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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形4

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  「…ストーカー…?」
  「うん…。街で、偶然、あのひとと…ぶつかってね…。その時に、助けてって…言われたんだ…。」
  「「……。」」
  「助けて…誰だかわからないひとに、追いかけられてる、って…。」
怜は仁とそっと顔を見合わせた。それが松宮の“手”だったのだ。
  「ちょうど…警視庁の、近くで…。被害届、出しましょう、って…薦めたんだけど…。そのときは、あのひと、とにかく…怖がってて…。」
  「うん…。」
  「話を、聞いてたら、だいぶ…落ち着いて… これからも…相談に、乗って、くれますか…って… アドレスとか、番号とか、交換したんだ…。」
  「…カンちゃん。」
  「おれも、むかし、ストーカーに…酷い目に…遭わされたこと、あるから…。」
再び怜の瞳が見開く。逆に仁は目を閉じて顔を逸らした。「聞く」に長けた彼の能力はひとの過去の叫びを聞いてしまう事が多々あるからだ。
  『仁。知ってたんか?』
問いかけにならないよう苦労した。繋がっている者同士、通信になってしまう事がよくある。
  「だから…あのひとの、怯えが…ひとごとじゃ、なくて…さ…。 」
ふぅ、と長い息を吐いた。神戸の顔のすぐ側に居た柘榴が小さく小首を傾げる。低い位置に居るから神戸自身には見えない彼が、それでもこの“べっぴん”を気遣い心配しているのが怜にはよくわかった。 が。
  「……なのに… あ…んな… 」
 つ、と神戸の右手が上がった。ゆらりと揺れて額を覆った。閉じたままの瞳が更に覆われ彼の苦痛を堪えるかのような表情を隠した。怜は思わず口を開いて神戸に語りかけていた。
  「カンちゃん。…、カンちゃん、あんな?」
  「…」
  「カンちゃん。お願いがあんねん。」
  「…ん…?」
“おねがい”の言葉にニコ、と力無く微笑んだ神戸。右手を外し顔をほんの少し傾けて怜を捉えた。

    「傷つかんとって。」


   神戸の切れ長の瞳が見開いた。






  「…怜ちゃん…?」
  「おねがいや。傷つかんとってカンちゃん。」
  〈怜?〉
 柘榴が声なく問いかけた、怜だけに。けれど怜は必死だった、自分が抱くこの美しい男を“そのまま”で留めていたいと必死だったのだ。
  「もちろんわかってんねや、もうカンちゃんは傷ついてる。騙し討ちくらって危うく死ぬとこやってんや、これでヘラヘラ笑うてられる奴なんかおれへん。それはわかってんねん、けどなあ、」
  「おい怜。」
仁がキョウコを抱いたまま言う。彼女のあの忌まわしい過去を知っている仁は止めようとしたのだろうか。仁にもわからなかった。けれど怜は止まらない、神戸の為に今出来る事をしなければならないのだから。
  「けど、おねがいやから、“そこに留まらんとって”カンちゃん…!」
怜の腕が伸びる。膝の上に抱き上げた神戸の体に触れて、下手をしたらこの世界から背を向けてしまいかねない彼を繋ぎ止めようとしていた。
  「その事実に囚われてしまわんとって!アイツみたいな卑劣な奴のつけた心の傷、いつまでもかまわんとって!」
  「怜ちゃん…。」
  「もうあんな思いすんの嫌や、いうて、目の前で困ってる人見捨てるようなカンちゃんにならんとって。今のまま優しゅうてどこのお人の為にでも涙流してくれるような、自分は顧みんと相手にすっと手ぇ差し伸べてまう、そんな今のまんまの、私らがよう知ってる人のいい、おまけにカッコのよろしい警察官の“神戸尊”でいて欲しいねん…!」
ぎゅ、と怜の手が神戸の着流しの肩口を掴んだ。どこか呆然とした神戸はただ怜の泣き顔を見上げていた。
  「嫌や…!あんな奴に負けんとってカンちゃん…!」
  「負け…る…?」
  「そうや…!カンちゃんなんも悪い事なんかしてへんのに…!あんな奴のせいで自分の生き方まで変えてまうなんて、そんなん松宮に負けるいう事やんか…!!」
  「ガア。」
実に絶妙に合いの手よろしく柘榴が鳴いた。力無く顔を巡らせた神戸は視界の端に痛々しい引き攣れ傷のあるカラスを見た。
  「なあ、お願いやカンちゃん!傷つかんとってこれ以上…!私なんでもするから…!カンちゃん元気になるんやったらなんでもするから…!だから…」
  「だいじょうぶだよ」
  「え… 」
その瞬間怜の頬を涙が伝った。すう、と伸びた軌跡を神戸の指が拭った。
  「大丈夫だよ、怜ちゃん…。今はまだ、ちょっと…さすがに、元気、出ないけどさ…。」
  「カンちゃん…?」
頬にとどまったままの神戸の指。その手を左手で覆って怜は神戸を見つめた。
  「おれは、ひとりじゃないから…。」
怜と、そして仁の瞳も見開いた。
  「むかしとはちがう…おれ、独りじゃ、ないから…」
  「…カンちゃん。」
  「だから、だいじょう…ぶ… すぐに…元気に、な…る… …… 」
はぁ… と長い息を吐いた神戸。そっと閉じた瞳はしばしの休息が必要だと告げていた。
  〈この別嬪は心配いらねぇですぜ怜。〉
柘榴が囁く。怜が泣き濡れた顔のまま柘榴を見た。優雅に毛づくろいを始めたカラスはもう全く神戸の心配をしていないようだった。
  〈存外、つえぇやな。〉
  「せやなあ。」
  「仁。」
  「俺も心配やってんけど。大丈夫やわ。なにしろカンちゃん、上司が上司やからなあ。」
あ、と怜も“わかった”。楽しげに笑う仁をしばらくぼうっと見つめていたが、やがて怜も笑い出した。泣き笑いではあったが。
  「…カンちゃん。」
そっと前髪を払う。綺麗な寝顔は顔色の悪さを差し引いてもやはり美しかった。それは“神戸が生きているからだ”と怜は思う。それが松宮遙と桐生院怜の違い。同じ神戸の美しさを全く違う角度と価値で評価していた、その理由。過酷な現実を生きる覚悟をしている怜と投げ出すばかりだった松宮との、決定的な相違だった。
  「カンちゃん…!」
ぎゅ、と抱き締めた。よかった。本当に良かった。この人を救えて良かった。またこの存在と話せて良かった。留められてよかった、笑顔を見られて良かった。全ての喜びの感情のその先に、心の底からの感謝が湧いてきた。


    ありがとう。生きていてくれてありがとう。助ける事が出来てありがとう、生かして下さってありがとう。まだ友でいさせてくれてありがとう。神戸尊という存在をまだ私達の許にとどめて下さってありがとう。


 何に対してなのかわからない。知らなくてもかまわない知る必要もない、誰かか何かに向けての感謝だった。その相手への賛辞も込めて、ただひたすら怜は神戸の体を抱き締めていた。その実存を確かめるように、そしてそれがこの世界そのものの証明でもあるかのように。
    桐生院怜は神戸尊を抱き締めていた。