輝ける水の都【夏コミ86新刊】
いつもの掛け合いに戻ってきてエドワードはほっとした。さっきのはきっと、ロイが自分を諌めるためにわざと言ったに違いない。まったく迷惑なことだ。
あんなこと冗談でも言われたら、自分は……。そこまで考えて、はたとエドワードは思考を停止する。自分はなんだと言うんだ?
あんなこと、冗談でなんか言われたら困る。そうとても困るんだ。だって自分は――。
「鋼の」
気づいたらロイが椅子から立ち上がり、自分の目の前まで来ていた。一歩、後ずさりしようと足を後ろに踏み出したが、それ以上行く前にエドワードは動けなくなった。
ロイに、ロイの視線に、縫い止められたように。先ほどのように険しくはないが、至極真剣な眼差しの黒い瞳に。
「先ほど言ったことは本心だ。私は君のことが好きだよ、鋼の。だがそのことが君の人生の邪魔になるのなら、忘れてもらって構わない。けれど、もしできたら……」
そう言ってロイはその場に片膝をつき、遠慮がちにそっとエドワードの手を取った。エドワードの右の機械鎧の鋼の手を。そしてエドワードが拒む様子がないのを見ると、片手で鋼の手を撫でるような仕草をしてから、顔を上げてエドワードに視線を合わせてきた。
「もしもできるなら、君がいつも無事にここへ戻って来るよう願うことは止めないでいて構わないだろうか。私はアルフォンスの身体だけでなく、君のこの手が元に戻ることを心から願っている。そう想うことは許してもらえるだろうか」
この男は子供で男の自分に向かって、こんなに真剣になってなんてことを言うんだろう。そんなの自分にいいだとか駄目だとか言う権利なんてあるわけがない。
「あ、あんたがどう思ったり願ったりするかなんて、あんたの勝手にしたらいいだろ。……ありがたい……ことなんだろうけど……。オレはあんたの言ったことなんか忘れるから」
忘れるんだ。エドワードはそう自分に言い聞かせた。
「それで構わない。……ありがとう」
「な、なんで、ありがとうなんだよ」
「……私もただの人間だからな。そんな風に心の底から想える相手が必要なんだよ」
ロイは立ち上がるとエドワードの手を離し、執務机の方へ戻った。そしてエドワードに退出するよう告げて、そのまま顔を上げずに書類に目を通し始めた。
エドワードにはロイの言っていることがよく分からなかった。それよりも手が離れる瞬間、温もりが去ってしまうようで寂しかったなどと気づかれてはならない。エドワードは自由になった自分の右手をそっと握りしめ、ロイの顔を見ることなく執務室を出た。
扉を閉めた後、そのままそこに立ち尽くすと右手を開いてじっと見つめる。温度など感じぬ機械鎧の手のひらにロイの感触が残っているような気がした。
暫しそうしてぼんやりしていたが、やがてはっと我に返ると踵を返してその場を立ち去った。
再びアルフォンスと合流し東方司令部を去りながら、エドワードはずっと心の中で念じていた。
「あいつの言ったことは忘れる。あいつがあんなこと本気言うはずがない。それにオレはあいつのことなんか考えてる暇はない。オレはあいつのことなんかなんとも思ってない……」
思えば思うほど心の中に彼への想いの欠片が積もってしまっていることに、この時のエドワードは気づこうとしていなかった。多分気づいてしまうことを恐れていたのだろう。
兄弟が二人して去っていくのを見送りながら、ホークアイはほっと溜息をついた。
自分が執務室を出る前に見たロイの表情は妙に険しくて、ストッパーが居ない状況で二人きりにして大丈夫だろうかと危ぶんだのだが、あの様子ならロイも結局大したことは言わなかったのだろう。いや言えなかった、が正しいのだろうか。
自分の上官は表面上の態度はともかく、本心では部下にはともかく上にすら厳しい。だがあの兄弟、特に兄のこととなると特に甘やかしたがる傾向がある。
しかしそんな相手に接し方が分からないのか何なのか、日頃は大抵からかったり嫌味を言ったりと、下手に構い過ぎて失敗しているとしか思えない態度ばかりだ。たまに厳しく諌めて見せても言うことを聞かず、本音交じりに甘いことを言っても本気にされず、まったく見ていてじれったい。
彼のその態度がどんな想いから派生するものなのかまでは、他人の自分には推し量ることなどできないのだけれど。
そうして執務室を訪れてみれば、ロイは一人机に頭を懐かせて凹んでいたのだ。何をどう言ったのかは知らないが、大体自業自得であろうから慰めたりなどしない。
そしてそういう時には仕事に没頭するのが一番です、とばかりに笑顔で書類の山をロイの頭の横に築いたのだった。
作品名:輝ける水の都【夏コミ86新刊】 作家名:はろ☆どき