雲のように風のように
「言ったでしょ? 私行く所がないの。それくらいなら、反乱軍に居場所を奪ってくれたお礼をしてやりたいのよ。…結構快適だったから」
何しろ何もしなくても衣食住が約束されていたのだ。人生の充実とかそういったことを考え出すと微妙だが、とりあえず生活が保障されているのはありがたい。妙な野心さえ持たなければ、実際かなり快適な生活環境だったといえる。
「…私がなんで後宮にあげられたと思う?」
「…マリアさん…?」
ぽかんとした顔で自分を見上げる金髪の子供に、マリアは自嘲気味に笑った。
「――私人を殺したことがあるのよ…」
「…!」
息を呑むエドの頭に手を伸ばし、そっとその金糸の髪を撫でる手はひどくやさしい。
「帰れないの。…だから」
「……。マリアさん」
エドは一度きゅっと下唇を噛んで、何かに耐える顔で視線をさまよわせてから、マリアの、頭を撫でてくれているのとは逆の手を捕まえた。そして小さく呼ぶ。
「…マリアさんが理由もなくそんなことするわけないって、オレ信じてる。…こんな風にやさしく撫でてくれる人なんだから。…だから、一緒に来てくれるのは嬉しいけど、それで死のうとしてるなら、やめてね」
「…エド…」
「オレ、死にに行くんじゃないんだから。そんな都合よくいくなんてありえないって、言われると思うけど、でもオレ、誰も死なせたくないんだ。あの馬鹿旦那もね。あんな馬鹿でも、…いなくなったらオレやなんだ」
なんとなく黙り込んだマリアを、ゆっくりとエドは見上げた。そして笑う。
「だから、マリアさん。オレから離れないでね。勝手に死んじゃったらだめだからね」
目を瞠るマリアを、エドの後ろからリザが満足そうに見つめていたのは、言うまでもない。
やはり切り札はこちらにあったのだ、と彼女は改めて思っていた。
そうしてマリアという同行者を得て、彼らはさらに後宮へ進んだ。
人の気配がまるでしない後宮を。
「…昨日の昼に、皆に暇が出されたわ。…実は私、昨日初めて陛下を拝見したの。…意外と若いのね」
くすりと思い出し笑いを交えながら、マリアが囁けば、エドは困ったように俯いた。しかしその耳は赤い。
…何度も言われたのだ。マリアに、ではなくて、他の女性達に。
皇帝を独り占めするのはいかがなものか、と。
…だがエドにも言い分はある。自分が独り占めしていたわけではなく、あの男が勝手にエドのところに入り浸って、他へ行こうとしなかったのだからしょうがないではないか。
「…あの方、…エドがとにかくお気に入りだったから」
マリアの言葉に答えたのは、どこか呆れたような響きを伴うリザの台詞だった。
「…今更だから言うけど、…朝議でも問題になったそうよ」
「…朝議でも…?!」
エドは潜めた声ながらかなり慌てて口にした。…そんな公の政治の場でまで、后妃問題を取沙汰されていたのか、あの馬鹿皇帝。
…というか、そんな場所でまで非難されていたにもかかわらず、エドのところに通い続けたのか。…呆れた。今更ながら。
「…一発ぶん殴るつもりだったけど」
ぼそりと口を尖らせるエドを、両脇からふたりの長身の女性が見下ろす。これでエドだけが実は男だというのだから、妙な話である。一応マリアはまだそのことを知らないはずだが…。
「二発にする」
「………」
「………」
ふたりの凛々しい女性は互いに目を見合わせて、気付かれないようにくすりと笑うのだった。
三人は、とりあえず人気のなくなった後宮で、適当な房に入り込んだ。既に警護の姿もなくなった後宮だが、そもそもこの建物に入るにあたっては実は罠が数箇所存在するため、ただ入ろうとしても困難だったりする。そのためか、宮の内部はどこも損なわれていなかった。
「…そもそもさ」
作戦会議のため房の隅っこに集まり、顔つきあわせ、最初に口火を切ったのはエドだった。
「…オレ、外でほら…メシ調達してて、聞いたんだけど」
リザが瞬きだけで続きを促した。
「裏切り者がいたって、聞いたんだけど」
「…裏切り?」
繰り返すことで問い返したのはマリアだった。それに、エドは黙って頷く。
「こちら側に内通者がいて、だから反乱軍はここまで破竹の快進撃を続けこれたって。あと、なんでも、総大将はなんてことないやくざ者らしいんだけど、参謀についた男が切れ物らしい」
「…参謀?」
「ああ。…信じるわけじゃないけど、街の噂を聞く限り、そいつの名前とかははっきりしないんだ。大将はわかってるのにさ」
「…情報を隠している?」
リザの問いに、かもね、とエドは肩をすくめた。
「…つまり、問題は二つだ。この都の宮城の中に、内通者がいる。獅子身中の虫、ってやつだ。そいつが情報を流し続ける限り、こっちに勝ち目はない」
「…そいつの正体は?」
「わかってたらもう反乱軍の勢いってある程度はそげてると思う」
「…そうね」
「…。それともうひとつ。その、切れ者だっていう参謀だ」
エドは複雑に眉をしかめた。
「すごく若いって話なんだけど…とにかく切れるらしい。それで怖いことに、こいつの狙いがよくわかんないんだ」
「狙い…?」
「そう。大将に担がれてる奴は、コーネロっていって、東の方の郷士…要するに成り上がりなんだけど。結構悪どいことやってるらしくて。…こいつの人望ってわけじゃないんだ、どう考えても。だからこの参謀の方が怖い」
「…エド、あなた」
不思議そうな声を出して、マリアは小首を捻る。
「すごいのね…ひとりでそれだけの情報を?」
「そうね…専門的な訓練を受けたわけでもないのに…」
しかしエドは、マリアと、そしてリザの妙に感心した物言いに、眉を顰める。
「…はぁ? …そんなの、ちょっと街に出て屋台にでも並んでれば誰でも拾ってこれるよ。ふたりはそれを知らないだけ」
お嬢様なんだなあ、とエドは笑った。
「それよりさ。どうする? もうここまで来たら反乱軍を潰すってのは無理だと思うんだよ。でも、だからって、あの馬鹿まで国に義理立てして死なすこともないと思うのがオレの考え。だから、オレはあんまり欲張る気はないんだ。適当に時間を稼いで、あいつ連れ出して、…まああんまり夢見もよくないから、なるたけ兵士も死なせないで逃がす」
くるくるとよく動く瞳で彼はふたりの女性を見て、どう? と尋ねる。するとリザは微笑んで頷き…、マリアは、ぱちりと瞬きした後感心したようにこう言った。
「…あなた本当に男の子らしいわねぇ…」
そうだろ、と頷きかけて、エドは凍りついた。
「本当に」「男の子らしい」…?
そんなエドに目を細め、くすりと彼女は笑う。
「知ってたわ。毎日同じ房で寝起きしてればわかるわよ」
「え…え、え…っ」
「勿論、気付いていない子の方が多かったと思うけどね。私と…リザとあと他の女官が少しってところかしら」
ねぇ、と振られ、リザは黙って頷いた。
「…、ちょ、…ちょっと待って…じゃあなんで言わないでくれたんだ…」
ふたりの親しげな様子にも若干驚いていたのだが、エドは、そのことに気付いてさらに目を丸くした。
リザはわかる。リザの望みは常にロイの望みに沿っていたのだから、あの皇帝がこうと望めば、それに異を唱えることなどありはしまい。
作品名:雲のように風のように 作家名:スサ