ビューティーオブファシナトゥール
時の君が資質を得て陰術の館に戻ると、もうすでにそこに彼はいなかった。だが、美しいたたずまいの妖魔の姿は、旅が終わった後でも彼の脳裏に焼き付いていたのである。
リージョンは広い。そして、時の君に人脈はほとんどない。旅の仲間たちとも、戦いの終局の混乱にまぎれ、ひっそりと別れた。
願わくば彼の姿をもう一度見たい、もっと欲を言うならもう一度会いたい。更に許されるならば妖魔の君の権限を駆使して自分のリージョンに持ちかえり、もっといえばいっそ寵姫にしてしまいたい。
と、ここまで考えて時の君は針の城の門の前でかぶりを振った。
禁欲主義の自分が、いったいどうしたというのか。
公正な目で、審査員をつとめるのだ。今はその事だけを考えよう。
決意を固め、時の君は針の城の門をくぐった。
コンテストで一体何をさせられるのか、当日になるまで知らされていない。ただ、持ち物に勝負服を一着、とあったので、サイレンスは勝負服をルイ・ヴィトンの「ペガス」にしまい込み、控え室の扉を開けた。出場者控え室は、バロックな城内の装飾に似合わず、何故か扉に筆文字で「ご出場者ご控え室」と張り紙がされ、しかも中は畳敷きだった。部屋の壁は前面鏡である。 中には既に何人かの妖魔たちが控えている。
そのうちの一人が、鏡を見ながら紅い目に青いコンタクトを入れている。その隣の空いている場所に、サイレンスはスーツケースを置き、出場時間まで待つことにした。
「君も大会に出るのかい?」
コンタクトを入れ終わった妖魔が、サイレンスに声をかけてきた。サイレンスは頷いた。
「そう。ボクはブルー。各地をまわって資質を集めているんだよ」
サイレンスは気付いた。ブルーが人間であることを。だが、ここで糾弾するのは面倒だったので黙っておいた。どうせ審査員にはすぐばれてしまうだろう。
しばらくして、城内放送が鳴り響いた。
「ビューティーオブファシナトゥールに参加される皆様、玉座の間へお越し下さい。繰り返します。 ビューティーオブファシナトゥールに参加される皆様、玉座の間へお越し下さい」
玉座の間には、数十人の妖魔がひしめいていた。これだけの数の上級妖魔を見るのははじめてだ。クーロンの妖魔医師の姿も見える。
「おや、君はIRPO隊員のサイレンス君じゃないか」
妖魔医師が、サイレンスに気付いて声をかけてきた。ヒューズの捜査に同行した際、名前を聞いた事があったはずなのだが、思い出せない。
「君もこの大会に出るとはね…私も気が進まなかったんだがね、なにせ賞金が出る。それに、もしかしたらこの大会で怪我人や病人が出るかもしれないし…うふふふ」
眼鏡の中心を指で押さえて笑うその姿は、美しいというよりはむしろ変態だ。
「おっと、審査員が現れたようだね。今年は、3人の妖魔の君が審査をするらしいよ」
妖魔医師が示した先に、審査員をつとめる妖魔の君たちが姿を現していた。
「皆様、ようこそビューティーオブファシナトゥールへ。こちらにおわしますのは、バラの守護者、美しき方、ファッション気違い、無慈悲でGO、その他色々の異名を持つ…」
アナウンスをつとめる寵姫が異名を紹介する辺りは、わざわざ照明を落とし、BGMまで生音で鳴らすという徹底ぶりだ。
舞台の中心を照明が照らす。
「魅惑の君、オルロワージュ様!」
中央には、全身をバラの棘と花でデコーティングしたオルロワージュが、マグダラのマリアに「我に触れるな」と告げる聖人のようなポーズで現れた。そのあまりの美しさに、参加者のうちの何人かは気絶した。
「皆、誠意を尽くして余の美の祭典にのぞむがよい」
