タイムアフタータイム
いくつかの事後処理を終え、美木杉は一旦関東に戻った。まだまだ瓦礫が多いとはいえ宝多の旗振りで活気を取り戻そうとしている大阪に比べ、見た目上の被害がほとんどない東京はあまりにも変わらなさすぎて美木杉は違和感を覚えた。
「まあ、仕方のない事なんだけどね」
大阪の被害は襲学旅行の際の抗争と大阪市内の地下にあったヌーディストビーチの基地を叩かれたことによるもので、関東において羅暁との戦いがもたらした物的被害はほぼ本能町のみ、その本能町は鬼龍院家の私有地であり実質の治外法権として元々他の地域の人々は何が中で起きていようとも関知しなかった。生命戦維による洗脳にも似た記憶操作の影響もあり、地球存亡の戦いがあったということさえ人々の口の端にも上らない。
程なく指定の場所に付くと、そこには黒塗りのリムジンと鬼龍院家の筆頭執事となった揃三蔵が待っていた。
「お久しぶりでございます、美木杉様」
「すみませんね、僕の我儘で待ち合わせを変えて」
当初は新幹線出口で待つという申し出だったのだが、少し街の様子を見たかった美木杉が時間と場所を指定したのだった。
「とんでもないことでございます、さあ、どうぞ」
シートに身を沈めると、程なくして車は鬼龍院家へと走り出した。エンジン駆動を感じさせない静けさと振動の無さに愛車・裸の流星号と比べて美木杉は微笑んだ。片や動く客室として住環境を最重要視、片や運転の喜びを最重要視、全く作られた目的が違うのだ。
「僕は、自分で運転する方が好きだけどね」
揃に聞こえないよう呟いた美木杉が窓の外を見ると車は既に鬼龍院家の敷地に入っていた。よく手入れされた並木は未知の客を監視しているようにも見えた。
邸内に案内され、客間の一つにて揃の淹れた紅茶を飲み干す直前にこの家の主が現れた。
「お待たせして申し訳ない」
若年ながらも既に新しい当主としてふさわしい風格が鬼龍院皐月からは溢れていた。
「お久しぶりですね。学校生活は如何ですか?」
「学園は仮校舎で授業を再開し、貴方の後は臨時採用の講師が来てくれているので授業に関してはご心配なく」
世界史教師としてのかつての仮の姿に触れられ美木杉は恐縮した。仮の姿とは言え教えた生徒たちが可愛くないと言えば嘘になる。しかし、教師としては替えの利く程度の仕事しかしてこなかった美木杉にとって、現在行っている戦後処理の方が重要で替えの利かない仕事だった。
「お忙しい事だろうから単刀直入に訊こう。何故、紬の大学を買収しようと?」
美木杉の問いに皐月は柳眉を動かすこともせず静かに紅茶を口にした。
「REVOCSの社長は現在名義上だけ重役の一人にしてある。しかし実質の経営責任者は私。会社の不利益を見過ごすことなどできない」
美木杉は呆気に取られた。元々自分が戦後処理をすべて引き受けようと思ったのは流子や皐月に普通の高校生としての生活を取り戻そうとするためだった。今まで羅暁打倒のためだけに生きてきた皐月が、折角のその機会を捨てようというのか。
「絶対的な指導者を失った組織の瓦解は、同じ質量のエネルギーだけでは防げない。『普通の女の子』には荷が重すぎる。貴女が進もうとしている道は、鉄条網で出来た茨の道だよ」
「美木杉さん、貴方は少し考え違いをしている」
静かにカップをソーサーに戻し、テーブルに置くと皐月は微笑んだ。
「私の欲は果てしない。貴方が私に送ってほしいと思っていたであろう『普通の女の子』の生活も、REVOCSがしてきたことの落とし前をつけ、いずれまた訪れるだろう生命戦維の脅威に備えるための道を作っていくことも、どちらも取る。この鬼龍院皐月、やり遂げると決めたからには諦めるつもりなど毛頭ない」
皐月はあくまで穏やかな表情と声で述べたが、かつての傲岸不遜な様子と違わず強固な意志を感じさせた。
『あんたが思ってるより、あいつらは子供じゃない』
美木杉はいつぞやの黄長瀬との電話を思い出していた。自分が大人だと自覚し続けていないと大人らしく振る舞えないという時点で僕はまだまだ青いのかもな、と美木杉は知らず苦笑した。
「そういう頑固なところ、お父上――纏博士に似ている」
彼女の父親である纏一身こと鬼龍院装一郎の名を出すと皐月の目が煌いた。
「あいにく私には五歳までの父の記憶しかない。優しい声と温かい手と――妹が死んだと私に告げた時の悲しげな表情を、覚えている」
「そうだね、貴女が知っているお父上と僕が知っている纏博士とでは、恐らく外見的には別人だ。流子君からも聞いているだろうけれど、マッドサイエンティストの老人と言った風体だった。自分が鬼龍院装一郎だという痕跡を微塵も残さないためだったのだろうけどね」
かつての日々を思い出して、美木杉は遠くの方を眺めた。
「もう十三年経つのか。大学を出たばかりで職の無かった僕が伝手を頼っているうちに纏博士の研究を手伝うようになったのは。見た目通りの偏屈な老人、というのが第一印象だった」
作品名:タイムアフタータイム 作家名:河口