氷花の指輪
「こ…これが、セイレーン…なの…?」
柱の影から、様子をうかがっていたマスターが
人魚のようなセイレーンの姿を見て、少しショックを受けているようだ。
こういう姿だということを知らなかったのだろうか。
一時同じ名前を持ったものとして、少し親近感を持っていたのかもしれない。
期待は裏切られたようだが。
とはいえ大きい。尾の先まで測ったらマスターの身長の2倍はゆうにあるだろう。
マスターの背中には、濃紺の鎧甲冑とマントを羽織ったバラクルの姿がある。
見るたびにその威風堂々たる姿には圧倒される。
「わはは!見た目が似ているからついたあだ名じゃないんだから、
気にするな?」
「う…うん……。ありがとう?」
降霊憑依状態のバラクルが、
マスター自身の手を使ってマスターの頭をポンポンと叩きながら軽く慰めているようだ。
慰めになっているかは別として。
身体を自由に動かされるのも大変そうだ。
下から上へと上っていく不思議な水流の中、
優雅に泳ぐ、セイレーン姿はとても美しかった。
その美しさは、マスターに通じるものがあると思ったが、
そんなこと言い出せる雰囲気ではない…。
「街の人からの依頼は、セイレーンの卵の奪取です。
卵を守ろうという母性本能で狂暴になってしまっている彼女たちを倒し、
卵を奪って、これ以上の繁殖を防ぎたいそうです。」
「……。」
依頼内容を確認したマスターが、先手必勝、
セイレーンに向かって、百鬼死霊を召喚する夜行魂を投げようと構えるが……。
「……ダメだ!
やっぱりセイレーンを倒すことなど、私にはできない!
ニコラス!どうしても倒すというなら私を倒してからにしろ!」
マスターが、ばっと両手を広げ立ちはだかる。
えー……。
セイレーンに抱いているのは親近感どころじゃなかったのか?
キャラクターが変わってしまっているじゃないですか。
「ま、マスター。お気を確かに……。」
「お!?面白そうだな。おい、王子かかってこい!
セイレーンは儂らが守る!」
バラクルまで悪乗りして、マスターの背中で構える。
「私だけ敵扱いですかっ!?
もう…仕方ないですね。
ちょっとバラクル王とも戦ってみたかったですし、
お手合わせ願いまっ……。」
スコーン!
私の頭にマスターが投げたワンドが命中した。
「こらっそこっ!ワンドは投げる物ではないと言ったでしょう!って
短剣も駄目ですよ!!」
マスターは短剣の柄にかけていた手を離し、
膝からガクッと崩れ、地に手をついた。
「ニコラス……。セイレーンは愛する卵を守っているんでしょう?
愛するものを守っているだけなのに、
なんで存在まで否定されなきゃいけないんだ!
同じじゃないか!
ニコラスを守っていた私と同じじゃないかぁ……。
ニコラスは卵ってことじゃないかーー!」
私は卵なんですか……。
マスターは喚きながら、ワンドを戻しに近寄った私に膝立ちで掴みかかる。
涙目で見上げるマスター。
バラクル憑依の影響かいつもより強い力に首を引かれて、驚いて見下ろす私。
顔が…近い……。
「……あっ……。」
その状況に気づいたとたん、みるみる赤くなっていくマスターの顔。
長くとがった黒妖精の細い耳の先まで、ほんのり色づいているように見える。
私の服をぎゅっとつかんでいた手をゆっくり離し、
力なくうつむく。
「……。ダンジョンから出ましょうか……。
いくつか達成できない依頼があるのも、たまにはいいでしょう…。」
「……うん。」
セイレーンを残し、出口に向かう私たち。
マスターの背の濃紺の影がつぶやく…。
「……えーー。儂のこの昂りはどうしたらいいんかな……。」
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彼女の半歩後ろを歩きながら考える。
彼女が私に向ける強い思いの正体について。
それは、私を守るという気持ちなのだと思う。
セイレーンとその卵のように。親と子のように。
……死霊術師と死霊のように?
彼女のそれは愛というには辛すぎて、義務というには重すぎる……。
そんな異常なほどの気迫と、異常なほどの覚悟がある。
バラクル初憑依の時も、そして今も、私を守っていたと言った。
そのせいでひどい仕打ちを受けた……とも。
もしかしたら彼女は5年前、私をその身に受け入れてからずっと、
私のことを守ってくれているのではないだろうか。
何から? 何のために?
……どうか話してほしい。どうか隠さないでほしい。
今、こうして共に歩けるようになった私は、もう一緒に戦える。
その細い身体を支えることもできる。一緒に重みを背負うこともできる。
彼女は私を守ったその対価に、何を望んでいるのだろう。
私は彼女への代償に何を差し出すことができるのだろう。
向かい風に抗うように進む彼女の姿。
その背中は何も語ってはくれない。