輝ける水の都【夏コミ86新刊】
今日自分は司令部で、いつもどおりに振舞えていたはずだ。あの男の前でだって。お決まりの嫌味に小生意気な口答えの応酬をして、自分達に有益そうな情報を入手して、次の目的地を告げて……。至っていつもどおりの行動だ。
けれど最後に男が呼び止めてきたのが想定外だった。
ホークアイが愛犬のブラックハヤテ号を連れてきているというので、会いに行くと席を立ったアルフォンスの後を追い自分も部屋を出ようとした、その時だ。
「鋼の」
ロイの呼ぶ声がした。
「なんだよ、まだ何かあんのかよ」
また小言だろうかと、振り返った。しかし直ぐに振り返るんじゃなかった、と後悔した。
「いや……。気をつけて行ってきたまえ。二人揃って無事に戻って来るのを待っているよ」
それはいつもと同じ台詞ではあった。
だがそう言いながらエドワードを見つめるロイの眼差しは、皮肉げなものなどではなく、未熟な若者を見やる大人の慈愛のようなものでもなく、情愛の籠ったものだった。
エドワードですら、それが一心に自分に向けられているということが分かってしまった。
「アルの身体とオレの手足を取り戻して、銀時計に熨斗を付けて返しにきてやるさ」
エドワードは目を逸らしながらぶっきらぼうにそれだけいうと、ばたんとすごい音をさせて扉を閉め廊下を駆けるように足早に去った。少しでも早くこの場を離れたかった。去りながら、エドワードの胸中には自分では説明のつかないもやもやとしたものが渦巻いていた。
数か月前、エドワード達が司令部を訪れた時のことだった。
「――今何て言った?」
エドワードはロイの言った言葉が理解できずに、思わず聞き返す。
「君のことが好きだと言ったんだ、鋼の。恋愛感情としてという意味で」
ロイは先ほどと同じ言葉を繰り返し、さらに取り違えようがないような説明を付け加えた。
冗談だろ? と笑い飛ばすには真剣過ぎる眼差しで。
「ま、待てよ。何、とち狂ってんだよ。オレ、男だぜ? あんた女たらしのくせに……なに……言って……」
エドワードは狼狽えてしどろもどろになり、いつものように減らず口を叩き返すことができなかった。それでなくても、今は怪我を負っていて身心共に弱っていたところだったので。
訪れた先で起きた騒動に自ら首を突っ込み、最終的に解決に追い込むことができたものの、エドワード自身は暫く入院が必要となる怪我を負ってしまった。
人質を取ったテロリストの立て籠もった倉庫でひと暴れし、犯人を確保し人質が無事解放されたところで古くて脆くなっていた倉庫が錬成の影響で崩れ落ちた。その倉庫の屋上にいたエドワードは落ちて地面に打ち付けられてしまったのだ。その際、生身の左腕に流血を伴う怪我をしたのと胸を強打した。
検査で骨に罅などが入っていないのは確認されていたが、念のため数日安静にして経過観察が必要だと診断された。しかし本人は問題ないと主張して、安静になどしている様子がなかったので、無理やり入院という形をとったというのが本当のところだった。
もちろん東方司令部へ――ロイへ知らせるつもりなどなかったのだが、騒動がかなり大がかりだったこともあって、管轄である東方司令部へ早々に報告があがり、解決の功労者であり被害者となったエドワードの状態のことも当然のようにロイに知れることとなった。
そして軍に忠実な駐在員の計らいなのかロイが圧力をかけたからなのか(恐らく後者に配慮した前者の結果だろう)、イーストシティの軍病院へ転院させるなどという大仰な話になりかけたので、怪我をおして東方司令部へ赴いたのだ。入院先の病院もアルフォンスも全力で止めたにも関わらず。
しかし、大したことはないというアピールのつもりだったその行為は、どうしてかロイの逆鱗に触れてしまったらしい。
怪我は服の下に隠れていて包帯など見えないにも関わらず、エドワードが執務室に入った途端、ロイはいつもなら開口一番に発するいけ好かない嫌味な挨拶もなく表情を無くして一言こう言った。
「血の匂いがするな、鋼の」
そして共に来ていたアルフォンスを連れて退出し、暫く人払いするようにホークアイに告げた。
ホークアイは気遣わしげな視線をロイに投げかけたが、聞く耳を持つつもりがない空気を纏っている様子に結局何も言わず、不安げにエドワードとロイを見比べていたアルフォンスを促して執務室を出ていった。
ロイと二人きりになった執務室で、暫くの間重苦しい沈黙が訪れた。ロイは顔の前で両手を組んだまま目を閉じていたが、静かな怒りを内に潜めているのが感じられたので、エドワードは何も言えずにロイが口を開くのを待つしかなかった。
そうしてようやくロイが目を開き、エドワードの顔をひたと見て発した言葉は――。
「私はね、鋼の。君のことが好きなんだ」
エドワードの耳に飛び込んできた言葉は、しかし最年少国家錬金術師の称号を持つ類い稀な頭脳をもってしても、遠く理解に及ばないものだった。
「すまない。告げるつもりはなかったんだが」
エドワードがうまく言葉を紡げず、口を開きかけては閉じるのを繰り返しているのを見て、ロイは組んでいた指を解き、大きく息を吐きながら上体を傾けて黒革張りの椅子の背に身体を預けた。そして言った。
「こんなことを言われたって君が困るだろうことは承知している。君の一番はアルフォンスの身体を取り戻すことだろうから、私のことについてなど考える余地はないだろう。だが他ならぬ弟が傍にいてなお、自分の身を顧みないというのなら……私のように君の身を本気で案じていて、怪我をしたと聞いたら職権を乱用してでも自分の元に呼び戻したいと思う者もいるのだと知っておいて欲しいんだ」
いや、でも、だから、どうしろと。エドワードの頭の中はぐるぐるとそんな言葉が旋回していたが、考えはちっともまとまらず目を見開いたまま突っ立っているばかりだった。
ロイはその様子に苦笑とも自嘲ともつかぬ笑みを浮かべ、今度はいつもの嫌味な調子を混ぜて説教臭い口調で言った。
「話が飛躍し過ぎたな。すまないね。しかし君も中尉や他の者が君のことを心配しているのは分かっているだろう? 中尉が君のことで泣いたりなどしたら誰にも慰められん。君はそんなことになっても構わないというのかね」
「……あんたらがどうなるかなんて……知ったこっちゃないけど。中尉に泣かれたら、困る、な」
エドワードもようやく反応を返した。
「そうだろう? だからな、何かする時には中尉や……できれば他の奴らの顔でも思い浮かべてくれたまえよ。それ以前に危ないことに首を突っ込むなと言いたいところだが、君には無理のようだからな」
「オレだって危ないことわざわざしようと思ってるわけじゃないぜ。けどさ、知っちゃったらほっとけねーじゃん」
「放っておけないのは君の美徳ではあるが、放っておいてやった方がいい場合も往々にしてあるのだがね。世の中、他人が解決しても意味がないこともあるものだよ」
「わーかった、わかった。オレが悪うござんした! 今度から何かしでかす時はアルと中尉の顔を思い浮かべるようにします。ってこれでいいか?」
「だからそもそも、分かっててしでかすんじゃない」
作品名:輝ける水の都【夏コミ86新刊】 作家名:はろ☆どき