参加者の間から、歓声が上がった。
「オルロワージュ様は、こたびの大会の審査員長をおつとめになられます。ああ、なんという幸せ…!」
参加者たちからも、ため息が漏れた。サイレンスにはわけがわからない。
「次にご紹介いたしますのは、花火の君…あ、違いましたか、指輪の君、ヴァジュイール様〜」
オルロワージュの時ほどは落ちるが、背景に花火が上がり、美しい連携の映像が宙に映し出され、「う、美しい―ッ!!!」と絶叫しながらヴァジュイールが舞台に登場した。指輪の君の名は有名なのだろう。あちこちから拍手が起こっている。
拍手の嵐の中、寵姫はあからさまにやる気のない声で、最後の審査員を紹介した。
「えーと、最後に時の君っていう人。一応、妖魔の君です」
サイレンスは、舞台の端のほうに、3人目の審査員がいるのが見えた。しかし、あまりに他の二人の演出が派手で、顔までは確認できなかった。そもそも、時の君という名前も聞いたことがない。周囲の妖魔たちも、「時の君って誰だ?」「ケスクセ時の君?」と言い合っている。
時の君、と呼ばれた妖魔は、とりあえずという感じで姿を現した。
「美は妖魔の生に活力を与える…私は人呼んで時の君。ところで話は変わるが、実はこのたび、私が開発した時術に関する本を出版する事にー…」
「はい皆様、それでは第一次審査に入りまーす!!」
時の君の紹介を華麗にぶった切り、二人目の寵姫が説明を始めた。
「第一次審査はくじびきです。運も美のうち、これからくじ引きがまわってきますので、1枚ずつ引いて下さい」
黒騎士たちがくじ引きをいれた箱を持って廻って来た。実は、このくじ引きは運試しなどではなく、複雑な内面を有する者のみが当たりの出る仕組みとなっているのだが、、参加した妖魔たちには知る由もない。
サイレンスもくじを引いた。
表面を見ると、紫のバラが印刷されていた。
「ほほう、君も紫だね。私もだ」
サイレンスのくじを覗きこんだ妖魔医師が、サイレンスに紫のバラを見せた。周囲では、青だのピンクだの黒だのというバラの色を申告する声がざわめきとなって聞こえてくる。
果たして、当たりくじは紫のバラであった。オルロワージュが長いまつげをバシバシと瞬かせながら言った。
「紫のバラを引いた者は、幸運なる第2次審査への通過者たちだ。外れた者はまだまだ美への執着が足らぬと知れ」
外れた妖魔たちは、恥じ入りながら針の城を出ていった。または、観客となるべくミルファークのチケット売り場へ並んだ。
サイレンスはカードをじっと見た。できれば第1次審査でとっとと落ちて帰りたかったのだ。
この大会、思ったよりも長くかかりそうだ…
流れる紫の暗雲を見上げ、サイレンスはため息をついた。
さて、時の君は、高まる鼓動をそのままに、せわしなくバラ園を歩き回っていた。
ーやはり…やはり美しい……
先ほど、舞台で(途中で強制終了させられたが)紹介に預かったとき、彼の目は1点に吸い寄せられた。
彼が想ってやまなかった、オーンブルで出会った妖魔そのひとに。
帰らなかったところをみると、彼は第1次審査に通過したようだ。当たり前だ。彼が通過しなければ、あの場にいたどんな妖魔だって落選だ。
彼の名はなんというのか、どこに住み、何をしているのか、時の君は気になって仕方がない。
ーそうだ、控え室に行ってみよう。
公正な審査をしようという意気込みなど、アンドロメダ星雲あたりまで飛んでいってしまったらしい。時の君は控え室に向かう扉を開いた。
「ちょっとあんた」
すれ違ったミルファークに呼びとめられた。
「何か?」
作品名:ビューティーオブファシナトゥール 作家名:さらさらみさ