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雲のように風のように

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 まあそれは私もそうだが、生みの親は、とロイは内心で思ったが、言わずにおいた。
「でも、兄弟がたくさんいても、仲良しじゃないのか?」
 オレ、という呼び方に戻っているのにも気付かず、子供は難しい顔をした。
「オレとアルは仲良しだけどなぁ…」
 ロイはそんないとけない様子の子に目を細め、やわらかな金髪をそっと梳いた。
「…ろい?」
 金の瞳は、ただ不思議そうに見開かれた。
「君達が羨ましい」
 ロイは眩しげな顔をして、何度も何度も、エドの髪をなで、頬を擦った。
「………」
 エドは物言いたげな顔をして、じっとそんな青年を見上げる。
「エド?」
 それに気付いて声をかければ、いくらか逡巡した後、きゅ、と子供はロイの上着を掴んだ。遠慮がちに、ではあったが。
「……?」
「………しょうがないから」
「……?」
 ぼそぼそと言うエドの顔が、見る間に赤く染まっていく。なんだろう、と不思議に思っていれば、青年は予想もしていなかった言葉を聞かされることになる。
「…アルはオレよりしっかりしてるし」
「…?」
「しょうがないから。オレ」
 ちらり、と上目遣いにこちらを見上げて、子供は小さな声で言う。気持ち顔を青年の胸に寄せて。
「…ロイは寂しがりみたいだから」
「………」
「…いつもじゃないけど。いつもは無理だけど」
「……エド」
 子供の唇が、ふわりと紡いだ言葉に、青年は目を丸くする。

 ――そばにいてやる。

 そう、言われた。
「……………」
 しばらく言葉もなく、互いにまじまじと見詰め合っていたが、先に根を上げたのは告白した方だった。
 ばふ、と勢いよく青年の胸に顔を押しつけ、隠してしまったのである。ためらいがちに掴まっていた手は、いつかぎゅっと握られていた。
「――エド」
 そうして、しばし共に言葉もなく。
 それからようやく、青年が口を開いた。彼は静かに名前を呼んで、自分の胸に身をよじって抱きついた子の頭を何度も撫でる。
「…ありがとう」
 青年はくすぐったそうに笑うと、かみしめるように、礼を述べた。子供の耳元、悪戯を仕掛けるような調子ではあったけれど。



 錬金術の授業をただで受けて、衣食住も保証されていて(服は女物だったけれど)、夜はロイに錬金術の書物を読ませてもらったり、色々な話を聞かせてもらったりする。
 ――はからずも、エドにとっては願ったり叶ったりの生活だった。このままこんな日々が続けばいいのに、と思うくらいに。事実、エドはすっかり、そういう生活が続くものだとどこかで信じ切っていた。思い込みというのは恐ろしいものである。
 だが、そんなはずはなかった。
 そもそもなぜ女達が集められたのか?
 新皇帝のお后を集める為である。
 …つまり、お后修行の後には、后妃の選定が待っている。そのことがすっかりエドの意識からは抜け落ちていたのだ。
 無論、自分はどうせ選ばれるはずがない、という思いがあったのもある。何しろ彼は、どんなにそう見えなかったとしても本当は男なのだ。お后に選ばれても困る。
 …ちなみに、お后の選定というのは何も、その中からひとりの后を選ぶわけではなく、后の位を決めるという話で…、後宮に入った時点で既に彼は皇帝の宮女のひとりで、手がつく可能性がある――ということをわかってもいなかった。
 思い込みというのは、本当に恐ろしいものである。
 とはいえ確かに、それは可能性の話であって、貴族の娘や有力な後見をもつ娘が高い位を頂く后となるだろう、というのは常識であって、何もエドに著しく状況理解が欠けていた、とも言い切れない部分はある。
 あるのだが…。
 そもそも、錬金術に傾倒しているという変り種の皇帝である。そんな皇帝の后の選定が、普通とかけ離れていても何らおかしくはなかったのだ。
 つまりエドに欠けていたのは――、錬金術とはそんなに一般的な知識ではない、というかなり根本的な認識だったのだともいえる。

「――は?」
 エドは、告げられた内容にぽかんとした顔をして、それこそ口と目を大きく開いたどこか間の抜けた顔で問い返した。
「…いま、何て?」
「そなたは皇后に選ばれました。おめでとう、エド」

 …皇后?

 エドは考えた。それはもう必死で考えた。
「…あの」
「なんですか」
 世話係の女官は、厳しくはないがしかし優しくもない表情でエドの質問を許可する。
「…皇后って。…一番偉いお后様?」
「そうです。あなたは国母として選ばれたのです。…なぜかは私にも聞かないで頂戴ね。…これは陛下の御心です」

 ヘイカノミココロ。

 …それはなんだ。皇帝直々のお声がかりということか。
 エドの顔からさーっと血の気が引いた。なんだそれは。どういう嫌がらせだ。いや、そんなことを考えている場合ではない。さすがにそれは困る。何しろ、エドは女ではないのだ。いいところ個別の房も与えられず、後宮の細々した事をこなす女官あたりにされるだろうと思っていた。それならほとぼりが冷めた頃抜け出すのもたやすかろうと。
 が。
 皇后。皇后? 
国母ってったって、母になるのは絶対無理。太陽が西から昇るくらい無理。
 エドはそれこそ貧血を起こして倒れそうになりながら、今まで経験したことのない煩悶に飲み込まれていった。
 今更に、ああ、アルの言う通りだった…そんな簡単にはいかなかった…などと思っていたが、完全に後の祭りだった。

 とにもかくにも、こうして、エドはどういったわけだかわからないが、皇后に選ばれてしまったのである…。





 風呂や着替えを手伝われるのは断固拒否して、しかし化粧だのなんだのから逃れる事は出来ず、エドは、真新しい真っ白な夜着で包まれ、皇后に与えられた広い房の寝台の上、死刑宣告を待つ気分で固まっていた。
 ことここに至ってもなお、どうしたらいいのかわからない。
 まったくいい案が浮かばないのだ。これは大いに困ったことである。
「…皇帝をぶちのめして逃げる。とか。…いやでも、逃げられんのかな…。っていうか、逃げてもアルとかにとばっちり行きそうだし…」
 ぎゅっと膝のあたりをつかんで、どうしようどうしよう、と先ほどから、それこそ数刻は悩んでいるのだ。
 …と。
 かたり、と音がして、エドははっと顔を上げた。気のせいだろうか。いや、しかし…。
「陛下のおなりでございます」
 先触れの宦官の声に、エドはぎゅっと唇を噛み締め、悲壮な顔で入口を見つめた。返事はしない。求められてもいない。
 やがてゆっくりと入口が開いた。寝台の上、天井から吊るされた薄布の奥、エドは息を詰めてじっとしている。怖かったのだ。どうしたらいいのかわからず、…そしてやはり恐ろしかった。これからどうなってしまうのかと考えると、己の浅はかさをどれだけ呪っても足りない。
 入ってくるのは皇帝だ。当たり前である。彼はこの後宮の主。そして、後宮は彼のためだけに存在するのだから。

「…顔を」

 掛けられた声に――エドは、口から心臓が飛び出るんじゃないか、と思うくらいに驚いた。皇帝がやってきたからではない。
 ――聞き覚えのある声だったからだ。
「眠っているわけではあるまい?」
作品名:雲のように風のように 作家名:スサ