氷花の指輪
「マスター!何してるんですか!えっ?バラクル王!?」
マスターの部屋に飛び込んでみると、
バラクルが、降霊憑依ではなく、降霊召喚されて実体化している。
そして、ワンドを構えたマスターと狭い部屋の中で相対している。
「ニコラス!そこで、黙ってみてろ!
虐殺のバラクル様に本領発揮してもらって、
今から、私をずたずたに切り刻んでもらうところだ!」
いつものマスターの声じゃない。
言っていることもめちゃくちゃだ。
「はぁ!?何言ってるんですか!
どうしてこんなことになってるんですか?バラクル王!」
「ちょいと怒らせすぎてしまった…。
完全に我を忘れておる。」
ちょいと…ってレベルなんですか!?
「くははは。はぁ…。
ほら、早くしてよ!バラクルー!はぁ…。
でも、ひとおもいには殺さないでよぉ…ねえ。
ゆっくり痛めつけて、恐怖を味あわせてよ…はぁはぁ。
指を一本ずつ潰していくとかぁ、生皮はいでいくとか…。」
ゴン。
バラクル王の実体化した大剣の腹が
マスターの頭の上に軽く打ち下ろされ、
マスターはあっけなく床に沈んだ。
霊力が限界だったんだろう。
その瞬間、バラクル王の降霊召喚が解け、霊魂の状態に戻った。
「マスター!」
床で伸びてしまったマスターに駆け寄り、
気を失っているその身体を1時間前と同じように、ベッドに横たえる。
ベッドの上に、液体の入った怪しい小瓶があった。
『Dead or Alive.』と書いてある。
「これが、今回の大ゲンカの原因ですか?」
(ケンカ…ではない。儂が一方的に姫さんの誇りを傷つけたんだ……。)
その時バラクルの霊魂が妙な光を発した。
苦しそうな声がする。
(ぐぅ…っ。なるほど、そういうことか……。
それを渡すことが……。
儂もアイツの駒のひとつだったというわけだ……。
ふふ……。まぁ、それは3年前から知っていたけどな……。)
「バラクル王……?」
(ニコラス王子、申し訳ないが、
儂はもうすぐここから去らなければならない。
そして次に会うことがあるとしたら、おそらく、お前の敵となるだろう。)
「な、何を……言って……。」
マスターの次は、バラクルがおかしくなってしまったのだろうか。
バラクルの霊魂が、ふらふらと私の前に来る。
無意識にその霊魂を両手で支える。
(だが、儂もほいほい言うことを聞くだけの駒に
成り下がるわけにもいかないからな。
姫さんがここまで頑張ったんだ。儂も最後に抗おうぞ!)
バラクルの霊魂の気配が薄くなっていく気がするのに、
それは、まさに悲壮美というべき美しい黒い炎の塊となって燃えていた。
(よく聞け、ニコラス。時間がないから一度しか言えないぞ。
姫さんが起きたら、隠していること全部吐かせろ。
特に『指輪の呪い』と『約束が果たされた後』について何が何でもすぐに聞け!
そして愚かな娘のすべてを許してやってくれ。
お前の愛を求めないと決めたあいつの覚悟をへし折ってくれ。
姫さんは直に死ぬ。死んでしまうんだ。
思い残しや後悔などあってはならん。餌になるだけだ。
その小瓶の中身は薬、だと儂は信じている。
姫さんは飲むのを嫌がるだろうから、お前が一緒に決めてやれ。
多少の猶予を得るだけだろうが、
それでも少しでも長くお前との時間を作ってほしい。
最期にいい思い出を作ってやってほしいんだ。
これは、お前にしかできないことだ。
姫さんの短い生涯のたったひとつの望みを叶えてやってくれ。
……あと姫さんが起きたらこれを。
この針は儂と姫さんの5年間の絆だ。これを姫さんに返して欲しい。
そして、伝えてくれ。
父にこんなに心配かけるなんて、とんだ親不孝者だと。
先に戻っていると……。)
突然、風にかき消されたろうそくの炎のように、
ふっと音を立てて、その霊魂が消えた。
消滅ではない。消滅であるはずがない。
分かる、分かっている!大丈夫だ!
「何で……今まで何も、話してくれなかったのに……。
なんで今になって……そんなにたくさん。
そんなに急いでしゃべらないでくださいよ…。
混乱するじゃないですか……。」
バラクルの霊魂の波動に感化されたのだろうか。
立ち尽くし、身体は動き方を忘れてしまったように固まっているのに
涙があとからあとからあふれる。
あの濃紺の霊魂が、身体を持たぬゆえ流すことができなかった涙。
この感情は、後悔だ。
唐突に突拍子もなく語られた事実。
この胸を穿つような後悔の感情が、
それが偽りのない真実だと、思い知らせる。
――― マスターが死ぬ。
バラクルが言った言葉は一字一句覚えている。
なのに、その一言の重みで、自分の霊魂が理解することを拒んでいる。
バラクルの霊魂の在った場所、私の両手のひらの中には
白銀に輝く小さな魔法の針と、小さな薬の瓶が在る。
何だこれは、こんなもの見たくない……。