【カイハク】ファム・ファタール
薄暗い室内に、荒い息遣いが響く。
じりじりと影が動き、助けを求めるように手を伸ばした先には、張り付いた笑顔の人形がいた。その美しさを引き立てるドレスと、手に持ったナイフは赤黒く染まっている。
「ハ・・・・・・ク・・・・・・」
シャンピニオン伯爵は掠れた呟きを漏らし、ぐったりと四肢を投げ出した。ぴくりとも動かない身体の下に、不吉な染みが広がっていく。
トレイルは手帳を取り出しながら、内心溜め息をついた。警察官になることは子供の頃からの夢で、今でも職場に向かう時は心地よい高揚感に包まれる。どんなくだらない仕事も、彼は笑顔でこなしてきた。酔っぱらいの世話、迷子の相手、近所同士の些細なトラブル。嫌だと思ったことは一度もない。今日までは。
「お邪魔しまして、申し訳ございません」
目の前の紳士は、構わないと言って手を振った。青い髪こそ奇抜だが、整った顔立ちに印象的な青い目、仕立ての良い服と洗練された仕草。「カイト」という名は恐らく偽名で、どこかの貴族が気まぐれに身を隠しているのだろうと、トレイルは考える。上流階級の者は、こちらの想像を超えた悪ふざけをするものだ。
「何か飲み物でも?」
「いえ、仕事中ですので」
町外れにある屋敷の主人に、事件当日のアリバイを確かめてこいというのが、彼の上司から押し付けられた用件だった。
シャンピニオン伯爵が自宅で襲われ、意識不明の重体となっている。室内を荒らされた形跡はなく、伯爵が執拗に刺されていたこともあって、怨恨ではないかという意見が有力だった。
だが、そこで市民から妙な情報が舞い込んでくる。町外れの屋敷に住む変わり者が、呪いでオートマタを操り、伯爵を襲わせたというのだ。
余りの荒唐無稽さに最初は取り合わなかったものの、地方議員の妻だか妹だか母親だかが大げさに騒ぎ立てた為、上層部に圧力が掛かる。どうにか穏便に済ませたい上司と、余計な人員を割きたくない現場の思惑が一致して、年若く真面目なトレイルが貧乏くじを引かされたのだった。
「シャンピニオン伯爵の件で・・・・・・少し、お話をお伺いしたいのです」
トレイルは内心溜め息をついて、手帳を広げる。
一体、何をどう聞き出せばいいのだろうか。まさか、貴方は呪いで伯爵を襲いましたか、などと聞ける訳もない。大体、伯爵と面識があったかどうかさえ怪しいのに。もし機嫌を損ねたら、容易く自分の職を奪われるだろうと、トレイルは怯えていた。
作品名:【カイハク】ファム・ファタール 作家名:シャオ