氷花の指輪
彼女の身体をそっとなでる。
慈しむように。愛おしむように。
彼女自身の手を使って。
初めて出会った頃より大分背も高くなった。
美しく流れる金の髪は、もうとっくにあの時切った場所も分からない。
大人びた顔は、吸い付くように柔らかいのに、少しやつれているようだ。
耳と細い首は相変わらず敏感で。
腕と脚には、少し筋肉がついたようだ。
細くくびれた腰と対照的な胸のふくらみが、大人の女を感じさせるようになった。
もう出会ったころの子供のお前ではない。
もう囚われていたころの悲惨なお前ではない。
もう耐えていたころの悲壮なお前でなくていい。
「……んん。バラクル。くすぐったい……。」
我も忘れて、彼女の身体を感じていたようだ。
「あ、す、すまん。
でも今の声ちょっと良かったな。もう一回……。」
「もうっ!調子に乗るな!」
そういって、手のコントロールを取り戻される。
もったいなかったな……。
「ふう。やっぱり身体を動かすのはいいね。
最近眠れなかったんだけど、今夜は眠れそうな気がするよ。
……というか、今眠い……。」
ぐーっと身体を伸ばす彼女。
「昼寝でもしていったらどうだ?」
「うーん。そうするかな。
何かあったら、体動かして起こして……。」
そういって、決闘場の板張りの床に猫のように丸くなる。
ジャケットをかけて、大事な短剣を抱いて。
「これは、寝たというより、気を失ったといったほうが
正しいのではないか……。」
ちょっと無防備すぎる状態に、周囲の索敵に注意を向ける。
うん?ああ、この近づいてくる霊魂は、ニコラスだ。
「マスター。休んでてくださいって言ったのに
こんなところにいたんですか……?」
「しー。今ちょうど休んだところだ。」
ニコラスは、床で丸まっている彼女を見て驚いていた。
ニコラスが来たなら任せよう。
彼女の霊力の無駄遣いにならないよう、霊魂の状態に戻る。
「あれ?ご自分で憑依を解くことができるんですか?」
(ん?当然だろう。お前だってそれくらい……。
あ、いや、お前はできないな。すまん。)
ニコラスが不思議そうな顔をしている。
この話題はよくない。あとで彼女に怒られる。
(姫さん、最近眠れていないようなんだ。
ちょっとだけ寝かせてやろうと思うのだが……。)
「はい……。今はあまり、動かさない方がよさそうですので、
毛布でもとってきますよ。」
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ニコラスが、彼女の身体にふんわりと毛布を掛けてやる。
眉を寄せて険しい顔をしていた彼女が、
少しくすぐったそうに微笑んだ気がした。
「これで少しは体調が回復すればいいのですが…。」
(そうだな……。)
王子は気づいていない。
いや、王子は知らないのだ。
彼女がこんな当たり前の日々を手に入れるために
犠牲にしたものを、犠牲にしようとしているものを。
(なあ、王子。お前、姫さんのこと……。)
本当に愛しているか?
本心から愛しているか?
嘘偽りなく愛しているか?
「?」
(いや、なんでもない。
お前たち、初ちゅーのあと全く進展がないみたいだから
どうなってるのかなと思ってな。)
「なっ。……特に何もないですよ。
私にとって、マスターはマスターなのですから、
これ以上、どんな進展があるというのですか……。」
彼女がなぜ、頑なに口をつぐむのか、理解できない。
彼に全て話して、彼の自由も愛も、何もかもを何の遠慮もなく享受すればいい。
その権利が彼女にはあるはずだ。
過去の契約などに、もう縛られる必要などないというのに。
「ん……。ニコラス、どこ?」
彼女が寝ぼけて声を上げる。
彼女は寝ているときに、自分の中にニコラスがいないことをひどく怖がる。
「マスター。私ならここに。」
「ニコラスいたぁ…。」
そういって、自分の近くに膝をついたニコラスの首に抱きつく。
「ちょ、ちょっと、マスター!」
その状態でまた、気を失ったように寝る。
ニコラスの目の前には、彼女のはだけた首とうなじがさらされている。
ニコラスの喉がゴクリとなる。
「……バラクル王、あの……助けてください。
このままだと……私が……気を失ってしまいそうです……。」
(わはは!お前、姫さんの首、好きだったもんな。
うむ。首にキスするくらいなら、儂が許そう。)
「何でそんなこと知ってるんですか!?
冗談言わないでください!
仕方ない、いったん起こしますよ。」
(もう少しこのままでいいのに。お前が面白いから。)
真っ赤になって慌てているニコラスの反応は面白かったのだが、
本当にもう少しこのままでいてやってほしいと思った。
強情なわが娘は、気を失っている時くらいしか素直になれないんだから。
「マスター。起きてくださいー。」
ニコラスが情けない声を出しながら、彼女の肩を揺らして起こす。
「……ん?……たしかお昼寝しようと思って…。
あっ!ニコラスおかえり!ん?どうしたの?顔真っ赤だよ。」
「あっ。いえっ。
あの、いつもあまりこのような薄着?をなさらないので
目のやり場に、困るといいますか……。」
彼女は自分自身の恰好を見て、真面目な顔で言った。
「この『白いほうの肌』なら、ニコラスに見られても構わないよ。
綺麗だと思うんだけど。」
「綺麗ですから、私が構うんです。もう!」
そういて、ニコラスがジャケットを彼女に押し付ける。
(うぶなんだな。王子のくせに……。)
「王子のくせにってなんですか。」
「あ、そうだニコラス!これ『氷棘』ね!試し斬りしてたんだよ!」
「お、お話はあとでじっくり聞きますから、
とりあえずシャツのボタンをとめて、ジャケット着てくださいって!」
「もー。ニコラスは王子のくせにうぶなんだからー。」
「マスターまで!?意味わかって言ってます!?」
たまらず三人で笑う。いや、一人と二体で笑う。
愛しい娘が、その愛する男の前で笑う。
張り裂けそうな心で笑っている。
人の一生なんて、死霊からしたら一瞬の輝きだ。
彼女の場合、それが輝きではなく闇の爆発であり、
他より少し短かった、というだけだ。
それなのに、いやだからこそ。
きっと最初で、きっと最後の愛しい娘が、
絶望にその霊魂の花を散らす前に、
裏切り者の自分がしてやれることを探したい……。
後悔しかもたぬ自分がしてやれることを見つけたい……。