氷花の指輪
14.新しい傷
ボロボロの状態で戻った私たちを
セリアは何も聞かず、優しく介抱してくれた。
黒っぽい3人のお客様には、このエリアを出て行ってもらいました。と
にこやかに言われた時には、さすがにゾクリとしたが……。
アリスは、パジャマ一枚で雪の中に長時間いたせいか
宿に戻るなり高熱を出し、寝込んでいる。
身体に与える影響、残りの時間に与える影響が心配だ。
「いいですか。アリス。
何かあったらすぐに呼ぶんですよ。」
ベッドに横になった彼女は
声を出すのも億劫なのか、手をひらひらと振って了解を示す。
そっと扉を閉めると、彼女の熱が遠ざかり寒さを感じる。
部屋の外で、すっかりぬるくなって、氷の溶けてしまった桶を受け取りながら
セリアがにこやかに言った。
「アリスと、呼ぶようになったのですね。
なぜか、私まで嬉しいです。」
「はい。おかげさまで。私たちは一歩近づくことができました。」
「一歩なんですか?アリスさんの指輪、とっても素敵でしたよ。
ニコラスさんの分もペアで作ったらどうですか?」
「いや……。もう指輪はこりごりです。」
私は苦笑した。
アリーシャという本名は呼べない。
呪いの媒介になったその名前は、特別な時にだけ呼ぶことを許される。
アリスというのは、
彼女の姉が、彼女につけたコードネームだったそうだ。
諜報部隊に入るには、かっこいいコードネームが必要だからと言われたそうだが、
おそらく、出会った当時に、子供の自分が自分の名前をうまく発音できず、
姉が聞き間違えて呼び始めたのではないかと、笑っていた。
約束は果たされた。
愛し合い、共に雪を見て、私の手から指輪は外された。
幕は下りてしまったのだ。
舞台裏に戻る間に、ヒロインが、敵役の男に攫われないよう、
私たちは何としても、アンコールの声を上げなければならない。
だが、その敵役の男は、強敵だ。
アリスに聞いた情報をまとめると、
彼はアリスに死霊術を教えた天才的な死霊術師で、元老院の偉い人、だそうだ。
とても乱暴で、強引なやり方を好む反面、
ものすごく器用で、繊細でねちっこい攻撃術式を組む。
特技は、錬金術による薬剤や毒の製造全般。
趣味は、パズルと特殊霊魂研究。
最近は人形術にも手を出しており、
アリスの身体をトレースした人形を複数所持しているらしい。
そして、バラクルを降霊召喚しても全く問題ないくらいの霊力の持ち主。
そう、この人物こそが、今バラクルを使役しているそうだ。
この難敵に正面から勝負を挑むつもりはない。
私たちは勝つ必要はない。負けなければいいのだ。
時間を稼げればいい。ふたりのこの時間を、より長く……。
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「今日のパジャマは黒のワンピースタイプです!」
熱があるだろうに、
パジャマを着たアリスが楽しそうにくるりと回った。
セリアはアリスのパジャマを作るのが楽しくなってしまったようで、
何着か作った中から、好みのパジャマを選ばせてくれるそうだ。
昨夜、ぼろぼろにして帰ってきたのに、殊勝な人だ。
襟とひざ下までの長めの裾に白のレースとリボンがあしらわれ、
ゴムの入ったふんわりとした袖。胸元までのボタン。
「やはり、あなたには黒が一番しっくりきますね。
でも、足が冷えそうですから、早くベッドに入ってくださいね。」
「むー。つまらないなー。ダンスでもしたい気分なのに。」
「アリスは踊れるんですか?」
「踊ったことない!」
そういって、ベッドにぼふんと腰掛け、足をパタパタさせている。
彼女が時々やる可愛い癖だ。
「今度、教えてあげましょう。私結構上手いんですよ。」
「さっすが、王子様だね!」
「ああそういえば、セリアから、今度、街に行ったら、
素敵な生地を買ってきてほしいと言われました。
またパジャマ作るんですかね?
熱が引いて元気になったら、買い物にも行きましょう。」
彼女の足が止まる。
「……今度か。
ダンスも買い物もちょっと難しいかもしれないね……。」
元気そうに笑っているところを見ると、つい忘れてしまう。
彼女が今感じているだろう、苦痛を。
「ニコラス。あのさ。あの先生の薬の瓶持ってる?」
「持っていますよ。……飲むつもりですか?」
ポケットにしまわれていた、小瓶を取り出す。
今なら、ラベルに書かれたこのメッセージの意味が分かる。
「可能性が、ある……かなと思って。
もう少しあなたとこうしていたいから……。」
うつむいてしまった彼女の頭をポンポンと撫でて伝える。
私がここにいることを。私の思いを。
「では、私が先に飲みましょう。
毒見になるかわかりませんが、
少なくとも、劇薬かどうかくらいならわかると思いますよ。」
「で、でも、死霊にも何か影響のある薬かもしれないよ。
先生ならやりかねない……。」
「その時はその時です。どんなことがあっても私たちは一緒です。」
小瓶のふたを開け、私はそれを半分ほどを飲む。
花のような芳香と口に広がる苦味。
心配そうに息を止めてのぞきこむアリス。
「……あんまり美味しくないです。」
「はぁー。もう、心臓に悪いよ。」
「とりあえず、即死系の劇薬ではなさそうです。
何かこう、胸がドキドキして不安になるような、熱くなるような感じで、
滋養強壮っていうんですかね。
身体が活性化して元気になるような、そんな感じですね……。」
私は指を人差し指を立てて、おどけて言った。
「油断はできませんが、危険指数が1%くらい減りました。」
彼女は、頬をふくらましてバンザイ、いやお手上げのポーズで、
ベッドに倒れる。
「ほとんど減ってなーいじゃーん!」
「あはは。」「ふふふ。」
二人は笑い合った。