For the future !
直後、遙には戸惑いしか無かった。
凛がなにを言ったのか、わからなかった。
予想外すぎた。
少しして意味を頭が認識して、でも、凛の口からどうしてそんな言葉が出てきたのか理解できなかった。
恋愛スキャンダルって、なんだ。
ぼうぜんとする遙の顔を眺めて凛は一瞬つらそうな表情になり、それから、ふたたび口を開いた。
「夜、仕事のあとに食事に行くことになって、その中のひとりと帰る方向が一緒だからって同じタクシーに乗った。で、その相手が、酒、飲みすぎて、フラフラで、ちゃんと歩けねぇみてーだったから、彼女のマンションの近くで俺もタクシーをおりて、部屋まで送って行ったんだ。送って行っただけで、部屋にあがったとかはしてねぇ。俺は待ってもらってたタクシーにもどって、帰った。だが、俺が彼女を抱きかかえるようにして彼女のマンションに入ってったとこ、写真に撮られてたみたいで、その写真が掲載されるそうだ」
「……それはいつの話だ」
仕事のあとに食事。
過去の記憶に引っかかるものがあった。
「インカレの合宿中の夜、おまえが大学に来た日の話か。送ったあとに来たのか」
もしそうなら凛の言うとおり飲みすぎた相手を部屋まで送っただけだと思える。
しかし。
「いや、それとは別の日だ」
凛は否定した。
別の日。
インカレに向けての合宿中、凛は毎日のように遙の携帯電話に連絡をとってきた。
だが、毎晩ではなかった。
夜に電話をかけてこない日もあった。
そのとき凛がなにをしていたかなんて、わからない。
だいたい、仕事のあとに食事に行き、さらにそのあとタクシーに女性と一緒に乗って、その女性を部屋まで送ったのも、今、初めて知った。もちろん、行動すべてを把握したいわけじゃない。こんなふうなことにならなければ、別に遙は気にしなかったし、凛が話す必要はなかった。
「本当に送って行っただけだ」
強い調子で凛は言う。
「フラフラで歩けねー相手、女じゃなくたって、道に置き去りにはできねぇだろ」
凛は訴えるような眼を遙に向けている。
そして、その手を伸ばした。
遙のほうへ。
凛の手が遙の腕をつかむ。
遙の身体は動いた。
凛の手を振り払い、少し後じさる。
信じられない、といった様子で凛は眼を大きく開いて遙を見る。
遙は口を開く。
「おまえは、俺に触れるようにその相手に触れたのか。俺にするのと同じようなことをしたのか」
そして、凛に告げる。
「その手で俺に触れるな。気持ち悪い」
口から出ていったのは、本心だ。
本心でも言うべきことではなかったかもしれないが、それはあとから思うことであって、口を開いた時点では止めることができなかった。
さっき凛に触れられた瞬間、この手は自分に触れるようにだれかに触れたのかもしれないと、その想像が頭に浮かんで、その想像に支配されたようになった。本当に気持ち悪くなった。
自分とするようにだれかと性的な交わりをしたのなら、もう自分に触れてほしくない。
その気持ちを言わずにはいられなかった。
「だから、部屋まで送っただけだって言ってるだろ!」
凛は声を荒げた。
「それ以上のことはなんにもしてねぇ! 部屋にあがってもいねーんだよ!」
だが、遙は黙っている。
凛は悔しそうに口を引き結び歯を食いしばった。
それから、遙を見据えて、言う。
「おまえは俺を信じねぇのか!?」
その切りつけてくるかのような強い眼差しを受け止め、それでも遙は黙ったままでいた。
わからないのだ。
凛が一緒にタクシーに乗った相手を送っただけなのかどうか、わからない。
わからないから、悪い想像が頭に浮かんできて、嫌な気分が胸に広がっていく。
それを抑えることができなくて、心も身体も凛を拒否する。
遙は眼を凛からそらした。
「クソッ!」
そう凛が吐き捨てる声が聞こえてきた。
続けて、凛が身をひるがえしたのを感じた。
凛が去って行く。やがて、乱暴にドアを開け閉めして、部屋から出て行った。
遙は部屋に立ちつくしていた。
部屋の中は薄暗い。ほとんどの灯りを消していた。
もう夜遅い時刻だ。
遙はベッドに身を横たえていた。眼も閉じている。しかし、眠ってはいない。
早寝早起きの習慣があるし、それに今はなにも考えたくなくて、眠ってしまいたいのだが、眠れない。
隣にある凛のベッドのほうに背を向ける格好で寝ている。
凛はいない。部屋を出て行ったきり、まだもどってきていない。
ここにいない相手のことを、つい考えてしまう。
これまでに凛に言われたことを思い出した。凛がしたことを思い出した。
好きだと言われたこととか、そういったことを思い出した。
嬉しかった思い出。
その思い出に、悪い想像が重なってくる。
凛が部屋まで送って行ったという彼女にも、相手が喜ぶようなことを言ったのだろうか。耳の近くで甘くささやき、相手に触れ、口づけ、そして、それ以上のこともしたのだろうか。
自分がされて嬉しかったことが、悪い想像に上書きされていく。
本当はなにも考えたくないのに。
悪い想像をしたくなんかないのに。
どうしてこんなふうに嫌な気分にならないといけないのだろうか。どうして悩まなければならないのだろうか。
ふと。
ドアが開閉された音がした。
凛が帰ってきたのだろう。
遙は動かない。眼を閉じたままでいる。
かすかな足音。
近づいてくる。
その音が止まった。
隣のベッドに行く音は聞こえてこない。
凛が自分を見おろしている気がする。
遙は動かず、眠っているふりを続ける。
今、凛と話したくない。
だから、話しかけられたくない。
話したところで事実がどうなのかは結局わからないだろうし、嫌な気分が強まるだけな気がした。
自分の気持ちが自分ではどうにもならない。
嫌な言葉を凛にぶつけてしまいそうだ。言いたくない言葉が口から出ていってしまいそうだ。
今、話すのは無理だ。
しばらくして、隣のベッドへ行く音が聞こえてきた。
遙は少しほっとした。
早く眠ってしまいたいと思う。
作品名:For the future ! 作家名:hujio