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氷花の指輪

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15.氷花の指輪



実体化して迎える朝も、彼女が隣にいれば不安などない。

窓から差し込む朝日に、目を細める。
いつもの黒い帝国ファッションに身を包み椅子に腰かけ、背筋を伸ばし
『氷棘』の手入れをしているアリスがいた。

「おはよう。ニコラス。」

木漏れ日の中で聞いた、あの優しい声と同じ。
もう、手を伸ばさなくても、寄り添った霊魂の波動だけで
全身が幸福に包まれる。

「具合はいかがですか?」

「かなり楽になったよ。まだちょっと熱っぽいけど。
 薬が効いたのかな。それとも……ニコラスのおかげかな……。」

そういって、首筋にそっと触れる。
愛おしい新しい傷を、愛おしい新しい証を。
そのしぐさは、朝日の中に輝く一枚の美しい絵画のようだった。


「今ね、この子に力を貸してくださいってお願いしてたの。」

彼女の手には『氷棘』。

「もう私の霊魂はこの子のような氷ではないけれど、
 きっと一緒に戦ってくれるよね。」

「もちろんです。
 決してあなたを裏切りません。
 『氷棘』も、その『氷花の指輪』も、そして私も。」

私は腕を広げて、彼女を招く。
彼女の細い身体は私の腕の中に完全に収まる。
彼女は5年もの間、ずっとこうして私を守ってくれていた。
今度は私がこうして彼女を守る番だ。

「生きましょう、アリス!」
 
「行きましょう、ニコラス!」

扉を開ける。
私たちにどうしようもなく迫るこれからを変えるための扉を!

---

私たちの運命の取引相手は、彼女の先生。
最強の死霊術師。

「おはよう。ふたりとも。」

宿屋のロビーのソファーに、その男は悠然と足を組んで座っていた。
ひらひらと長い丈の布を纏った黒妖精独特の衣装、
腰まで伸ばしたシルクのように艶やかな白い長髪。
圧倒されるような鋭い眼光が印象的な香り立つような美貌……。
ここまで美しい男性は見たことがない。
この男がアリスの隣に立つだけで、世界が頬を染めるだろう。

「おはようございます。先生。
 ……ご自分の人形まで作るなんて悪趣味ですね。」

「ん?分かるのか?」

その男は、自分の身体をきょろきょろと確認する。

「……迫力が違います。」

「そうか。ではこの身体は失敗作だな。
 クライスは騙せたんだけどね。」

何故か満足そうに男は笑った。

「宿屋の主人には少し席を外していただいている。
 これで、遠慮せずに話し合えるだろう。」

「……お気遣い感謝します。」

アリスが、抜身の短剣を握りなおした。

さて、と男は立ち上がり、こちらに正対する。
身体は人形とはいえ、中に宿る霊魂は本物なのか。
男の持つ雰囲気に呑まれそうになる。
私の死霊としての本能がこの男に支配されたがっている。
抗えない、抗うことを諦めたくなる。
これで迫力が違うのであれば、本物が来ていたらどうなっていただろう。

私たちは今日、賭けに出る。
負けられないゲーム。
相手のペースに呑まれることだけは許されないんだ。

だが、先手は向こうがとった。

「昨夜はお楽しみいただいたようで、大変結構。
 私の薬、効き目抜群だろう?ふふふ。
 蜘蛛の王子っていうから、もっと乱暴なプレイをするかと思ったけど
 意外と優しいんだね。
 まあ、首のは激しかったけど。

 今までアリスに、劣情を抱いたことなんてなかったんだけど、
 あんなに気持ちよさそうな君の霊魂の波動、初めて感じたから、
 私もずいぶん興奮したよ。
 これからはもっといろいろ楽しめそうだね。」

アリスが絶句し、真っ赤になって、首元をおさえる。
軍服の襟で隠れているものの、まだ癒えていない傷がそこにはある。

「君は相変わらず、思慮が浅い。
 バラクルとの契約のパスが残っているということがどういうことか
 もっと深く考えるべきだったな。ふふふ。」

男はアリスの心を乱すように、淫靡な笑いを浮かべる。

「まあ、それはさておき……。
 説明してもらおうか、アリス。
 指輪の呪いが解けたのに、なぜソレはまだ君のそばにある?
 なぜ君たちの霊魂は離れていない?なぜ絆が切れていない?
 君は、君の大罪を愛するソレに告白し、失望され、軽蔑され、罵倒され、
 そしてソレを暗い洞窟に追いやった上で、
 大きな絶望を抱えて、私の元に帰ってこないといけないだろう?」

ソレと言いながら、アリスの後ろに控える私にワンドをむける。
アリスは短剣を握る震える右手に力を込める。

「ニコラスは、私を許してくれました。
 呪いなどなくても、私を愛してくれていたのだと、言ってくれました。
 私の呪いは失敗していたんです。
 ニコラスは洞窟には戻りません。ずっと私と一緒にいてくれるんです。」

胸に左手を当て、一度呼吸を整える。
そして、震える左手を前に。

「私、ニコラスと結婚したんです。
 これが、私たちの新しい指輪です。」

流石に一瞬、男の反応が止まる。
だがすぐに、プラチナのリングの微かな輝きは、
男の暗いオーラと眼光にかき消されそうになる。

「……面白い冗談だ。
 ついに頭が壊れたか。アリス。
 死霊と結婚だと?ばかばかしい。
 その新しい指輪とやらでまた呪いでもかけたのかね。
 まあ、私は構わないよ。君が人妻?だろうとね。ふふふ。
 君が私のところに戻ってくるのは、決定事項だ。
 もう十分楽しんだろう?旦那様をおいて、戻ってきなさい。
 ソレを愛したまま、私に抱かれ、苦悩する君を見るのも一興だ。」

アリスの身体が震えているのが分かる。
この男に対する恐怖心は相当なものなのだろう。
だが、最も彼女を苦しめているのは、罪悪感だ。
この男の元に戻らないということは、二人の間の約束を反故にすることなのだから。

「アリス。続きは私が……。」

後ろから肩をしっかりと支えてやる。
まだ我々は膝を折ってはいけない。

「私はお前と話すつもりはないが?死霊の旦那様?」

「いいえ。続けて説明させていただきます。
 あなたにとっても重要なことですので。」

男からの圧力が少し弱まる。
先を促しているのだろう。

「私たちの結婚は、形式上の約束だけではありません。
 ご想像の通り、この指輪ともうひとつの媒介を使った呪いと暗示です。」

彼女の左手に自分の手を添える。

「死霊の分際で、お前がアリスを呪ったのか?
 そんな戯言を信じるわけないだろう。」

「アリスと一緒に術式を組みました。
 アリスが、私たち二人をを呪ったというのが正確でしょうか。
 アリスの力の強さはご存じのはずです。」

さあ、ここからが腕の見せ所だ。
私の全集中力を使って、この目の前の難敵を騙す。
真実を嘘のように、嘘を真実のように。ミスは許されない。
作品名:氷花の指輪 作家名:sarasa