天使への遺言
それはどこかで見たような光景だった。
『あのとき』のマルセルたちは、私だ。そして、クラヴィスが――私。
だが私は違う。
私はこれが、『あのとき』の報いだとは思わない。
当然だ。
当然のことだ。
守護聖として、当たり前の行為であり、願いでもある。
それをこの年若い守護聖たちが……頼りなく思っていた彼らが、自覚と危機感をもって意見しに訪れてきてくれて良かった。
そう――これは、喜ばしいことなのだ。
そう思い至ったとき、自然と笑みがこぼれた。
なのに、何故か執務机の向こうのマルセルの顔色が変わる。引き続きランディも。そしてそっぽを向いていたゼフェルすら驚きのまなざしで私を見ている。
私の笑うのが、それほど驚かれることか?
不審に思いつつ、私は言った。
「そのとおりだ。アンジェリークは女王になるべき者であり、それについてなんら差し障りなどない。だから」
いったん切って、私はきっぱりと告げた。
「私と共に聖地を出るなど、ありえない」
私の言葉に、マルセルとランディは安堵の表情を見せた。だがどうも、完全にすっきりしたという風情ではなさそうだった。一方、ゼフェルは私をにらみつけていた。
「アンジェリークは? あいつの想いはどうなるんだよ!」
なるほど。決してマルセルとランディの二人と意を同じくして来たわけではなかったらしい。
「おい、ゼフェル! おまえ、アンジェリークが女王陛下にならなくてもいいのか?」
小声で言っているらしいが、ランディの声は実によく通る。
「んなワケ、ねーだろ! オレだってアンジェリークが女王になればいいって思ってる」
「ならば問題はなかろう、それに」二人の言い合いを遮って私は言う。「彼女については……一時の迷いであろう。私はいわば良き相談相手であったから、気が動転しているだけだ」
その私の言葉に文句をつけようとせんばかりに口を開きかけたゼフェルへ、私は穏やかに付け加える。
「もし、アンジェリークにまだ迷いがあるようなら、こう伝えよ――『おまえだけを必要とする者がいる』とな。こう言えばきっと、彼女もこれから自分が何を為すべきかわかるであろう」
「何だよ、それ」
そう言うゼフェルに、私は微笑む。途端に狼狽えた表情をするのはやめてもらいたいが、構わず私は続ける。
「これは私と、アンジェリークとの間で言い交わしたこと。この言葉を胸に、アンジェリークはエリューシオンとフェリシアの危機を救った。だから、彼女がこの言葉から背を向けるはずがない。何故なら」
三人の顔を見回して私は、彼らに言い聞かせるように告げた。
「民という存在がアンジェリークを……女王陛下を必要としているのだから」
マルセルやランディだけでなく、ゼフェルまで呆然とした顔をしている。おかしなことは申していないつもりだが、まあもう良い。
「心配するな。それより……よくアンジェリークを……新女王を盛り上げてくれ。良いな」
もう、守護聖としては何もしてやれない私の分もな。
最初の勢いはどこへやら、まるで毒気を抜かれたかのようにおとなしくなって――まだゼフェルは納得がいかないようであったが――三人は私の執務室を去ろうとしていた。扉まで見送るべく共に向かう際、マルセルが私の方を見上げた。
「明日の歓送会……いろいろ企画しているんです。楽しみにしていてくださいね」そう言うとマルセルは、何故かすがるような目で私に向かってなおも言う。「あの、ぜひ、いらしてくださいね」
ああ、わかったと応えると、ようやく彼らしい笑顔を浮かべ、頭を深々と下げて、同じく礼をしたランディと、相変わらず何も挨拶しないゼフェルと――ああ、手を挙げて「じゃあなっ」ぐらいは言ったか。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
執務に戻るべく、机の方へ行く途中にある鏡に映った私の顔に目がいった。
ああ、まだ私は笑っている――あの者たちときたら、私の笑うのがそれほど珍しいか?
それは確かに、ずっと厳しく接してはきたけれど――
もう、ひとりになったので良いか、と思い、笑みを消した。
そう。もう、ひとりだ。
歓送会などと……今さら、去りゆく私に何を施すことがある。
それに明日、アンジェリークが来る……女王をやめて私についていくなど言語道断だ。宇宙を、民を、うち捨てて私についてくるなど思いも寄らない。
新しい光の守護聖。
新しい女王陛下の御代。
もはや私の出る幕ではない――
そこまで思った私の中で、かちり、と音がした。
すでに私の中にサクリアはなく、ここに留まっているいわれもない――私は聖地ではもう……必要のない者なのだから。
ならば、早々に立ち去るべきだ。それに……せいせいする者も多かろう。
そうしてその夜、私は聖地を後にした。
誰ひとりとして、見送る者はいなかった。
呆気ないが、存外そういうものだろう。