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Restart

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 大会の会場は老若男女でごった返していた。参加者の年齢幅が広く、更衣室でも同年代と隣合わせにならない。ウォーミングアップ中にようやく高校生や大学生といった同年代の集団を見つけたぐらいだ。張り詰めた空気もない。人口密度に反して自分のペースを守りやすかった。
 出番が近づく。小中学校の頃に見たような名前がいくつか混じっていて、時々視線を感じたのもどうでも良かった。横一列のスターティングブロックの上で体を折り曲げる。束の間、ざわめきが静まって、程よい緊張感が余計な情報を切り離していく。これが試合だ。合図でバネのように跳ぶ。左右に人の気配を感じながら潜り、浮上すると繰り返し身につけたフォームを丁寧になぞる。背中を真っ直ぐにしてストローク、リカバリー。ミッドラインを保ったまま腰を上下にうねらせる。
 ターンの後で、置き去りにした人の気配がまた迫ってきて胸が騒ぐ。焦りじゃない。闘争心が引き離したがって気を逸らせた。あと少し。壁に手が届く。固い感触を手に水面から顔をつきだした。
 遅れて他のレーンがゴールする。拍手と会場を照らす光が頭の中に溢れて、ゴーグルとキャップを握りしめた拳を胸に当てた。
 更衣室から出ると、廊下のベンチから二つの影が落ち着きなく走ってきた。
「山崎せんぱーい!」
 数カ月前に卒業した鮫柄高校の後輩だ。引退の直前に、一緒に凛と四人でリレーを泳いだ、仲間だ。
「なんだ、お前たち来てたのか」
「はい、出場したのは一部の一年生だけなんですけど」
「山崎ぜんぱい……また泳いでるンすね…俺っ……俺っ……!」
 特別落ち着きのない方、御子柴が鼻水のたれた顔で腕に飛びついてくるのをかわして、代わりに顔面にタオルを叩きつけてやる。
「先輩の名前があって僕達びっくりして……肩は大丈夫なんですか?」
 気遣わしげにジャージに包まれた右肩を見たのは似鳥。凛に指名されて今年の部長を務めた。
「ああ、無理はしてない」
「よがっだ……山崎ぜんぱいが復活して……」
 俺のタオルで遠慮容赦なく鼻をかみながら御子柴が何度も頷いた。その心に免じてタオルはそのままプレゼントしてやりたい。
「それにしても先輩すごいです、ぶっちぎりだったじゃないですか!」
「でもタイムはまだまだだ。お前らと泳いだ時には及ばねえよ」
「そんなことないです、山崎先輩なら大丈夫です!これからどこかのチームに入るんですか?来年大学受験するんだったらウチの先生にも話しておきますよ!」
「いや、そういうわけじゃ……」
「いいじゃない、大学受験しなよ。一応浪人生じゃないかキミ」
 やっぱり支度を終えて出てくるのを待っていたらしい秋沢先生と母親がいた。似鳥がとりあえずの会釈をする。
「先生……今回はガキどもに自慢するつもりでやればいいって言ってたじゃないですか」
「小学生どころか、後輩くんにも自慢できる結果を出したじゃないか」
「……できませんよ」
「そう?でも楽しかったんじゃないの?」
 先生の質問はいつも内側の答えを見透かして投げかけられる。
「アスリートに大事なことを知っているかい?」
 限界を無視しないこと。独りよがりにならないこと。色々思い浮かんで躊躇っていると、先に答えが告げられた。
「その競技の楽しさを知ってることだよ。そろそろ先へ進むときじゃないかい?」
 先生の後ろに控えていた母親が先生の言葉に深く頷いた。背中に御子柴の拳が突き刺さる。それを追ってもう一つ、似鳥がそっと拳を押し当てた。
 廊下の向こう側から子供が走ってくる。廊下は走るなと何度言っても覚えない。高校生になったって変わらないだろう。俺の騒がしい後輩がそうだ。
 シュウは先生が振り返った途端にブレーキをかけて早足に切り替え、走るような勢いで叫んだ。
「宗介やっぱスッゲーじゃん!」
「呼び捨てすんなよ」
「じゃ、宗介先生!」
 犬の毛より短い頭に手を置いて、しゃがんでやると俺の方が目線が下になる。暗い廊下でも大きな目が輝いている。
「悪いな、これからはあんまり一緒に泳げなくなりそうなんだ」
 キョトンとするシュウの代わりに御子柴が背中に飛びついてきた。
「ぜんばぁい!」
 ジャージの肩に鼻水をつけてくれた。似鳥が俺の迷惑を察して引き剥がそうとしてくれたが、結局御子柴と一緒になって三人で団子になった。
 凛にメールを送ろうと思う。高校を卒業して、凛がオーストラリアに渡ってからは向こうからの近況報告に短く返事をするばかりだった。
 こんな状況になって初めて、中一の頃の凛の気持ちを察した。小学校卒業とともに留学してから何度か送られてきた手紙は、凛の挫折と同時に絶えてしまった。辛うじて届いた手紙の文面からは水泳についての話題が減っていって、ついには手紙自体が届かなくなった。
 俺だって、何もせず家にいながら燻って、頑張っている凛になんと書けばいいかわからなかった。自分のことを一切書かない返事を遅れ遅れに送って、自分から伝えることは何もない。スイミングクラブの手伝いを始めたことも、なんとなくきまりが悪く感じて黙っている。
 だけど、今度は自分からメールを打とう。一番に伝えなければならない。凛は俺に「待ってる」と言ったから。
作品名:Restart 作家名:3丁目