雲のように風のように
「…では、入口の仕掛けについては、申し訳ありませんが陛下にお願いいたします。エドも手伝うのよね?」
「え?うん、勿論」
はっとして、視線を戻すエドの目元がかすかに色づいていて微笑ましい。ごまかすように口を開くのも。
「ほんとはオレが格好いい射出器作ってやろーと思ったんだけど、まあへーかに譲るよ」
「よろしくね。夫婦の共同作業で相乗効果が上がるのを期待しているわ。…で、次なのだけれど」
マリアはさらりと言って流し、エドはその台詞に今度こそ真っ赤になった。ロイは苦笑しただけである。
「賊軍を中に誘い入れつつ、同時に徐々に撤退していこうと思うの。どの道、勝つのは無理だもの。ただ、一矢報いて、退くことは出来る。…その案でよかったのよね、エド」
「…うん」
まだ頬を染めたままだったが、エドは力強く頷いた。
「撤退には隠し通路を使うわ。隠し通路のことは、代々女官長しか詳しく知らない。でもあなたは知ってるわよね、リザ」
問われて、皇帝の異母妹は頷いた。確かに彼女は、皇帝の守り刀として後宮に入ったのだから、後宮に関する知識は群を抜いている。
「…私の案としては、こう。まず、人員を三つに分ける。一番弱い隊から逃げてもらう。殿には私が入るわ。リザは先導をお願い」
「…それは困るわ。道を教えるから、先導は別の人に頼んで」
「…リザ」
「私は誰よりここを良く知っている。…最後まで見届けたいの」
彼女は首を振り、その強固な意志を示した。
「…じゃー、こうしよっか。リザさん、マリアさん、オレ、あと陛下は最後の部隊ね」
「エド!」
「だめよ、陛下とエドは先に…」
そこで、雛のような二人は揃って首を振った。
「それこそそうはいかない」
口を開いたのは、ロイだった。
「確かに私は変わり者で、皇帝の器ではなかったかもしれないが、…それでもこの国の主には違いない。…見届けるのは、私の役目だろう」
「で、旦那が残るなら、オレも残らないとね。…だってほら皆も知ってるだろ? この陛下ってばちょっとぼさっとしてるから、オレが助けてやらなくちゃさ」
それにね、とちょっと怒ったようにエドは口を尖らせた。
「お忘れかもしれないですけどーマリアさんもリザさんも…この場でオレらだけ男なんだよ?」
皇后、という地位にあるはずの少年は、こそりと声を潜めた。あまり大きな声では言えない話だ。外に控えている武官にもあまり聞かせられない。
「男が先に逃げてどうすんのって話だよ。そう思わない?」
マリアは困ったように苦笑し、リザは複雑な顔をして黙り込んだ。
「…わかったわ」
やがてマリアが肩を竦めて了承の意を返した。しかし、リザはといえば。
「…でもひとつだけ約束してね。けして敵には捕まらないと」
「…そりゃ…」
「もしも最後の皇帝が男を皇后に選んだなんてことが知れたら、私死んでも死にきれないもの」
「…………………………………」
リザは悲壮に顔を歪ませた。
「想像してみて。次の王朝の史書にこう書かれるのよ。最後の皇帝は変わり者で、錬金術と衆道に狂って国を滅ぼした。…私にはとても耐えられないわ…」
エドは、なんと答えればいいのかわからず絶句してしまった。
しかしロイは違ったようで、苦笑を浮かべている。
「リザ」
「…はい」
「その不器用さは直したがいい。…さて、会議を元に戻そうか」
なんでもなかったかのように、ロイが仕切り直しを発言する。
ようやくエドにも解ったのだ。リザが、彼女なりに、二人を気にかけてそんな下手な冗談を言ったのだ、ということが。
…確かに不器用だ。
エドは、何となく笑ってしまった。
それから幾つかの罠の性質と設置についてと、人員の配置、退却の経路などが話し合われ、決定された。
そして、ロイとエドワードは、早速二の門のあたりにどのように陣を配置するか、を決めるために早速腰を上げた。
後宮の女性達はほぼ解放されていたのだが、それでも、マリアやリザの他に残っている女達はいた。マリア同様、帰る場所のない女達だ。
彼女らは、当然というか、そう言ってしまってよいものか、ロイを見たのは初めてだった。だからエドと二人で彼が歩いていると、あれが皇帝陛下なのね、初めて見たわ、結構若いのね等々のざわめきがそこかしこから聞こえてきた。
ロイ自身は全く頓着していなかったが、エドは微妙に居たたまれないらしく、なにやら複雑そうな顔をしていた。
「…面白くなさそうな顔だな」
不意にそんな「皇后」に声をかければ、当の本人はじろりと「皇帝」を睨み上げた。
「…面白くないんじゃなくて、恥ずかしいんだよ」
「…なぜ?」
ロイは不思議そうに首を傾げた。やきもちでも焼いてくれているのかと思ったのだが、甘かっただろうか。
「あんたな」
「…なんだ?」
「オレはリザさんに聞いた時、あまりの恥ずかしさに卒倒しそうだったんだけどな」
「…リザに? 何を聞いたんだ?」
あの口数の少ないリザが、とロイは少々意外そうである。
「あ、あ、…あんたが、オレのとこばっか来て他の人のとこ全然行かないって朝議でも怒られたって…!」
言い切ってからエドは顔を赤くした。そうして精一杯睨み付けてくるのだが、勿論ちっとも迫力はない。何しろ目が潤んでいるのだから。
「あぁ…そういえばそんなこともあったな」
ロイは暢気にそう答え、エドの手をすっと自然に握り取った。慌てたのはエドである。こんな、人が見ているところで何をするのか、この馬鹿皇帝は。
「ちなみに、私が何と答えたかは知っているかい?」
「し、しらねぇ…ってか知りたくない」
ロイは、握った手にさらに力をこめ、言った。にこやかに。
「最初に抱く女くらい私に決めさせろ、と言ったら、老臣どもが泡を食っていたよ。ははは、今思い出してもおかしい、傑作だったなあれは」
「な…、ははは、じゃねー馬鹿…!」
ぶん、とエドはロイの手を振り解こうとするのだが、ロイは楽しそうにその手を揺すっていて、離そうとしない。
「…一緒にいてくれるんだろう?」
と、そんなエドに、上からやさしげな声と目が降ってくる。
拗ねたようにそっぽを向いても、耳まで赤くしていたら判らない方がおかしいだろう。
「…なんべんも言わせんなよ」
「私だって、君と一緒にいたい」
だから、と小さく言って、彼は嬉しそうに笑った。
「君が私のたった一人の人だ、と、言いたかったから。そうしたんだ」
「…やっぱりあんた変わり者の皇帝だよ…馬鹿」
ぽつりとエドは言い返したが、その態度とは裏腹、きゅ、と手を握り返してくれたのだった。ロイは、目を細めそんな「皇后」に笑みを浮かべた。
二人でああでもないこうでもないと言い合い、最終的に合意が得られたところで、彼等は仮の位置決めとして外郭の線を簡単に引いた。
そういう風に対等に動いているのを見れば、本当に皇帝が錬金術に傾倒していたということ、贔屓でなく皇后が一番錬金術の習熟度が高いということがよくわかり、遠目に見ていた女官達の中になんとなく納得に近い気持ちが生まれた。
当人達は与り知らぬことではあるけれど。
作品名:雲のように風のように 作家名:スサ