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Restart

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 他で受けていたものと先生のやり方は違うけれど、要はスポーツ整体だ。少しの筋トレやランニングは続けていても、疲れがたまっている自覚はなかった。だけど、先生の手が背中から肩、首の下を動きまわると、心なしか肩周りが軽くなった。勉強疲れなのかもしれない。
「プールは見ていかないの?泳いでもいいよ」
「それは遠慮しときます……どうせ水着も持ってきてないし」
「そんなの別に……」
 入口のほうが賑やかになって二人で振り向いた。ちょうど会員の小学生が集まってくる時間だった。秋沢先生に促されて一緒にロビーに出る。
「秋沢先生、ちわーッス!」
「よろしくお願いしまーす!」
「はい、こんにちは。今日は早いね」
「今日学校休みだもん。早く来た方がいっぱい泳げるじゃん」
「俺今日からバッタやるんだ!」
「えー」
「シュウくんバッタ嫌い?」
「だってフリーのがかっこいいじゃん。はえーってかんじで」
「柴谷コーチあんまバッタ得意じゃねえしな」
「それは否定出来ないなあ」
 小学生と一緒になって秋沢先生が頷いているところへ、準備を終えた柴谷コーチが戻ってきた。顔を見せるなり大注目でため息をつかれて大袈裟に怒ってみせる。
「なんだお前ら!さては人の悪口言ってたな!」
「柴谷くんのバッタがダサいよねって言ってたとこだよ」
「館長まで悪口ッスか!ダサいってなんだよ、フォームはおかしくねえだろ!」
「あ、そうだ。宗介くんバッタ専門でしょ。柴谷くんの代わりに一本だけ泳いでいかない?」
 急に話を振られて身構えた。さっきからチラチラと「誰だコイツ」と言わんばかりに寄せられていた視線が一気に集まる。
「秋沢先生、誰この人」
「君たちの先輩。ここの出身でねえ、バッタがすごく速いんだよ」
「先生、そういうの勘弁して下さい」
「柴谷くんのバッタよりかっこいいよ」
「館長、そういう悪口やめて下さい」
 逃げ出したい気持ちで後退りするも、すぐに受付カウンターにぶつかってしまった。
「水着なら貸すって」
「でも半年も泳いでないんですよ」
「それでも、水の中で少しも前進しないとまでは思ってないでしょ?休む直前のタイムは出ないかもしれないけど、小学生には負けないって思わない?」
「それは……」
「中年太りの目立ってきたバッタの苦手な柴谷くんにも負けないって思わない?」
「館長!」
「その程度の自信でいいんだよ。ここは同年代の揃った大会の会場じゃないんだから。ストップウォッチだって押さない。本当に無理だったらやらなくてもいいけど……」
 そこでチラリと小学生に視線をやる。期待と疑いの入り混じったたくさんの瞳がずらりと並んでいる。返事に窮していると、その中の一人がつまらなさそうに声を上げた。
「コイツ、ビビってんじゃねーの?」
「シュウ、コイツって言っちゃダメだろうが」
すかさず柴谷コーチが諌めるが、小学生は挑戦的な目で上から下まで俺を値踏みする。
「こんなこと言ってるけど、どうする?」
 秋沢先生が脇腹をつついてくる。凛だったら、絶対に受けて立つところだ。俺は凛じゃないけど。でも、ガキの頃からの負けず嫌いの魂は凛とそっくりだった。
 このスイミングクラブに通っていた頃、小さな凛が先を走りながら振り返って「やらねえのかよ」といえば細かいことなんかどうでも良くなって、叱られることでも苦労が待っていようとも駆け出していた。「踏み出す勇気もないのか」って馬鹿にされるのは我慢できなかった。反射的に走り出したい足が疼く。
 既視感が額を打った。指先で眉間を押さえて絞りだすように答えた。
「……一本だけなら」

 念入りにストレッチしながら体の調子を確かめる。痛みはない。違和感もない。一度フリーで軽く流してからスターティングブロックに上がった。
 真っ直ぐな青いプール。馴染み深いのにどこかよそよそしく水をたたえいてる。実家を出てから初めて帰省したときみたいだ。そこで毎日寝起きしているときにはわからなかった自宅のにおいを初めて知って、なんだか他人の家みたいに感じる。そこにいていいと許されているのに、居場所がないような居心地悪さがある。
 もう泳がないつもりでプールを捨てたのだ。居心地が悪くて当然だ。水に意思なんかないが、水を嫌えば水の中で体を思うように動かせない。
 慣れと、水の性質を理解すること。抵抗を減らす。効率的に水を掻いて推進力を得る。前に進むための姿勢と動きで水に適応していかなければ自由を奪われて終わる。
 何ヶ月プールを離れても一度覚えた知識は消えていかない。速く泳ぐための動きをイメージして、ゴーグルを額から下ろした。慎重に体を屈めて足に力を溜める。さっきまでプールサイドで騒がしくしていた小学生の声が消えて、意識がスタートの合図に集中していく。頭が空になるほど体はスムーズに動いた。一番力を出せる姿勢、足の位置。筋肉の動かし方。
 集中が最高点に達するのを見極めたようなタイミングでホイッスルが響いた。指の先から水に滑りこむ。集中していたのに反応が少し遅れた。でも、体の動くままに泳げばぐんぐん前に進んでいく。重い水を力づくで後ろに押しやって前へ。競う相手はどこにもいない。静かで、戦いの相手は自分自身しかいなかった。
 基準がないせいで速いか遅いかもよくわからないが、気づくと壁の前にいた。ターンしてゴールを目指す。思っていたより肩が軽く動いた。秋沢先生のおかげかもしれない。痛みや違和感もなかった。
 もっと強く体を動かしたい。もっと速く進みたい。そう思っているうちに遠くの壁がすぐ近くに迫り、慌ててタッチの形で手を伸ばした。
 水面に出ると少し息が切れていた。ちょっとやそっとの陸上トレーニングでは埋まらない確実な衰えを感じる。荒く呼吸するごとに背中から感じる必要がないはずの焦りが迫ってきた。荒くスイムキャップごとゴーグルを外した勢いで水面を打つ。
 情けなさで眉間に皺を寄せながらプールサイドを仰ぎ見た。穏やかに微笑む秋沢先生に並んで小学生たちが前のめりにこちらを見ている。その中の一人、生意気な口を聞いた男子、シュウと目が合った。ロビーでの疑うような目がまん丸になって、水面の光を反射してキラキラしていた。
「宗介くん、お疲れ様」
「いえ……」
 秋沢先生が子供たちを振り返る。
「みんな、どうだった?」
「すごい」
「すごかった!」
「コーチよりかっこよかった!」
「バッタはえーじゃん」
「高校生すげー!」
「宗介くん、高校は卒業してるけどね」
「柴谷コーチよりすげーじゃん」
「俺は専門じゃねえんだから仕方ねえだろ!いちいち比べるな!」
 水から上がると、シュウが難しい顔で近づいて見上げてくる。睨まれている。
「何だよ」
 口を引き結びながらも何か言いたそうな様子で、じっと言葉を待った。
「…………バッタ、どうやんの」
「は?」
「速いバッタッ!どうやるんだよっ!」
 悔しさか、照れか。シュウは何かを爆発させるように叫んだ。思わず秋沢先生を振り返る。
「シュウくんは宗介くんの今の泳ぎでバッタやりたくなったみたいだよ?」
「そんなこと言われたって」
「もう来ねえの?バイトとかさ、やればいいじゃん」
作品名:Restart 作家名:3丁目