氷花の指輪
彼に話していないことは、山ほどある。
その中でも、一番罪深い事実。
それは、契約のことだ。ニコラスとの契約。
そうこれは、ちゃんとした死霊術師と死霊の契約ではない。
なぜなら、彼の霊魂を手に入れた時、私は死霊術師ではなかったから。
死霊術師でなければ、他者の霊魂を受け入れ使役するようなことはできない。
死霊術師ではない私が、どうやって彼の霊魂を手に入れることができたか。
それは実に簡単な、呪いだったのだ。
私は、ローグの見習いとして姉の元で
遊びの延長のように訓練を受けながら育った。
人並み外れたスピードはあるのに、
それ以外の身体の使い方や武器の扱いがからきし駄目で、
姉も大分苦労していただろう。
姉と言っても血のつがなりはない。
私は、大転移という大きな天変地異が起きた時、
突然、子供の姿でこの世界に現れたらしい。
これは『先生』の仮説だが、私は別の並行世界の存在で、
大転移により生じた時空のゆがみで転移してきたのではないか。
その際、もしかしたら容姿や、年齢などにも変化があり、
記憶もなくしているのではないか。と。
そんな私の面倒を見てくれたのが、姉だった。
私の生まれ持った才能、
もしくは別の世界から持ってきた能力が、呪いだった。
死霊術師が、霊魂を受け入れ、それを力に変える術としての『呪い』ではなく、
純粋に対象の精神に、畏怖や恐怖の種をまき、暗示をかける呪い。
戦闘のセンスのない私が、そのスピードだけを生かして、
敵の懐に潜り込み、敵と目を合わせる。
そのほんの一瞬のすきさえあれば、敵は必ず怯む。そこを討つ。
ずっとそんな戦い方をしていた。
なかなか上達しない短剣の技より、呪いの精度、確度、深度は飛躍的に伸びていき、
姉からはよく、死霊術師の方が向いているかもね、などとからかわれた。
中でも、媒介となるアイテムを使って条件付けする呪いが得意だった。
たとえば、敵にナイフを投擲し、刺さった状態の敵の目を見て呪う。
声に出す必要はない。ナイフを通じて敵の精神に呪いと暗示をかける。
「私がいいというまで、そのナイフを抜かないでください。
そうしないと、そのナイフを抜いた瞬間、死にますよ。」
呪われた敵は、どうしてもナイフを抜けなくなる。
無理に抗い、抜いてしまうと、
実際はナイフの傷ぐらいでは死にはしなないはずなのに
死ぬと思い込まされたことで、本当に死んでしまうのだ。
そう、私はそれと同じことをニコラスにした。
姉の形見の指輪を使って。
あの時の死への恐怖と彼への熱望が、傲慢で愚かな私を誘った。
彼の綺麗な目をじっと見て、私は心の中で呪った。
「今からあなたに指輪をつけます。この指輪は私にしか外せません。
この指輪が呪いの媒介となります。
この指輪があなたの元にある間、
あなたは、私の召喚霊のように振舞わなければなりません。
私が死霊術師。あなたは私の死霊。
あなたは私の中に取り込まれ、私と共に生きてください。
私のことを好きになって、私のことを愛してください。
その代り私はあなたをどんな脅威からも守ります。
呪いの有効期限は、二人で月夜に雪が降るのを見るまで。
何らかの理由で指輪が外れた場合、または私が死んだ場合
あなたはこの洞窟へ戻ることになります。」
これがニコラスとの契約、呪いの真実。
呪いがかかったとたん、彼はすんなり私の中に取り込まれた。
彼はあっけなく私の中に閉じ込められた。
死霊術師としての訓練も受けていない私の中に。
相手は死霊だ。
死霊に指輪をつけることができるのか、
そもそも、死霊を呪うことができるのか。
……そんな不安を感じていたから、呪いの成功を自分自身が一番驚いた。
彼がもし、半実体化した思念体の状態で洞窟に居なかったら…。
私がもし、死霊術師というものの存在を知らなかったら…。
彼がもし、月夜にキノコの胞子の舞う空を見上げていなかったら…。
私がもし、あの洞窟に近くにいなかったら…。
私がもし、呪いの力を持っていなかったら……。
偶然という単語と運命という単語、どちらが適切なのだろう。
奇跡という単語と悲劇という単語、どちらが正しいのだろう。
……彼にとって。
子供だった私は、すぐに驚く気持ちを忘れ、
彼が自分のものになったことをとても喜んだ。
だが、すぐに自分の間違いに気づいた。
そう。彼は死霊術師である私の死霊になった。
死霊術師ではない私は、彼を降霊できないのだ。その術を知らないのだから。
呪いを解呪しようにも、媒介の指輪は彼の手にある。
だから、死霊術師になるしか彼と共に生きる方法がなかった。
一般的な死霊術師と死霊の霊魂の結びつきとしては
異例な結びつきをしているのはそのせいだ。
だが、私を捕えていた死霊術師たちは誰もこれに気づかなかった。
ただ一人、先生を除いて。
他の死霊術師たちが、ニコラスの霊魂を傷つけずに取り出そうとしたのに対し、
先生は、ニコラスの霊魂を壊れても構わないから取り除こうとした。
その微妙なアプローチの違いだったのかもしれない。
別の世界から来たらしい私の霊魂があまりにも特殊だったのが
よいカモフラージュになったこともあるのかもしれない。
私を牢から連れ出し、死霊術を教えてくれた恩人、
そして、バラクルの霊魂を簡単に使役できる先生は
天才であり、狂人だった。
指輪の呪いの存在に気付いた先生は、
その呪いの内容を聞き、面白がって言った。
「君は、傲慢で愚かだ……。
霊魂を呪い、操るなど、冒涜も甚だしい。
……だが、面白い!
今までどんな死霊術師にもできなかった、踏み込めなかった禁忌だ!
流石、別世界の呪いの魔女といったところか。
いいだろう。
君を牢から連れ出した時の約束は守る。
ニコラスを召喚できるようになったら、楽しんでくるといい。
呪われた王子は君の望みどおりの偽りの愛を君にたっぷり注ぎ、
いずれ裏切る君は、その場限りの愛を王子にたっぷり注ぐ。
そうしてふたりは契約に従って愛し合い、共に雪を見る。
その後、私のところに戻らなければならない君は、
用済みとなった王子から指輪を外し、洞窟へ追いやる。
愚かな君のやろうとしていることは、これで間違いないだろう?
ふふふ。その最低さが最高だ!
戻ってきたときの君の霊魂が、絶望と後悔と罪悪感で
どんなふうになっているか、今から楽しみだ。」
先生にそう言われた時、
私の中で何かが音を立てて壊れた。
先生の呪いの解釈が間違っているわけではない。
私がやろうとしたことは、まさしくそういうことだったのだ……。
それでも、もう止まれなかった。
壊れた歯車でも、回し続けるしかなかった。
身体の痛みは私の誇りのはずだった。
でも今は、壊れた歯車が私の誇りを軋ませ、嫌な音を立る。