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雲のように風のように

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 からかうような言い方。けれど「彼」はやさしいのだと知っている。少なくともエドにはそうだった。
 でも、なぜ。彼が。
 エドは固まったまま、目を大きく見開いて、薄布の向こう近づいてくる人を凝視した。
 彼は慌てるでもなく歩み寄ってきて、薄布を掻き分けた。そして、笑う。
「やぁ。…元気だったか?」

 ――そこにいたのは、ロイだったのだ。


 寝台の隅で膝を抱え、恨めしげにこちらを睨み着けている子供に、ロイは何度目になるかわからない苦笑を浮かべた。
「…うそつき」
 口を尖らせ、エドは責める。しかしロイは嘘などついたことはない。ただ、自分の素性をきちんと言わなかっただけで。
「エド。いい加減機嫌を直してくれないか?」
「………うそつきと喋る口なんてねぇもん」
 ぷい、と彼はそっぽを向いた。
 ロイは困ったように目を細め、改めて今のエドの格好を見遣った。
「エド。…私達は夫婦なんだよ?」
 白い夜着。婚礼の為用意されたもの。エドが皇帝――ロイのものだ、という証。
「夫婦って!」
「そうだろう。私は皇帝で、君は皇后だ。まあ、選んだのは私だが」
「だからそれがわかんない! …もっと色々いるじゃん、貴族のお姫さんとか!」
 ロイは溜息をつき、それから、寝台にぎしりと膝を乗り上げた。するとエドはずりずりと奥へ下がる。逃げ場などどうせ初めからありはしないのだが…。
「…嘘なら、君もついているね」
 落とした声で、ロイは静かにつきつけた。途端、可哀相なくらいエドは顔をゆがめる。その顔を見ればロイも苦笑いするしかなかった。
「…いじめているような気持ちになる。…やめておくれ、そんな顔をするのは」
「………」
「知ってたよ。…君が男の子だってことくらい」
「………!」
 エドは大きな目を更に大きく見開いた。ロイはやさしげに目を細め、もう少し近づいた。
「…私は皇帝だ。だから妻を選ばなくてはならないし、妻と子孫繁栄のため励まなければならない。それが義務だからね」
「…………」
 意味はわかるが意図を測りかね、エドは眉間に皺を寄せる。
「だが、…私は本当は皇帝になりたかったわけじゃないし、…今でも錬金術のことを考えている方がはるかに楽しいんだ」
「………ほんとに?」
 ああ、とロイは頷く。そして幾分警戒心の緩んだエドの頭に手を伸ばして、くしゃり、と一度撫でる。
「だから君を皇后にした。…皇后のところに皇帝が入り浸るのはおかしなことじゃないだろう?そして私は、君のところへ公然と入り浸り、…後は何をしようと私の勝手だ。錬金術の話をしようと、…昼寝しようと」
 昼寝、という単語に、エドはきょとんとした顔をした。それから、ようやくあのいつもの無邪気な顔で笑う。
「ロイ昼寝するの?」
「ああ。私はどちらかというと不真面目な性質でね」
 肩を竦めて言うロイに、エドはようやく、抱き寄せていた膝を解いて近づいていく。
「…じゃあ。…怒らないのか?」
「何を」
「…オレ、…男だし…」
「ああ、そのことか。怒るわけがない。むしろ都合がいいくらいだよ」
「え?」
「女は面倒だからな…嫌いではないが、正直、そんなに寛げないんだよ。どの女性も皇帝に取り入ろうと必死だからね」
 それは後宮である以上当たり前なんだが、とロイは苦笑する。
「だからさ。エド。君を私の隣に選んだんだ。…私が寛ぎたいからね」
「……ふーん…」
 それに、とロイは笑った。ひどくやさしげな微笑だった。
「そばにいてくれる、と言ったじゃないか」
 エドは――、いつかの夜に自分が言ったその言葉を思い出し、あ、と小さな声を上げる。
「…言った…」
「だから、私も遠慮なく君をこの座につけたんだ。…いいだろう?」
「……うん、まあ…いいけどさ…。…でも、それこそ他の女の人のとこ行かないとまずいんじゃないのか?」
 エドは一応納得したようだったが、それでもそこだけは、と尋ねてみた。錬金術の授業以外はほとんど寝ているか聞いていないかの彼だが、さすがにここが何のための場所か位は存じている。しかし…。
「君は私といたくないのか?」
 眉を顰め、どことなく情けない顔でロイに言われ、エドは思わず否定してしまう。
「はっ? …そういうんじゃないけど…だってまずいだろ」
「いいよ、そんなすぐには。…昼間は政務で神経をすり減らしてるんだから、夜くらいゆっくり休みたいじゃないか」
 いささか身勝手なようなロイの言い分に、エドは呆れ混じりの溜息をこぼした。
「…あほか。それが皇帝の仕事じゃないか。わがままいうな」
 そしていっそ小気味よく言い放つ。
「真面目に仕事しろよ」
 この反応に――ロイは、いよいよ楽しそうに笑ったものである。

 ちなみに、エドは知らない。
 ロイが、我が娘を皇后にとうるさくたかってくる重臣達をぴしゃりとはねつけて「最初に抱く女くらい私に選ばせろ」と嘯いたことなど。
 どの口が言うか、といったところだが、…幸いにして、後宮にまではその話は伝わってきていなかった。




 宣言した通り、ロイは、エドのところに入り浸っては、高尚だが一般人からしたら実に下らないであろう錬金術の話をしたり、菓子を食って昼寝したり、夜は夜で大量に飯を食ったり室内遊戯をしたりとそれはそれは後宮の存在意義を無視したことを繰り返していた。 
 皇帝が入り浸るのはともかく、やはり子作りが皇帝の急務である。何しろ後継者がいないのでは色々と困る。なので、世話役やら何やらが皇帝にそれとなく「皇后はまだ身ごもる兆しもないので他の女のところへも通われては」と勧めたりもしたのだが、そのうちな、とロイははぐらかすばかりだった。
 あんな発育不全の子供のどこがいいのかね、と陰口を叩かれつつも、やはりどこ吹く風だった。
「…なあ」
「ん?」
 盤上の駒を睨みながら、エドは口を開いた。ロイも一応の返事をする。
「あんたさあ。いい加減ほんと、他の人の所行った方がいいと思うんだけど。…っと、王手」
「む、そこは難しい所にきたな…待った」
「待ったなし」
「じゃあ…こうだ」
「あっ、…えっ? ま、待った!」
「待ったなし、だろう? …なんだ、また誰かに泣きつかれたか?」
 ロイは顔を上げ、真剣に盤を見つめているエドに苦笑した。
 …以前、いつだったか。皇后が寵愛を独り占めするのは如何なものか、と貴妃だか佳人だったか、とにかく位は覚えていないが誰だかが乗り込んできたのだそうだ。まあエドとしては、自分は男だし、ロイといても子供なんてそもそも出来るわけがない。どころかこうして遊んでばかりいるのだ。申し訳ない気持ちになったのだという。

『な。あんた、ちょっと他の人の所に行けって』

 初めにそう言われた時、ロイはかなり驚いたものだった。そしてその経緯を聞いて、…呆れてしまった。その女性の行動にというより、自分の態度にだ。
 だが、それでも当分、エドと過ごす時間を諦めるつもりは彼にはなかった。
 エドといるのは楽しかったし、…それに、他の女をエドほどに気に入るとも思えなかったのだ。
「…そういうんじゃないけど…」
 つられて顔を上げたエドは、情けない様子で眉根を寄せた。
 …これだ。
作品名:雲のように風のように 作家名:スサ