氷花の指輪
ニコラスが席を離れたのを見計らって、彼女に近寄る影があった。
「おーおー。酔いつぶれちゃってまぁ。
あのイケメンも隅に置けないね〜。」
下水道の周辺で稼いでいる、他の冒険者だろう。
腰に下げた銃器が、彼の力を象徴するかのように鈍く光る。
先ほどまでニコラスが座っていた椅子にドカリと腰掛けると、
突っ伏している彼女の肩をつかんで、起こす。
「……っすっげーいい女。やべーな。」
酒の影響か、蒼白になった肌と艶めかしい唇。
乱れた髪に荒い息遣いが、男を興奮させた。
「…ん?だぁれ…?」
違和感に気付いた彼女が、うつろな瞳で問う。
「誰だっていいだろ。
それよりさ、これから一緒にいいことしようぜ。なぁ。」
そういって彼女の肩をぐっと抱き寄せ、
ショートパンツから覗く太腿に手を添わせる。
「しらにゃいひとに…、いいことっ…ていわれたら、
だいたい…いいことじゃ…ないって…おそわった…。」
「ふうん?そうかそうか。じゃあ、イケナイことしようぜ。」
「イケナイ?こと…?」
「そうさ、たとえばこんな…。」
男は彼女の脚をなでまわしていた手を、
今度は、首筋から顎の下に当て、自分のほうを向かせる。近づく顔と顔…。
―――バシャン!
冷たい水が頭の上からかかり、びしょに濡れになった
…のは彼女のほうだった。
男は驚いて、椅子から立ち上がり彼女から離れる。
「失礼。我が主は、これからお召替えをなさいますので、
お引き取りください。」
「……お、おう……。」
ニコラスの冷え冷えとした霊気にやられたのか、男がすごすごと立ち去った。
椅子の上でぐったりしている彼女を無理やり立たせ、
店の奥へ連れて行く。
「すみません。店主、ちょっと奥をお借りします。あと、その…。」
「いいわ。タオル持っていくわね。」
「…ありがとうございます。」
店の中が少しざわめいていたが、
ニコラスにはそれを気にする余裕はなかった。
---
この店の奥は、大きな書庫になっている。
もともとは冒険者同士が己の力を競い合う決闘場だったようだが、
今は、ゆったりと本を読むスペースもあり、小さな図書館のようだった。
大きな地殻変動の後に、英知が詰まった本たちが失われることを恐れた人々が
ここに本棚を作り、本を集めたのだという。
ほこりっぽいソファーに、とりあえず彼女を座らせた。
「まったく、あなたは!もうちょっとこう、なんとかならないんですか!」
自分でもよくわからない怒りで、
わけのわからない怒り方をしている気がする。
「まあまあ、お酒初めてだったんでしょう?
キノコ酒は口当たりはいいけど、結構強いのよ。」
「ああ、すみません。店主。…ありがとうございます。」
後から来たシュシアから、タオルと毛布を受け取り、礼を言う。
シュシアが、先ほどの光景を思い出して、笑う。
「ああいうシチュエーションで、彼女のほうに水をかけた男性は初めて見たかも。
ふつう相手に掴みかかったりするでしょう?」
「相手の男に何かしたら、面倒なことになりそうだったんで…。
というより、マスターの無防備さにとても腹が立ってしまって、
気が付いたら手が勝手に動いてました…。
あ、あとで弁償します。クロスとかお皿とか…。」
「いいのよ。おかげで、お店、盛り上がってるから♪
あなたは、店の奥に彼女を連れ込んで
彼女を叱りつけながらも、嫉妬の炎に突き動かされて…。
という設定になっているから、
しばらくお店の方に顔を出さない方がいいわよっ★」
「えっ…?設定?なんですかそれ……。え、あの、店主?」
ひらひらと手を振りながら、シュシアは店の方に戻っていった。