【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形3
「あの医者も女だったわ、バサバサの髪振り乱してシワだらけで、女としての身だしなみなんか一切してないオッサンのなりそこないみたいななりしてるくせに!何の気配りもなく言ったのよあの女!お子さんには卵巣がありませんねって!」
「女性仮性半陰陽いうことか。」
「子宮はあるけど膣は塞がってますとも言ったわ!卵巣ないから生理なんてくるわけありませんねえですって!まるでお前は人間以下だとでもいいたげに鼻で笑って言ったのよあの女!!」
「ひどい医者だったのね。」
それは事実だった。怜の脳裏にオフホワイトの診察室が映った。愕然としてまっさおな顔をした母子に向かって随分ズケズケと酷い言葉を投げる五十代の女医がいた。ああ、更年期障害やったんや、と怜も仁も悟った。これも女性に多い症例だ。最悪の巡り合わせだったとしか言いようがない。
「病気じゃないんだからどうしようもないとも言ったわ!逆に医者の出る幕なんかないんですって!性器の外見的な形成術しかする事はないって、性転換でもないんだからホルモン投与なんか意味がないし、副腎皮質ホルモンの産生異常で半陰陽となっているわけじゃないからそれも意味がないって!私と母は叩き出されるみたいに何の処置もなく放り出されたのよ!!」
「松宮、それはひどい経験をしたとは思うわ。だけどそれを受け止めるしかないじゃない。」
「受け止めたわよ!!」
ぼろ、と大粒の涙が零れた。憎しみではない感情で怜を見据えて言った。
「私の夢は何だったと思ってるのよ…!結婚して母親になること、ただそれだけだったわ…!!」
「「!」」
二人揃って絶句した。自らの子を成すこと、それは女が抱く最大の、そしていっとうささやかな夢でもある筈だから。
「…松宮…。」
同じ“女”として怜はかける言葉がない。ただ松宮とは全く違う理由で怜自身も子を成す事は望めない。五つの頃からそれは棄てた夢だった。
「母親どころか!私は男でも女でもないのよ、なにそれ!?私が、この私が、あんなババアにバカにされたのよ。この美しい私が、誰もが振り返り羨望の眼差しを向けるこの松宮遙が!まるで人間以下だとでも言わんばかりに罵られたのよあんな下衆な女に!!許せなかった、子供が産めないなんてあのババアの嘘に違いないって、私の美しさを妬んで言ったんだって、あらゆる病院を回ったわ!だけど返事はみんなおんなじだった!私には卵巣がない、女でもなきゃ男でもない!この私にあの愚鈍な藪医者どもが揃って言ったわ!お前はそのどっちでもないんだって!!」
「……。」
怜はやはり言葉が無かった。“その瞬間の松宮”にアクセス出来てしまう怜はその時の松宮と母親の心情も肌で理解してしまうからだ。松宮のアイデンティティ、生きていく上での地盤はこの時崩れた。完全に崩壊し跡形も無くなったのだ。そして母親もそれは同じだった。自分が産んだ娘が「娘」ではなかったと知った彼女は正に気が触れたのだ、ある意味で。そして他でもない、松宮遙その人も。
「怜。」
仁が普段と全く変わらない声音で呼んだ。刹那、怜の意識が揺さぶられて“戻って来た”。過去の診察室からこの穢れた地下へ。
「…そう。女でも男でもない、自分のよりどころがなくなって。だれもが振り返り羨望の眼差しを向けるその美貌、綺麗な松宮遙、美人の松宮遙。そこにかじりついたってわけか。」
ふ、と小さくため息が出た。その後の松宮家の泥沼が同時に一気に怜の中を駆け抜けて行ったからだ。元々美貌を鼻にかけ尊大だった子供とそれが生きがいだった母。地元の有力者だった父の世間体を憚る拒絶。親子の修羅場が怜の中身を掻き毟る。きつい。思いやりだの慈愛だのと無縁の家庭はどんな戦場よりもある意味むごい。
「それの何が悪いのよ。美しい顔美しい体、それは特権じゃない。」
あんたもわかるでしょ、とでも言いたげな松宮の表情に嫌悪しか浮かばない。自分の辛くて忘れてしまいたい経験からも仁の授業内容からも得られた怜の信念がある、それは「姿かたちなんて意味がない」だった。皮と肉を削ぎ落としたしゃれこうべにはどの人間にもそうそう変わりなんぞある筈もないのだから。
「その美しい体がぜんぜん美しゅうのうなってきたから腹立ってしゃあないと。」
「現実を受け入れられなくて高校にも行かずひきこもり?」
「中学でバレたんやな。」
仁が怜の側にしゃがみ込み淡々と言った。
「おりものみたいな射精ってやつか。」
きっと松宮が仁を睨んだ。ぶるぶると唇が震えている。敢えてきつい言葉を投げたと怜にはわかっている。
中学校での半陰陽という事実の露呈、それは自業自得とはいえむごい罵声の連打とセットだった。美貌を笠に着て小学校の頃から他者を侮辱し続けてきた松宮はクラスメイトからつるし上げをくらったのだ。有力者の娘という相互の親とのパワーバランスも手伝って、それは正に無意味に虐げられ続けた弱者達の、ある意味で正当な反逆だった。
「…あんた達に何がわかるって言うのよ。」
「松宮。」
「私の腰巾着でしかなかった太ったブス、医者だけじゃなくてあんなブタまで私をバカにしたわ!私は太ってるし美人でもないけど子供は産めるわって!いずれ結婚も出来るし何十年も後には孫だってできる、私はおばあちゃんだけどその時のあんたはおじいちゃんなのかしらおばあちゃんなのかしらって!!この屈辱がお前にわかる!?」
「松宮」
「選んだら良かったやんか松宮。」
弾かれたように松宮が仁を見た。静かな、凪いだ海のような静けさで、松宮の叫びにも過去の罵声にも全く揺さぶられず嵯峨崎仁は松宮遙に告げた。
「自分で選んだら良かったんや松宮。おまえ、それこそお前みたいな半陰陽のお人らにしか与えられへん特権やったんやぞ。」
「え…選ぶ?それが特権ですって?」
「そうよ松宮。最初からそうするつもりだったように女として生きるか、それを諦めて男として生きるか。もしくは、【そのどちらでもない性別】として第三の性を生きるか。あなたは選べばよかったんだわ、松宮。」
「…なん…ですって… 」
怜が立ち上がる。ごう、と風が地面ではない下から舞い上がった。
「…松宮。私からすればあんた、とてつもなく羨ましいわ。」
松宮の瞳が見開いた。どちらでもない性別を知らしめられた時から松宮はそんな事を言われた事がなかった。それまでは羨望の的だった美貌さえも周囲に知られてからは一切誰からも顧みられる事はなかったのだ。
「う、羨ましい?」
「ええそうよ。あんた、ずっと思ってきたでしょ?性別がなかろうがその体は健康だ、死にかけてるわけじゃないんだから五体満足な事へ感謝しろ、そう誰かから言われる度に例え命が危なかろうが死にかけていようがそいつらは男か女かで悩む事はない、生きる上での一番基本の部分で地面に引き摺り倒される事なんかない。そんな奴らに私の気持ちなんかわかる筈がない。そうよね?」
「そうよ!」
「そのセリフ、そっくりそのままあんたに言ってやりたいわ松宮。あんたは【少なくとも人間じゃないの】ってね。」
「はあ!?」
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形3 作家名:イディ