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雲のように風のように

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 皇帝たるロイには、青と黒を基調とし、皇帝を示す竜の刺繍がされた装束を。色で言うなら紫や金を使うところだったのだろうが、そこはそれ、どうやらエドと対にしたものらしい。
 何しろ変わり者の皇帝だから、色にこだわるようなことはなく、どころか「私には紫より青が似合うんだ」といって喜んだほどだった。
 ちなみに、緋色がこの上なくエドに似合ったことは言うまでもない。

 
 どうやら禁軍の戦意はすっかり喪失しているらしい、と隋道に踏み込んだ最初、反乱軍の誰もが思った。
 が…。
「うわぁっ?」
 盛大な仕掛けは、入ってそう進まぬうちに既に存在していた。隋道で暗いせいもあり、偽装が精密でなかったとしても落とし穴の存在はわかりづらかった。面白いように一陣が穴に沈む。穴の下には泥沼や槍が仕掛けられていて、この地味だが確実な戦略は、予想外に大きな戦果を挙げたといえる。
 実際、狭い隋道を進むしかないこともあっての奏功だった。
 とはいえ城壁を壊す動きが進んでいなかったわけでもない。勿論それも同時進行していた。だが、それには容赦ない楼閣上からの射撃が報いた。当たり間の話だが、下から上を射るのでは上からの射手を打ち落とすことなど無論困難至極である。
 さらに言えば、ロイたちは改良を加えた小型の、無人の射出器を楼閣上にもいくつか備えていたから、これにも賊軍は苦労した。そうして隋道に押し込め、そこでは落とし穴などのかく乱でもって人数を確実に削る。
 だが穴はふさいでしまえば役に立たない。どうにかこうにか落とし穴を克服して進んだ賊軍は、今度こそと勢い込んで踏み込んだが、…扉を開いた瞬間、そこに待ち構えていたのは大型の、見たこともない射出器だった。むしろ放射器といった風情であったが、その武器が何であるか、などはさして大きな問題ではなかっただろう。
 反乱軍の兵士が一歩を踏み込んだ瞬間、地に引かれた線が光を放ち、その大きな射出器が唸りをあげた。
 大きな炎の塊が、隋道を真っ直ぐに進んでくる兵士の一団に突っ込んできたのである。禁軍は先制に成功したのだった。
これが、後宮の戦争の始まりを告げる合図になった。

「…ったぁ!」
 一体どこで習ったものだか、恐らく我流なのだろうが、エドの動きは素早く、打ち下ろす剣筋には迷いがない。その上に付け加えて、あの練成だ。攻め入ってきた反乱軍の兵士達は、その小柄に圧倒される。
 緋色を基調とした武人のものと同じ系統の、だが正式の武官にはなかった装束は目にも鮮やかである。それは「皇后」のため特別にあつらえられた衣装だった。それがひらひらと動き回り、その鮮明で印象深い動きは禁軍の兵士達を何より鼓舞した。
「…わっ…」
 エドの背後から襲い掛かってきた剣風に小柄がよろめいた時、その刃を危なげなくはじき返したものがいる。尋ねるまでもなくそれが誰かなどわかっていたので、エドはいちいち確かめたりはしないで、次の敵に切り結んでいく。
「あれでも私の妻だからね」
 軽々と大剣を扱いながら、こちらも武官にしては若干華美さを感じさせる装束の若い男が不適に笑った。黒い髪に黒い瞳は、先の金髪金目の小柄な兵に比べたら平凡な色彩だったが、そのどこか他を圧倒する威は平凡とは程遠い。いずれ名のある将ではないかと思わせるような…。
 装束の色は青と黒を基調としており、そして、よくよく見ると肩の辺りに竜の紋様が刺繍されていた。竜といえば皇帝と密接なかかわりがある空想上の生物だ。
 ――無論、いうまでもない。それこそは変わり者の皇帝、ロイだった。
 どちらも規格外で飛び切りの変り種である皇帝夫妻は、この乱戦でも奥に構えたりはしていなかったのである。誰よりも真っ先に戦端を開いていたのであった。

