空想の戦場
夜襲
作戦を決行したのは、数日経った月の薄い夜だった。
ヒューズは戦いで残ったうちから五人を選り抜いて、保護色の防寒コートを身に着けて陣地を出た。時折双眼鏡を使い、敵の夜営の灯りを目指して進んだ。やがて肉眼ではっきりと灯りが見え、敵地の防壁が黒い一本の線のように浮かんで見えた。
線が帯に、帯が壁へと変化していくにつれ、耳の中で泡立つような音が次第に大きく鳴りだし、呼吸を忘れてしまいそうになる。
夜襲をかけるのは久しぶりだった。ヒューズは一度全員を止め、歩哨から死角になる位置の地面の窪みへ仰向けになり、確認するように言った。ある者は殺し、ある者は捕え、あの壁の中の敵は一人も漏らさないこと。そして、捕虜となっている仲間の救出。
漆黒の夜空に、光の粒が凍えて震えている。砂漠の夜は静かだ。誰もが、これから起こすことへの興奮と緊張で昂っている。改めて呼吸を整えてから、ヒューズは言った。
「10数えたら突入。グレイとナッツは俺についてこい。あとの三人は北側へ周って侵入。なるべく銃は撃つな。ナイフを使え」
五人の返事を聞き、ヒューズは体を返して獲物を狙う豹の様に身構えた。時計の秒針に合わせ、読み上げる。
さあ始まる 始まるぞ
「……10!」
足元の砂を蹴って、ヒューズは飛び出した。右手には既に抜き放ったナイフを握られている。二人の部下も続いて突っ込んでいく。
防壁は岩石と板でできていて、大人の腰より少し低い所にあり、機関銃を備えていた。その壁に軽く手をついて飛び越えると、眠っている敵小隊の中に侵入していった。ヒューズは一人を連れ、仲間が囚われているはずの石組みの小屋へ向かった。
暗闇のどこかから、くぐもった悲鳴が聞こえる。熟達した戦士でもなければ、寝込みを襲われては投降する他はあるまい。抵抗したところで、この状況では運良く敵を斃せる確立は低い。相手に少々の傷を負わせるのが精一杯だろう。
仲間の声を聞きつけてか、テント脇の積荷の影から男が現れた。男はいるはずのない敵兵に驚き、担いでいたライフルをこちらへ向けた…刹那。ヒューズのナイフが男の胸を抉っていた。男はそのまま絶命したが、何が起きたのか分からない、というような表情をしていた。
噴き上がった血で顎から胸にかけて濡れたが拭いもせず、見張りのいない小屋へ部下の持ってきた松明を差し入れた。
ヒューズの後ろで、部下が悲鳴とも怒号ともつかない声を上げた。そしてヒューズの体を押しのけて中へ入ろうとするのを、彼は止めた。時計を見る。遂行予定時間まで、あと僅かだ。向こうはもう済んだだろう。そう、泣き崩れそうな部下の腕を引いて戻りかけた時。
物陰から銃声がして、二人は地面に伏せた。はずみで灯りを手放してしまい、辺り一帯薄暗闇に飲まれた。
敵に何人か、正確に動ける者がいたらしい。タン、タンと銃声がいくつも折り重なって響き始める。向こうの四人も銃で応戦しているのか、発砲音の共鳴が大きくなる。
二人は散って、敵はヒューズを追ってきた。巧みに物陰から狙ってくる上、こちらには灯りが乏しく射手の姿さえ見えない。やがて追い詰めたれたか。そう、背中に冷たいものを感じた時だった。
突然、夜空が白く光った。
昼間のように、とはいかないが、マグネシウムの閃光に似た、そのこぼれた残光のようだったが、その時をヒューズは逃さなかった。光がゆっくりと消えるのに合わせ、射手を見つけ、驚いて銃身を振ってくるのを半身を開いてかわし、すぐ胸元に潜り込んで逆手に握ったナイフに全体重をかけた。
射手と目が合った。大きいが、あどけなさの抜けきらない少年だった。黒髪と猫のような眼が、彼をギョッとさせたが、その時にはもう、ナイフは少年の胸を貫いていた。一呼吸置いて、肉の間でナイフを返し引き抜くと、今度は頭から血を被った。少年は苦しげな息と共に大量の血を吐き、何事か呟きながら死んでいった。
「おかあさん」
唇は、そう動いていたように見えた。
捕虜とされていた仲間は、一人も助からなかった。敵兵三十三名のうち二十名の死体は、陣地の真ん中に並べられた。今後の情報を得るために虜囚とした者十三名は、武装解除はもちろん、靴を脱がせてこちらの陣営まで歩かせた。
途中、迎えのトラックが来て、虜囚とヒューズ達をそれぞれ運んだ。
「俺達の他に夜襲の隊があったんですね」
「新型の砲弾でも使ったのかな。さっきの、凄い光だった」
突然降った光に、皆興味があるらしい。キャンプに着くまで話題はそれで持ちきりだった。
ヒューズはトラックの助手席で、暗い砂漠を見つめ、ずっと爪を咬んでいる。