氷花の指輪
廊下から心配そうにこちらを伺う女性に、無意識に声をかける。
今聞いたことが、全て幻聴だったと言ってほしかったのかもしれない。
「セリア……。
マスターはもうすぐ死ぬんだそうです。
バラクル王もいなくなってしまいました。
これが、隠し事のさらに奥に隠されていた真実でしょうか?
はは……。確かに、私に話しても仕方ないですね。
私に何かできるわけでもないし……。
私が取り乱して、二人が落ち着かなくなっていたかもしれません。
そうか……。私は、またあの洞窟で一人で朽ちていくのですね。」
「違います!違います、ニコラスさん!
しっかりしてください!
確かにお二人とも、こうなることを分かっていて隠していたかもしれません。
でも、その奥に隠されていたのは、お二人の気持ちでしょう!?
アリスさんが、その人生をかけて願っていたことは何ですか?
バラクルさんが、その自由と尊厳をかけて、あなたに託したことは何ですか?
あなたは、まだ知らない!向き合っていない!
まだあきらめていいわけがない!」
セリアに引かれ、マスターの横たわるベッドのわきに膝をつく。
今まで見たことがないくらい苦しそうな顔をしている。
当然だ。霊力をあれだけ無駄遣いしたら、
今は回復のため、霊魂をたくさん受け入れなければならない。
その精神で死の苦痛を味あわなければならない。
いや、違うのか。死に向かっているのは、身体の方……。
「今、アリスさんの手を握ってあげられるのは誰ですか?
今、アリスさんに力を分けて上げられるのは誰ですか?
あなたじゃないですか。ニコラスさん。
それとも、もうすぐ死ぬような女には、もう用はありませんか?
苦しんでいても知らんぷりですか?」
「セリア!」
セリアは、大きな瞳に涙を浮かべ、泣くのを必死にこらえていた。
「うっ……すみません……。すみません……。
……少し、時間をください…。」
セリアは、力強く頷くと部屋から出て行った。
彼女に救われた。
あのままだったら、自暴自棄になり、
ここでマスターを支えることを放棄していたかもしれない。
私の最後の役目かもしれない、それを。
針を枕元の棚に置き、小瓶はポケットにしまって、マスターの手を両手で包んだ。
なんて小さくて、なんて冷たい……。
急に現実感を持って、押し寄せる死。
共に生きると誓った。そばにいると誓った。
もちろん、それは永遠ではないと知っていた。
でもこんなにあっという間だと思っていなかった。
「マスター。どうして……。」
もう、私にできることは
こうして手を握って祈ることしかないのだろうか。
私の霊力を全て使い切ったっていい。
もう一度、彼女の笑顔が見たい。
せめて、私の実体化を解除できれば、
少しは彼女の浪費する霊力は減るだろう。
だが、バラクルは私にはできないと言った。何故だ……。
あれ……。そうだ、何かおかしい。
私は霊魂の状態になったことが…ない。
いや、彼女の中で眠るときは確かに霊魂の状態なのだろうが、
バラクルのように外で霊魂の状態で漂った記憶がない。
一度ダメージを受けすぎて降霊召喚の実体化が解けそうになったことがあるが
あの時、マスターはかなり焦っていた。バラクルを呼び出すほど。
普通の死霊術師なら、ああいう時、意図的に霊魂の状態に戻し、
すぐに再召喚するのではないか。
彼女には、いや私には、それができない?
いや、マスターも召喚解除をしようとしていたじゃないか。
なにも、違うところはない……はずだ。
だめだ……。
こんなことになってしまったのは、何か私に原因があるのではないかと、
彼女と一緒に過ごした思い出のページをどんどんめくってしまう。
そして、その度に彼女への思いが溢れてきてしまう。
「マスター。愛しています……。愛しています!」
今まで一度も、口に出したことがなかった思い。
声に乗せると、あまりに軽く、嘘のようだ。
彼女の耳に届く前に、儚く消えてしまいそうだ。
「お願いします。私に告白の機会をください。
そして、あなたも告白してください。
あなたが思い悩んでいたすべてを。私のために隠していたすべてを……。」
窓の外の天を睨む。
まだお前は泣くな。雪を降らせるな。
お前の分も私が泣くから……。