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氷花の指輪

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12.人形師の宴



その夜、マスターは目を覚まさなかった。
徐々に落ち着いてきた呼吸が、逆に恐ろしくなり、
彼女の手を離すことができなかった。

マスター。目を覚ましますよね。
マスター……。

実体化した状態で、朝を迎えるのは初めてだ。
夜明けのなんと不安なことか……。
刻一刻と時が削られていくことを、時計の秒針が教える。


「ん…。ニコラス……?」

「あっ!お目覚めですか、マスター。具合はいかがですか?」

次の日の昼過ぎ頃に、マスターは目を覚ました。
本当にびっくりするくらい普通に目を覚ました。

「うーん。ちょっと頭が痛い…。たんこぶできてるかも……。
 また取り乱しちゃったね。えへへ……。」

「……心配、したんですからね……。
 もう、目を覚まさなかったらどうしようって……。」

マスターが、少し驚いた顔をしてから
寂しそうに微笑んだ。

「ごめん。心配かけて。バラクルもごめんね。あれ?」

マスターが、身体を起こし、枕元の棚に話しかける。
そこには小さな針が置かれていた。
それを手に取り、それに向かってつぶやく。

「バラクル……?」

「……あのあと、バラクル王は
 いろいろ言い残して、ふっと消えてしまったのです。」

マスターはそれだけで理解したようだ。

「そうか。行ってしまったんだね。
 私との契約は確かに残っているのに、たぶんもう呼び出せない。
 大丈夫。バラクルは他のマスターのところに戻っただけだよ。
 あちらの方が力が強いから、今は私の命令が届かないってだけ。」

よかった。バラクルはまだ存在している。
他のマスター?バラクルには、複数マスターがいるということか?
古代黒妖精の王の死霊だから、扱いが少し違うのだろうか。

「……伝言を預かっております。
 『父にこんなに心配かけるなんて、とんだ親不孝者だ。
  先に戻っている……。』」

マスターが少し笑った。

「……ありがとう。今までありがとうバラクル。」

そして、針を大事そうに握り、祈るように泣いた。
彼女の涙に呼応するかのように、その針は溶けて散っていった。
二人の絆、5年間の思いは、雪のように解けて散っていった。

「……それで、バラクルは戻る前に何て言ってたの?
 また余計なこと言って、ニコラスを困らせているんでしょう?」

真っ赤になった目でこちらを見て、マスターが尋ねた。

「……あ、それは……。あなたが……。」

うん?と首をかしげるマスターの前で、
私は一番聞きたいことを聞けずにいた。

あまりに、普通に会話をしてしまっていて、タイミングも調子も狂ってしまった。
いや、本当は、確認するのが怖かっただけだ。
あなたは、本当にもうすぐ死んでしまうのですか?と。

「ニコラス。震えているの?バラクルに脅されたとか?全く。
 それとも、寒いのかな。
 今日も冷えるから、セリアにあったかい飲み物でも作ってもらおうか。」

そういって、マスターが私の手に触れる。
さっきまで私が包んでいた小さな手が、私の震える手を包んでくれる。
そうだ、昨日セリアに言われたんだ。
隠し事を知る心の準備ができているのか、話を聞く覚悟があるのかと。
結局私にはその準備もその覚悟も……。

――― 姫さんが起きたら、隠していること全部吐かせろ。
     特に『指輪の呪い』と『約束が果たされた後』について何が何でも聞け!
     そして愚かな娘のすべてを許してやってくれ。
     お前の愛を求めないと決めたあいつの覚悟をへし折ってくれ。

「マスター!」「あーあ!」

「すごい汗かいちゃったから、お風呂入りたい!
 ニコラス、ちょっとセリアを呼んできてくれる?」

私の声と、マスターの声が重なる。意図的…なのか。
もしかして手が触れた時に私の考えていることが……。

「……はい。分かりました。」

扉に向かう私は、背でマスターの霊力の揺らぎを感じていた。

---

体力の消耗が激しいため、セリアに入浴を止められてしまった。
身体を熱いタオルで拭いて、サラサラのパジャマに着替えたら、
とてもすっきりしたので、これで良しとする。
セリアのお手製パジャマとスリッパは、
ピンク色のとてもかわいらしいもので少し恥ずかしいが、
ニコラスがとても似合うと言ってくれたので、嬉しかった。

さっきニコラスに触れて、彼が聞きたがっていることは分かった。
ずるしたのは、ニコラスにばれたっぽいけど。

私はマスターとして、彼からの質問には答える義務があるのかもしれない。
本当は話さずに終わらせるつもりだったのに、バラクルめ……。
『何も話していないこと』を話したら、何も話していないことにはならない。
前にも言ったのに。
わざわざキーワードを言うとは、全く…。おせっかいなお父さんだ。

『指輪の呪い』と『約束が果たされた後』を聞いて許してやってくれ……か。

やっぱり話せないよ、お父さん。
話したら絶対に軽蔑され、失望される。許されるわけがない。
私は彼からの本当の愛を求めないと決めた。
だけど、約束の日までは呪いで生み出した偽りの愛まで失いたくない。
我ながら歪んでいる……。

窓から外を見る。雪はまだ降らない。
雪を二人で見て、
「ごめんね、そういうことだから、じゃあね!」といって
さらっと別れるのがベストだと思っていたが、
雪が降る前に私が死んで、何も無かったかのように別れるのもいいかもしれない。
私の霊魂は先生に回収され、
ニコラスは指輪の呪いによりあの最初の洞窟に戻る。
5年前の出会いがなかったかのように、ふりだしに戻る。

――― ニコラスはちょっとでも悲しんでくれるかな?

霊魂が指輪の呪縛から解き放たれ自由になる。
きっと「なんであんな女の召喚霊みたいなことやってたんだろう」って我に返る。
それでも、半年足らずの冒険だったけど、一緒に過ごした日々を
懐かしく思い出してくれるなら、それは僥倖だ。

うん。やっぱり何も話さず別れよう。
彼にとっても私にとっても、それが一番ダメージが少ないはずだ。

作品名:氷花の指輪 作家名:sarasa