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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形4

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  「私や他の警官が何も気付かない内に、また君達が事件を解決してくれた。まったく面目ないが、それでも…言わずにはいられない。」
ちがう。そうじゃない。
 怜の中で凍っていた言葉。考えたくもない最悪の可能性。
いつもの大河内ならまた危険に飛び込んだ自分を叱るはずだ、なのに今こんなに優しい表情で感謝の言葉さえ連ねている。違う、そうじゃない。私にそんな資格はない。
 言えば自らを殺すかもしれない言葉が怜の中の灼熱に焼かれて一気に吹き出してきた。
  「ありがとう怜。君達のおかげで神戸は無事だった。」
  「違う!」
虚を衝かれて微かに揺れた長身。両の拳を握り締めて怜は唇を噛む。
  「違うわ春樹くん…カンちゃんは、ただ誘拐されたんじゃないのよ…!」
  「なに?」
  「カンちゃんは、バケモノに襲われたのよ!」
  「!」
どこか呆けたような表情で怜を見る大河内。それを見たくなくて怜は俯いたまま顔を逸らせた。
  「春樹くん、気付いてるでしょう?あなたが鬚切を手にしてから度々わけもわからない場所に引っ張り出されてるって。その頻度が上がってるって。」
  「…。」
無意識に右手を見つめた大河内。その手の中に確実に在る霊刀、鬚切。
  「そいつが現出してから、歌舞伎町だけでなく、あらゆる場所でバケモノや性質の悪い霊たちの活動範囲が広がってるわ。その霊刀は邪を斬り祓うだけじゃない、自らが“招ぶ”のよ…!獲物に相応しい、妖力の高い悪しきモノを…!!」
  「…怜。」
  「カンちゃんは…私と、鬚切に引き摺られたのよ…!私のせいで、バケモノに攫われた…っ!!」
ゆるゆると首を振り後じさる怜。大河内を拒むように。大河内が内包する忌まわしい刀までも否定するように。だが違う、本当に怜が拒否したいのは他でもない自分自身だった。
  「なんでこの時代なの…?稀代の巫女と言われたおばあさまの時代にもそいつは姿を現さなかった。数えで三百年以上、もう二度とこの世に現出する事なんてないと、私達みんなが思ってたのに…!」
  「怜。」
  「なんで今なの!?なんで春樹くんなの!?そいつは桐生院の血筋にしか憑けない筈だったのよ!」
大河内の瞳が見開く。この刀を手に入れた日の夢をまた鮮やかに思い出す。怜の身体をめった刺しにしていた卑しい鬼、それを斬り祓えと、無言の内に手渡したのは他でもない
  『…湊』
お前だった。
  「私は…」
涙が溢れた。怜の頬を濡らすのは決してそれだけではなかった。彼女が流しているのは血の涙だ。
  「私が、あなたを巻き込んだのよ。」
抑揚も感情もない言葉。
  「あなただけじゃない。鬚切のせいであなたの周りにバケモノが招ばれる。私だけじゃない、あなたの周りの大切な人まで、キリュウの争いに巻き込まれる。」
眼鏡の奥で瞠られた瞳。見たくない。見たくない。
  「あの日からどうにかして鬚切を切り離せないかって、おじさまとおじいさまがずっと調べて下さってたわ…だけど駄目だった。どうしてもその手段が見つからない…!」
  「怜。」

    自分を蔑む大河内春樹の瞳だけは、見たくない。

  「どうして春樹くんなの…!どうして…!」
  「怜!」
  「カンちゃんまで、私が巻き込んだ…!!」
  「怜!!」
くず折れた怜の両手を掴み引き上げた。あまりに細いそれに大河内は愕然とする。あんなに強く鋼のように強靭な精神力を誇る怜の、裏腹すぎるこの弱さ。脆弱な身体の作りにいまさら突きつけられる“女”という存在の脆さ。
  「…怜。」
  「二十人近くも、死んだのよ…ころされた…そんな奴になんで…なんで目ぇつけられるのよ…!よりによってカンちゃんが…っ!!」
  「…。」
それは誰にもわからないことだ。そう言いかけて口を噤んだ。慰めにも気休めにすらなりはしない。
  「…怜。教えてくれ。」
  「… 」
  「神戸は、化け物に襲われたと言ったな。」
  「……。」
こく、と俯いたまま頷いた。昨年怜と再会するまではそういう超常現象なぞの体験が一切無かった大河内にとって、この台詞を言うのはなんだか場違いのような気がする、未だに。怜や仁と違ってあまりにも大河内は“初心者”だからだ。
  「どんな化け物だ?」
  「…え… 」
少しだけ顔が上がった。大河内の掴んだ両手がぴくりと震えた。
  「どんな化け物だったんだ?怜。」
  「…つ…土蜘蛛…。」
  「どんな妖怪だ?」
  「…。」
今度こそ顔が上がった。泣き濡れたまま自分を見上げる美しい少女。笑顔でいて欲しいと常に願う対象は自らを傷つけるのを厭わない。
  「お…おっきい…無駄に大きい、蜘蛛よ…。地面に罠を張って、目当ての人間を異次元に引きずりこんで…魂を飴玉にして…食べるの。」
  「それは嫌な奴だな。」
思わず顔をしかめた。怜が微かに笑った。
  「バケモノにいい奴なんていないわ、春樹くん。」
  「それもそうだな。」
大河内も笑った。傷付くのを厭わない、そんな女の心の傷の治し方。それは。
  「しかし怜。それだと、君と仁君が私の出番をちゃっかり奪ったという事だな?」
それ以上ないほど見開いた大きな瞳。あんぐりと空いた口が一言もなくパクパクと空気を食んだ。
  「は はる  はいっ?」
  「君の言い分だと神戸を捕らえた化け物は私が持っている鬚切が呼んだんだろう?」
  「え えっ !?、や、あの、はる 春樹く ?」
  「ならばその無駄に大きい蜘蛛も私が始末するのが筋というものだろう。」
にっこり。 先刻よりも更に大きく口を開いたまま怜はぱきりと固まった。思考が全てかっ飛んで余白の全部がランダムデータで埋まった。
  「なに  なに、言ってる の 」
  「怜。私は護られる側の人間じゃない。」
目を瞠った。
  「逆だ、怜。私は警察官なんだぞ。」
  「かっ、関係ないわ!バケモノや悪霊相手にするのに警官も自衛官もありゃしないわよ!そんな肩書きなんて何の意味もないって、春樹くんわかってるでしょう!?」
  「思い定めた場所は同じだ。」
絶句した。
  「なぜ警官を選んだか。どうしてそれを生涯の仕事としたか。その心の位置は、同じだ。怜。」
  「…春樹く… 」
  「闘おうと、決めた。その瞬間から私は護る側についたんだ。」
そっと右手を離し頬に触れた。九年前に初めて触れた時と同じ、すべらかで穢れを知らぬ、いや拒む肌。
  「…一人で、背負わないでくれ。怜。」
  「春樹く」
  「あの時、私は…いや、湊も。二人揃って、間違えた。」
血の気が引いた。怜にとって湊哲郎の事はもはや禁忌の域にまで達しているからだ。
  「間違えて…逃げて、その結果、あいつを永遠に失った。」
  「…。」
思わずその頬に置かれた手を掴んだ。掌からも伝わる霊刀の冷たさ。それが怜に大河内の現実を突きつける、それでも。