氷花の指輪
10.狂気の救いの手
――― 3年前。
「「……その声なき歌声に、彼らは酔いしれ惑わされ、次々と狂っていった。
いつしかその美しい少女はこう呼ばれるようになった。
『サイレントセイレーン』と。
狂った男たちが熱望するものは、彼女の守る大海原に眠る宝。
それは、たった一人の男の魂なのだ。」
……ふん。この号外の記事、すごく面白いねー。
クライス。今度、この記者、呼んでくれる?……殺すから。
あ、間違えた。黒妖精新聞にも寄稿いただこうと思って。」
「参謀…。ものすごくつまらなそうに読んでおいて…。
それにあなたは、黒妖精新聞、
いつもパズルのところしか見ないじゃないですか。」
秘書のクライスから、温かい紅茶を受け取り、
街で配られていた、くだらない号外新聞を読んだ苛立ちを流し去る。
本当にくだらない。
「そのサイレントなんちゃらのせいで、仕事が全く片付かない。
もう何人目だ?
大公どもが揃いも揃ってロリコンだとは思わなかったよ。
小娘一人に狂わされて……。
こんなこと、女王側に知れたら、いい笑いものだ。」
笑いもので済めばよいが、よい攻撃の的になりそうだ。
それに、その娘の素性が、2年ほど前に殺したと報告した娘だと分かったら
糾弾されるのは間違いない。
「はい…。大公たちは、ご自宅で療養中とのことですが、
かなり深く呪われているようで、公務復帰は当分難しいかと…。
他にも、牢番やら給仕やらにも、体調不良を訴える者が多く、
勤務時間を調整するなどで対応しています。」
ローグでも死霊術師でもない、たったひとりの黒妖精の娘が、
こんなに影響を与えるとは、誤算だった。
「もうさ、その娘、さっさと殺しちゃえば?
中の霊魂?ニコラス王子だっけ?それもいらないでしょ。
クライス、殺してきてくれない?」
「む、無茶言わないでくださいよ。
それに、今はアルザ公がご執心のご様子ですし…。」
「ふん。あのじじいか。年甲斐もなく…。
そいつは、いいや。さっさと呪われてしまえ。」
クライスが慌てたように周囲を確認する。
ここは、黒妖精長老の参謀の執務室だ。
どんなに大声で、しゃべろうがわめこうが、声も思念も外に漏れるはずもない。
「報告資料は見たが、
あらかた実験という実験?拷問という拷問は試したらしいな。
私の作った薬も使われたらしいが、効かなかったそうじゃないか。
もっと強いのをくれとか連絡がきたが、
あれは、一口で5人は廃人にできるはずのものだったんだ。
自分たちで飲んでみろと言ってやったよ。」
まあ、よい実験台だったと思って、
せいぜい、薬の改良、いや毒の改悪はさせてもらうがね。
「あと、自分たちだけでは飽き足らず、罪人どもを使って犯させたとか?
よくもあんなボロボロのガキの身体で楽しめるもんだな。
それでも結局、その娘の精神は壊れず、中の王子に手が届かないばかりか、
逆に呪われるとか。あー聞いているだけで呪われそうだ。」
執務机で不機嫌そうに頬杖をついている私を見て、
クライスが心配そうに、声をかける。
「……このままだと本当に公務に支障が出ますね。
参謀殿もこれ以上のお仕事の肩代わりは、控えていただかないと……。」
確かに、ちょっとこれ以上仕事が増えるのはごめんだ。
趣味のパズルと特殊霊魂の研究の時間が、ほとんど取れなくて
ただでさえイライラして仕事の質が落ちていると感じているのに。
「そういえば、参謀はまだ、
そのサイレントセイレーンには会っていないんですよね?」
「見に行こうかと思った時にはもう、仕事が忙しすぎて暇がなくなった。
そういえば、そいつに会いに行くのを
そいつに邪魔されていることになるのか。…なんか腹立たしいな。
まあ、もうひとりふたり呪われたら、文句の一つでも言いに行くさ。」