らず犬も鶏も更には猪に青大将までいた事もあるそうだ。いきものたちへの独特の姿勢を持つ彼女の事を大阪のおじ含め怜も仁も大好きだけれど、しかしなんぼなんでも
  「信子おかぁはんもいやや言うやろなあコイツ。」
  「プチンやったり、言わはるやろなあ。」
ぷ、と二人吹き出した。プチンやったりというのは彼女独特の言い回しで「プチンと潰してしまえ」という意味である。スイカに集まる蟻や桜の木からぶら下がる毛虫などにはよくそう言った。ああおかぁはん、二人は思った。おかぁはんのお好み、カンちゃんに食べさしたりたいなあ、と。
   だからこそ。
 土蜘蛛が二人に飛びかかろうと体を持ち上げたその瞬間
  〈――――――――!!!〉
突然響いた柘榴の言葉ではない叫びに即座に反応し跳び退いた。同時に【ズン】と何かが土蜘蛛の上にのしかかった。ぐしゃっと八本の足が一気にひしゃげて腹を土の床に叩きつけられた。目には見えない何かが蜘蛛の体を真上から押し付けているのだ。空気の塊とも言えるがむしろ重力波に近い。巨大な蜘蛛を紙の様にべしゃりと押し潰さんばかりに巨大なG(重力)が局所的に発生している。そう正に「プチンやったり」と信子おかんに言われたように。

  不可思議で頼れるカラス、柘榴が発生させた重力場である。先刻怜と仁が注文した通り、遠慮も制御も皆無のプレッシャー(圧力)であった。

  《 ギ…ギ、ギ… 》
錆びついた機械が無理矢理働かされているような軋む音が蜘蛛の体から発生している。怜と仁は素早く左右に展開しここと思うポイントに立った。そしてちょうど各々が真反対の位置でこくりと頷くと、
  「「おんなぼきゃ」」
ぐ、と二人揃って右の拳をぐっと握った。
  「「べいろしゃのうまかぼだら」」
ぼう、と拳が光る。二人が唱える光明呪に合わせてそれ自体が発光するように。
  「「まにはんどまじんばら」」
一気に握った拳を水平に引き、二人は揃ってその光の拳を蜘蛛の硬い体へと叩きつけた。
  「「はらばりたやうん!」」

    “ ドヴォ!!”

波打つように蜘蛛が上下に震え、次の瞬間その体から白い炎のようなものが一斉に吹き上がった。ひとつふたつではない十以上はある。揃って隊列を組むかのように風のような音をたてて凄い勢いで土の天井へと舞い上がった。

  「みんな、ここに入って!!」

怜が左耳にかかる髪を払い叫ぶ。白い炎達はそれを合図としたようにひとかたまりの一団となって天井から急降下した。怜の耳に“びゅうっ”という風の音が響く、そのひとかたまりは怜の左の耳朶につけた何かに一斉に吸い込まれていった。ひとつずつ物凄い速さで逃げ込むように、そのちいさな白い光目指して一直線に飛んで来る。あまりの勢いにさしもの怜が一歩たじろぐ、しかし踏み止まって全ての炎を「その中」に受け止めた。怜の耳朶できらりと控えめに、けれどとても力強く煌いた白いなにか。
  キョウコが残して行った真珠のイヤリングだった。

  《 ギィヤアアア!! 》

蜘蛛の体のそこかしこから引き千切られたかのような叫びが起きた。それはある意味で正しい、今怜と仁がその硬い体から叩き出したのはここに居並ぶ犠牲者達の魂だからだ。
  「何が好かんて、土蜘蛛言うたら喰らった人間の魂アメ玉みたいにしよんのがいっちゃん好かんねや。」
怜が吐き捨てるように呟く。仁がこくりと頷いて続けた。
  「しかもどんだけ霊力で攻撃しようが真言やら祝詞唱えたところで、その人間の魂達を盾にしよるんやからホンマにタチ悪いわ。」
言いながら仁が柘榴へと合図を送ったらしい、重力場が消えた。目には見えなかったが空気が明らかに振動していた、それが消えたのだ。
  「ケンカもまともにできひんのやったら人様にちょっかいなんか出すなっちゅうねん。」
  「キジも鳴かずば撃たれまいに、なァ。」
にやりと怜と仁が笑う。
  「さあて。」
ぼき、と怜の拳が鳴った。
  「もうこっちに遠慮せなならん弱味ないよってなあ。」
蜘蛛はぴくぴくとその大きな体を震わせていた。
  「アンタ、どないして“料理”したろか?」
凄絶な笑顔だった。殺気を通り越した冷気、神戸の姿を見た時点で既に怜の最初の段階のストッパーは吹っ飛んでしまっている。犠牲になってしまった人たちの魂さえこちらに取り戻せばダメージはそのまま蜘蛛の体に蓄積される。何の遠慮も危惧も要らない、後はただ倒すだけ。