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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形3

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素っ頓狂な叫びになった。バカじゃないのと罵ってやろうとした。けれど次の瞬間総毛立った、怜の背後にまた見えたからだ、あの禍々しく強大なモノが。
  「ひ」
  「松宮。あんたもさっき見えたでしょう?」
怜の髪が下から吹き上げる風に揺れていた。どこから吹いているのかもわからない風だった。怜だけに吹き上げる風だった、隣にいる仁には何の変化もなかった。
  「こいつはね。桐生院の家に千年以上前から取り憑いてる__よ。」
瞳が見開いた。自分も土蜘蛛というバケモノに取り憑かれていたけれど自分以外となると俄かには信じられなかった。風の勢いが増していた、怜の黒髪がばさばさとはためいていた。
  「キリュウの血に取り憑いて歴代の当主の体に巣くってきた。誰にもどうする事も出来ない千年前のバケモノよ。」
  「おかげでこいつの家は千年も前から日本国家のお荷物や。__の正体がえらいもんやしアホみたいに強いよって退治も討伐もできひんねん。それやから桐生院当主には生まれた時から政治が絡んできよんねん、なんでかわかるか松宮?」
ガタガタと体が震えた。冷気が押し寄せてきていた。それ以前にこの存在があまりに忌まわしいのだ、恐ろしくて厭らしくてたまらない。
  「取り憑いてるコイツを個人か国家の自由にしてしまえたら、世界がそいつのもんやからや。」
弾かれたように仁を見た。そんなに?それほどまでの力なのかこいつは?
  「ただコイツは人間なんぞに制御なんかできひん、後付の役割でしかない総理大臣でも自衛隊トップでも無理や。現代兵器のなに持って来てもアカン、一瞬で逆手に取られて逆にその能力を取り込まれてまう。」
  「と、取り込まれる?」
  「兵器の能力を“喰らう”のよ。つまり進化するの。」
目を瞠った。それは退治そのものが無理という事ではないのか、しかも永遠に。
  「それやからもうアタマ押さえつけるしか策がないねん。制御ちゃうけど力や存在を押さえ込めるんは桐生院当主だけや、せやから永田町と桜田門総出でずーっと“器である桐生院当主”を監視しとんねん。国家鎮護のタテマエでな。」
  「このバケモノと桐生院当主が【手を組んで】、【この世を好きにしよう】なんて色気を出さないようにね。」
ふふ、と怜が笑った。昏い、自虐というだけでは足りないほどの、闇の深淵を覗き込んだ笑いだった。
  「その政府筋の奴らからしたらもう桐生院の人間たらバケモンと同じやねん。取り憑かれとるだけやっちゅうのも違いなんかあれへんねんな、ひっくるめて【バケモン】や。怜もそうやけど怜のおかあはんもばーさまもその前の当主達も、みんなお上の人間からはバケモノ扱いやったわ。」
ぐ、と仁の顔が近付いた。その瞳も暗かった。仁は仁で何か業を背負っている、この瞬間松宮にはそれがわかった。

  「…松宮。おまはんから見て、この怜はバケモンか?人間か?」

それ以上ないほど目を見開いた。生きていく中でこんな質問をされるなどと、松宮遙は考えた事もなかったからだ。






 風が舞い上がる。桐生院怜を取り巻きどことも知れない淵から吹き上げて、怜の身体だけを嬲って上方へと消えてゆく。その冷たい風に晒されながら怜は松宮遙を見下ろしていた。冷めた表情で何の感情もなく、ただ目の前の一人の人間・松宮を見つめていた。嵯峨崎仁はその松宮にもう一度問いかける。
  「お前はどっちやと思う?こんな質問迂闊に誰にでも出来んよって、ちゃんと答えてんか、松宮。」
  「…な…」
途方に暮れた。松宮にとってたった今まで怜はただの小生意気な女でしかなかった。それをただ告げればいいのだと、そう思っているのにどうしても出来なかった。
  「私は、あなたが男か女かと聞かれてもわからないわ、松宮。」
弾かれたように怜を見上げる。怜のレザーコートが温かく肩を包んでいる、それなのに松宮は寒い。怜から吹き上げる風が松宮の周りの温度を奪ってゆく。
  「俺もや松宮。けどな、俺はアンタがどっちゃの性別なんかはわからんけども、怜がどっちやいうんはすぐに答えられるんや。」
松宮が仁を見る。
  「それは松宮。コイツが【自分は人間や】って思い定めて生きてるからやねん。」
瞳が見開いた。思わず振り仰いだ怜、その姿は紛うことなく一人の人間の女のそれだった。
  「…思い…定めて… 」
  「そうや。俺は誰が何と言おうとコイツは人間やって言える。どんなけバケモンじみた力持ってようが__に取り憑かれてようが、俺にとってコイツは一人の人間以外のなにもんでもないねん。それはコイツが【自分は人間として生きるという事を選択してる】からや。」
混乱してきた。松宮は額に手を置いて必死に思考を働かせていた。
  「ま、待って、選択してるってどういうこと?人間は人間じゃない、それをわざわざ選ぶだなんて」
  「私は選んでるのよ松宮。毎日二十四時間起きてる間も寝てる時ものべつまくなしに四六時中引っ張られる闇の底へと堕ちるのを、拒み続けてるんだから。」
  「なん」
青ざめて松宮は怜を見上げた。静かに自分を見下ろす怜がいた。憐れみでも優越感でもなく同胞への親近感でもなく。無表情にただ淡々と怜は続けたのだ。
  「気を抜けば__のいる底にすぐに堕ちてしまうわ。拒んで闘って初めて私は人間でいる事が出来る。心の隙間を衝かれて身体も思考も乗っ取られそうになった事も何度もあるわ。そう出来ればどれだけ楽かと考える事も、しょっちゅうあるわ…本当はね。」
ふふ。 今度ははっきり自嘲とわかる笑顔。呆然と見上げる松宮を見下ろして、怜はふっと身体の力を抜いた。風が止んだ。
  「…だけどそれを許したら、私の大切な人たちが地獄を見るわ。それだけじゃない、この国の全ての人間が死に絶える事にもなりかねない。なにしろ現代兵器ってシャレにならないんだもの、広島再びなんて事態になったら今度は日本だけじゃ済まないわ。」
  「しかもそれがボタン一個ででけてまうんやからホンマにシャレならんわ。__の望みは破壊と殺戮、日本は核こそ持ってへんけどミサイルはたんとあるからなあ、この__に自衛隊なんぞ掌握されよったら即座に各国無差別攻撃や。」
  「ちょ…」
  「しかもそれを鉄のカーテンの向こうにお見舞いなんて事になったらあの国、即時報復ですもの。」
  「ヒロシマの何十倍たらいう奴喰らったら狭いニッポン、どないもこないもあれへんわ。一発で国そのものがのうなってまうわなあ。」
  「………。」
唖然として松宮は二人を見比べた。こんな国家的規模に関する軍事戦略なんて話題をあっけらかんと、笑って喋れる二十歳の大学生が信じられない。松宮にとって大学生とは渋谷原宿六本木辺りを闊歩している頭の軽い輩だけだった。