天使への遺言
「やだ、ジュリアス様! 怒るの、やめてくださいね。まるで私が密告したみたいじゃないですか」
「職務怠慢にも程がある、女王候補が訪ねているのに居眠っているなど!」
「女王候補が訪ねて質問しているのに、答えてくださらない守護聖様もいらっしゃいますけど?」
すかさず、やられた。
「だから」
質問は質問でも、私が答えるのは育成に関することだと言おうとする気力もまた萎えた。そして、それを見透かすかのようにおまえは顔を綻ばせる。それほど、私が質問に答えるのが嬉しいものなのか?
「今度からは自分でやりますから」
「当たり前だ」
そうしてまた私は嘆息することになる。
「ならば……しばし待て、この書類の処理を済ませてからだ」
「はい、わかりました」
いたって素直に頷くと、おまえは椅子に深く座り直した。私は、いつものように羽根ペンを持つと、渡された書類に署名をしたり疑問点を記して返したりと、ようやっと従来どおり執務に取りかかることができた。
とはいえ、せっかく目の前に居るのだからと私は、執務をしつつ、これまた毎度の繰り言を告げる。
「……アンジェリーク」
「はい?」
「おまえはいったい、いつになったら扉を開ける前にノックをするという行為を覚えるのだ?」
「え、やってますよぉ?」
「三度に一度、ぐらいか。それにたとえノックしたからとはいえ、おまえの場合、こちらが扉を開いたとたん駆け込んでくるではないか。良いか、入っても良いと言われて初めて入るのが礼儀だ、良いな」
「はーい」
まるで気のない返事をするのも毎度のことだ。
だが私は、おまえが他の守護聖の部屋を訪れているところに通りかかったことがあるが、きちんとノックをし、中から扉が開かれるのを待っている様子を見ている。やればできるのに、何故、よりによって私のもとに来るときはやらないのだろう……もうやる必要はないとでも思っているのか……? 毎日、ほぼ同じ時間帯にやってくるからか?。まあ確かに、先程のゼフェルの物真似にはさすがに驚いたようだが、それ以外では私の側仕えたちも、この破天荒な女王候補の行為にうろたえることなく対応し、近頃はいきなり飛び込んでくる前に扉を開くまでになってしまった。それもまた、おまえを増長させている原因かもしれぬ。いらぬ気は遣わぬよう注意しておくべきか。
そのような、つまらぬことを思いつつ私も、やがて執務に集中しはじめ、しばらくは目の前の書類に没頭していたが、机の向かい側があまりにも静かなので、もしやそれこそ眠っているのでは(『あの者』のように!)と思い、顔を上げてみた。すると、こちらを見つめているおまえと目が合った。
はっとして私が何か言おうとする前に、叫んだのはおまえのほうだった。
「あ、あの、あの、その羽根ペン、とっても、素敵です、ね!」
何をいきなり言い出すかと思えば。
「とくに何の変哲もないペンだが……」
「か……書きやすいんですか?」
何を狼狽えているのだろうと思いつつペンをインク壺に挿して浸し、再び書類に署名を書き入れながら「ああ」と答えて頷いた。「ずっとこうしてきたからな」
「そういえば」
「何だ?」
まだ羽根ペンの話が続いていると思い、うっかり返事をした私におまえは、ごくごく普通の態度でこう尋ねた。
「ジュリアス様の理想の女性ってどんな人ですか?」
「……は?」
思わずペンを動かす手を止めて私は、おまえを見た。今、数式についての質問以上に、訳のわからない質問をしてきた……ように思ったが気のせいか?
「だからー、理想の女性のタイプですよー」
どうも、気のせいではなかったらしい。
それが、羽根ペンの話とどうつながるのかと問うことはたやすいが、どうやら私も側仕えたち同様、おまえの、良く言えば天衣無縫、率直に申せば傍若無人ともいえる振る舞いに慣れてしまったらしい。それにどうせ「女王候補からの質問」なのだから、数式であろうと理想の女性だろうと答えざるを得ないのだろうし。だからもう、書類のほうに頭を切り換えながら「美しさと優しさと賢さを兼ね備えた女性」だと答えておいた。理想なのだから、別段これで構わぬだろう。
「……苦手なタイプは?」
「不作法な女性だな」
書類の処理をしつつ私は、先程からおまえに振り回されている感があったので、こちらも少しぐらい溜飲を下げても良かろうと思い、あえてこう答えた。もっとも私のこのような回答など、おまえからすればさして効くものでもなかろう。
ところが。
それきり何も言ってこないので滞りなく執務を続行できたのだが、あまりにも静かなので気になり、ふと顔を上げると、おまえは本や筆記具を片付け、椅子から立ち上がったところだった。
「……アンジ」
「あ、質問はもういいです。ありがとうございました」
辛うじて下げたらしい頭のつむじとリボンだけを私に見せ、おまえはさっと身を翻したかと思うともう扉へと向かっていた。
「……アンジェリーク!」
私も立ち上がり、声をかけたけれど、おまえは振り返ることなく控えの者の開く扉の向こうへと消えていった。
残された私は、思わず書類を渡すべく脇に控えていた者を見た。無論、彼の者が私に対し何も言いはしないけれど、目が雄弁に、今のは過言ではと非難している……ような気がした。