EL高校の一年間 新学期・入学式編
下駄箱周辺は、夏のバーゲンセールのような混みようだった。ルッチは人と人の間を器用にすり抜け、自分の教室へ向かうことにした。彼(というより彼ら)は凡人離れした能力を身につけた人間。これくらたやすい。しかし、いくら体術が優れていても、どうにもならないことは多々あるのだ。たとえそれが、ルッチであったとしても。
シルクハットのイケメンは、鞄を提げたまま廊下に立ち尽くしていた。
「ハットリ、二年三組の教室はどこかわかるか」
「クルッポー?」
ハトのハットリは首をかしげる。
そうだ、ハットリに言っても意味はない。自分よ、心を乱すな。それくらい、カクたちに聞けばわかる。
振り向くと、同級生たちは靴を履き替えている最中だった。廊下に出てくるのを待って、ルッチは三人に尋ねた。
「おまえら、二年三組はどこにあるんだ」
カクとカリファとジャブラは、揃って顔をひきつらせた。そして、示しを合わせたように首を横に振った。
「ルッチなら知ってると思ったけど……」
「この学校はいろいろ複雑じゃからのう」
カクは地平線まで続きそうな廊下を眺め、呟く。
彼と言うとおり、彼らの通うEL高校は、東京ドームを建てようとしていた場所に間違えて学校を造ってしまったくらいに広いのだ。ここに勤めて十年の古株事務員以外は、地図がないとなかなか目的地にたどり着けないくらいである。特に、二号棟の特別教室棟は。ルッチもここに入学した一年前は、一年六組と主だった移動教室と体育館、それから食堂と便所の場所を覚えるだけで精一杯だった。
それはカクたちも同じらしく、学校の人気者たちは廊下で困り果てていた。
「おれとしたことが……」
シルクハットを深くかぶって傷つくルッチに、ハットリが慰めるように一声鳴く。それで、四人は少し癒やされた。
しかし、ほのぼのな気分をぶち壊しにする男が、カリファの背後霊のように立っていた。
「お、おまえら、久しぶりだな! 元気にしてたか? おれもいろいろ元気だぞ」
酸素のように軽く、よく通る声。ルッチたちは、背中の筋肉を硬直させた。
本物の幽霊を見るように、おそるおそる振り返ったカリファ。そこに立っていたのは。
「やっぱりルッチか! それに、カクとカリファとジャブラ。おまえら元気にしてたのか、よかったよかった」
同じことを二度も繰り返し、勝手に納得して頷く男。このタイプは、ルッチが知りうる中ではひとりしか存在しない。むしろ二人も三人もいないでほしい。
やはり、あの男だ。極めつけは、彼の側にでんと居座っている
陸上最大の生物。
「……スパンダムさん」
カリファが、この世の終わりのような声を出した。
ルッチたちの『関わりたくない人物』ナンバーワンを二位に差をつけて独走中の人物。去年も同じクラスであり、今年も強い悪運で三組に降り立った、騒ぎの悪魔。人呼んで「EL高イチの問題児」、または「ゼロ式使い」、たまに「芸人」。様々な異名を持つ彼だった。
ルッチは肩から力が抜け、風船になった気分になった。
「スパンダムさん、教室に行かなくていいんですか」
ルッチがあえてスパンダムに話しかけると、スパンダムはルッチの勇気をこっぱみじんにした。
「場所がわかんないんだよ! ルッチ、早くおれを連れてけ!」
「…………」
『呆れさせる』という言葉は、まさしく彼のために作られたに違いない。
『空気読めない』の代名詞であるスパンダムが全員の心境を読み取れるはずもなく、彼は勝手に話を続ける。
「嫌になっちまうよなー。もうちょっと考えて設計してほしいぜ。そう思わねえか? ルッチ」
ルッチルッチ何回言えば気が済むんだよ! うるさいな!
全員の心に同じ言葉が走ったが、ルッチは気を取り直してスパンダムに言葉をかけた。
「事務所へ行きましょう。おばちゃんが道案内をしてくれるはずです」
「そうか? よし、そうしよう! おまえら、おれをそこへ案内しろ!」
とはいっても、事務室はスパンダムのすぐ後ろにある。おばちゃんも、窓口に突如現れた白い壁を見て、象の尻だとは想像しないだろう。
ここでちょうどいい機会なので、この迷惑極まりない男について少し説明を加えよう。名前はスパンダム。苗字は……どうだっていい。知らずとも、これからの人生において困ることは何一つない。
しかし、彼の正体を把握しておくことは、のちのち彼の驚異を把握する上で役に立つだろう。もっとも、良い方向に役立つとは限らないが、念のため言っておくが、幼なじみに敬語を使われるほどの人物というわけではない。
あの男は、とある道場主の御曹司なのだ。それ故に金持ちで、スパンダムの父親はEL学園に工事資金をずいぶん出したという話である。ついでに賄賂も贈ったという黒い噂も立っているが、嘘か真かわからない。でも、スパンダムの父親ならやりかねない。残念ながら、彼はその父親の教育を受けて育ったのだ。
どちらにしろ、彼が裕福だということで間違いない。だが、他人の力を己の力と信じ込み、学校にペットの象を連れてきて、親が偉いからといって同級生にも敬語を使わせる男のどこを見て、そんな御曹司御曹司染みた生活を信じられるだろうか。
たしかにそれらしい特技はあるのだが。幼なじみのルッチたちも、他の生徒や教師たちも、それに関してだけは認めざるを得ないのだが。どうも悔しい上に信用したくないのが、ルッチたち三組メンバーの、スパンダムに対する印象である。
と、スパンダムの紹介をしている間に、ルッチらは事務所のおばちゃんから二年三組の教室の場所を聞き出すことに成功したようだ。ルッチたちは即効で頭に叩き込んだが、スパンダムはどうだろうか。どうせころりと忘れているに違いない。彼らは、象をなでながら歩くスパンダムの後ろ姿に向かって、大きなため息をついた。
「あーあ、なんで一年が一階なんだろうな。おれたち二年生なのに二階だぜ? 普通年上優先だろ」
「静かにしてください」
終始ぼやき続ける男を連れて、どうにかこうにか二年三組の教室にたどり着いた。ルッチ、カク、ジャブラ、カリファ、スパンダムが扉を開けて中を覗くと、そこは去年とまったく同じ内装が施されていた。
EL高校はマンモス校とは呼べないが、『大きい』か『小さい』か聞かれると『大きい』方である、程度の学校である。だが、教室内は県立高校と変わりない内装だ。つまり、黒板と教卓があり、四十脚の椅子と机がセットで並んでおり、教室の後ろの壁に掲示がされているということである。だが、それは他の教室の話。二年三組は違った。
まず、机の数からしておかしい。少人数制を採用していない学校だというのに、生徒の机は全部で八脚。しかもそのうち三つがいやに大きい。一般的な椅子の三倍くらいである。だがルッチたちにとっては、それはもう慣れっこではあるが。去年も同じ構造だったからだ。
今回も教室の後ろに、ハットリ用の鳥かごが設置されている。ルッチはハットリのその中に入れた。賢いハトはおとなしく、進んでそこに収まった。
作品名:EL高校の一年間 新学期・入学式編 作家名:よっしー