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【相棒】(二次小説) 深淵の月・わたしの人形はよい人形5

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  「姉は…渡航する前にずっと、言っていたのです。京子、あなたはとても、あぶなっかしいわって。」
クス、と笑う京子。それは苦さも辛さも何もなく、既に過去の情景として京子の中で消化出来ているという証だった。
  「ちっちゃい頃から無鉄砲で、向こう見ずで。やんちゃなくせに淋しがりやで。私が家族揃って向こうに行ってしまったら、一体誰があなたの面倒を見るのかしらって。」
そこで怜と仁、ぷ、と吹き出した。京子の後ろで“オレオレ”、と言わんばかりに堀内が自分の顔を指差していたからだ。
  「空港で、別れ際に…。このイヤリングをつけてくれたの。」
にこりと微笑む。
  「これが私よ、って。」
怜の瞳が見開く。
  「離れていても、これが京子を守るわって。 …ゲン担ぎみたいで、なんだか、おまじないみたいで…。」
  「京子さん…。」
  「それでも、外出の時にはいつも、つけていたの。…本当にこのイヤリングが、私を守ってくれたのよ。怜さん。」
そうでしょ? 怜の心を覗き込むような京子の瞳。
  「だから、今度は私が怜さんを、守りたいの。」
目を瞠った。
  「な 、なんで!?」
  「怜。」
左手で押しとどめようとした仁。けれど怜は言い募った。
  「京子さん、私何も、してないわ!あなたになにも…!」
  「闘ってくれたわ。」
まっすぐ見据えられた。
  「赤の他人の私の為に、お二人揃って命がけで戦ってくれたわ。 …もちろん、お知り合いの神戸さんを救い出す為だけれど、私の事も必死になって守って下さったわ。」
  「それは僕を守る事にもなるんですよ、怜さん。」
弾かれて見上げた。堀内が静かな微笑みで二人を見ていた。
  「京子が行方不明になってからの数日間、僕がどんな思いでいたか。助け出されても生死の境を彷徨っている京子を見て、僕は本当に、気が狂いそうでした。」
  「あなた達が戦って下さって、初めてわたしは命を繋げる事が出来たんです。」
  「そしてそれは、僕の命も繋いでくれたという事です。」
堀内が京子の手を取る。
  「僕の命と人生。それも守って下さったんですよ、お二人が。」
にこりと微笑む美しい対の二人。
  「そのあなた達を、今度は僕たちが守りたい。」
  「もちろん、わたし達にはお二人のような術や強さはありませんわ。だけれど“想い”だけはあります。」
  「京子さ…」
  「怜。」
ぐ、と握られた肩。仁がそれで“伝えてきた”。
  「…仁。」
  「大丈夫や怜。お前が心配してるようなこと、絶対に起こらへん。」
    “なにしろ京子さんの姉ちゃんがついてんねんぞ。”
瞳が見開く。ああそうか、と怜もことりと得心した。
  「なあ。ありがたいことやんか。」
  「…うん。」
  「素直に、もろとこ。な?」
  「…、うん。」
こくん、と子供のように頷いた。顔を上げて怜ははにかんだ笑顔を浮かべた。
  「ありがとう…ございます。」
そして深く頭を下げた。京子も微笑んでいた。まるで妹を見守る姉のように。

  「怜さん、もう少しこちらに来てくれる?わたしにつけさせて。」
  「えっ?えと… はい。」
 どぎまぎして京子のベッドに身を乗り出す怜。こういう事態に慣れていないのだ。
  「まあ怜さん、肌がとても綺麗ね。基礎化粧品は何を使ってるの?」
  「え。えーと、あんまりそういうの使ってないんです。」
  「まあ!それでこのきめの細かさ?体質かしら。遺伝?それになんて色白。本当に綺麗ね、まるで雪みたい。」
  「え?え?? えーと、い、遺伝じゃないかな、母もそんな、肌のトラブルとかって無いって言ってましたから…。」
  「そりゃ若さってやつじゃないかい京子。」
  「それ地雷でっせ堀内っつぁん。」
漫才のような会話をしながらも京子が怜の耳にイヤリングを着ける。そっとさらり流れる髪を払い、形のいい耳を露わにする。そこに控え目に光るふたつの真珠。
  「…よく似合うわ。」
にっこり微笑んでくれた言葉。頬に置かれたままの細い指は母のものでも大河内のものでもない、初めて触れる他者のそれだった。

    優しい、無条件のあたたかさをくれる、指だった。

  「良かったな怜。」
  「仁。」
  「よう似合うで。」
らしからぬ、けれど素直でてらいのない賛辞にちょっと目を瞠った。けれど怜も微笑み、素直に答えた。

  「ありがとう。」

 春のきざしを含んだ陽射しが、部屋の中に溢れていた。









  「神戸君、少し失礼します。花瓶の水を換えてきます。」
  「お願いします杉下さん。」
 にこりと微笑んでドアを閉めた稀有な上司。身の回りの世話をさせてしまうのにもやっと慣れた。神戸尊はふうと息を吐き、起こしたベッドに凭れた。

 二日前に目覚めた神戸は暫くの間何がなんだかわからなかった。多少の記憶の混乱があり、あの地下であった事を半日近く思い出せなかったのだ。それは疲労の程度が極限にまで達していたからで、点滴と投薬でやっと体調が整ってきた頃一気に全てを掌握した。松宮遙の所業を供述し病室での伊丹からの聴取という事態に至り、自分の中でも事件の内容を秩序立てて組み立てる事が出来た。それでも、
  「やっぱわかんねえか。」
  「はあ…。一体どんなクスリや道具を使ったのか、さっぱり…。」
自分をあそこまで“疲労困憊させたしろもの”はなんだったのか、結局神戸にもわからないままだった。居酒屋の前で背後から襲われたのはなんとなくわかる。しかしそこから先の記憶があまりにも曖昧だった。強烈に焼きついているのが「あなたはわたしのおにんぎょう」と楽しげにくちづけてきた松宮遙の唇だ。それを言えば伊丹がぞぞぞと怖気をふるった。「消毒しろ!」と本気で言ったのには笑ったが。
 そして次の強い記憶は杉下右京のとてつもなく心配そうな顔だ。杉下さん。それは伊丹にも杉下にも言っていない、神戸だけの秘密だった。
  「怜ちゃんと仁君が、助けてくれたってのも、なんとなく…。」
  「…なんとなく程度か。」
  「すみません。」
  「謝るこっちゃねえ。生きてりゃそれでいいんだ。」
上等、と真面目に続けた伊丹。神戸は呆けて、そしてまた改めて思った、この人に絶対に嘘も隠し事もしないと。

 それから二日の間、神戸は徹底的に検査をされた。ありとあらゆる検査である。なにごと、と引いてしまった本人はまだ事の重大さをわかっていない。腐敗しない死体の事はまだ神戸にも京子にも告げられていなかった。関係者である堀内と上司の杉下には耳打ちされていたが首を傾げながら臨む本人は知らぬ分未だ呑気だった。“どんな薬物か道具かも不明”な神戸と京子の“衰弱”、それはきっと遺体の腐敗を止めてしまったモノと繋がりがあるだろう。だからこその厳戒態勢であった。
  「きみ、血液検査は苦手でしょう。」
  「俺が痛いの嫌いって知ってますよね?杉下さん。」
んふ、とひきつった笑顔。腕をチューブで絞られざかざかと遠慮なく抜かれていく神戸の血液は命の証だ。そうわかっていても神戸は目を逸らし針の刺さる現実を見て見ぬふり。うう、と子供のようにしかめられた顔に杉下が苦笑するのも無理はなかった。