 どうにも戦えない宮女達はあらかた逃がし終わり、残るは皇帝夫妻と側近、それから精兵わずか三十を数える程度となっていた。
「…ちっ」
 パシン、と手を打ち鳴らして練成を行いつつ、エドは舌打ちした。飛んできた矢を避けながら、乱戦の中はぐれてしまった「夫」を探す。
「マリアさんっ、いるよなっ!」
 とりあえずはぐれていない軍師に声をかければ、敵兵の悲鳴の後にマリアの声が返ってきた。健在のようだ。実際、彼女は男顔負けの剣技で先ほどから敵を圧倒している。とはいえ、戦況はたったひとりの奮闘で変わるものでもない。それはたとえ、ロイやエドの錬金術があっても、だ。
「…あの馬鹿旦那がさっきから見えないんだけどっ!」
 正面の敵を「皇后」とも思えぬ見事な蹴りで沈めてから、エドは問う。
「陛下が?!」
「んっ、…たぶん、リザさんがついててくれてると思うんだけど…っ」
 あいつボケてっから不安なんだよな、と舌打ちまじり言うが、不安は隠し切れていない。
「エド、…もうあまりもたないわ! ふたりと合流したら…っ」
 邪魔!と最後は反乱軍の兵に向けて怒鳴ったマリアの斬撃が決まり、エドは一瞬飲まれかけた。その迫力に。だが飲まれている場合ではないと気づき、自分も肉薄してきた兵士を蹴り飛ばして走り出した。
 エドとロイの仕掛けた射出器や隋道の落とし穴はそれなり以上の成果を挙げたが、だが戦果のすべてを決するものでは当然ながらなかった。それでも時間は想像以上に稼げた。後は皇帝夫妻を逃がせば軍師の仕事は終わり、マリアはそう考えていた。
 だがその肝心の皇帝がいない。
 どこ行ったのよ、とマリアは舌打ちしながら、疲れの見えない動きで兵士達を切り捨て、自軍の兵を逃し、あるいは助け、指揮していた。乱戦に消えたエドの身を案じながら。

 人の気配のない回廊の奥にエドは入り込んでいた。敵の気配がないのはありがたいが、これではロイもいないかもしれない。まったく世話の焼ける…、と思った瞬間、脳裏に何かが引っかかり、身の丈にあった剣を構えなおす。
「…っ!」
 どこからか飛んできた矢を払いのけ、すぐに柱の影に身を滑り込ませる。雄たけびを上げて襲い掛かってくる兵士は賊軍だろう。エドは舌打ちし、パン、と手を打ち鳴らすと床に触れた。
「うぉっ?!」
 飛び掛ってきた兵士が、突然揺れた足場になすすべもなく滑った。そしてもう一度乾いた音がして、床が光る。そうすると、倒れた兵士は体がそこから離れなくなっていることに気づいて驚愕し、わめくが次には脳天に柄の重い一撃があってあえなく轟沈した。
「…騒いでんじゃねぇっての」
 エドはぼやいて、さらに奥へと向かっていく。
 この奥はもう後宮ではなくなる。玉璽の安置された場所があるはずだ。


「…ようやくお会いできましたね」
 気になる気配に誘い込まれるようにして、ロイはその場に辿り着いた。そこは玉璽を置いた場所だった。いまや王朝に未練などなく、玉璽がどうなろうと知ったことでもなかったが、その気配は気になった。途中からはむしろ、誘われるのではなく意識的に追ったくらいなのだ。
「さて…初対面なのだが、そちらは私を知っているようだ?」
 皇帝というよりは武人の風情で、ロイはその青年と少年の境のような人物に相対した。金髪に金色の目は、彼の大事な人を思い起こさせた。
「お会いしたのは初めてですがね。…会いたかったですよ、皇帝陛下」
作品名:雲のように風のように 作家名:スサ