二階堂千鶴とゆかいなコロッケたち
滑り台の滑る側が空に向かって伸びているようだ。メスムンバンカ様と崇め奉られた二階堂千鶴は、どこまでも続いている坂道を見上げて呆然としていた。
「どうしたの?」
後ろから歩いてきた案内役に追い越された。左だけ長い前髪を髪留め止めている儚げな女の子のクロケットだ。
「いえ、貴方を待っていただけですわ。道案内、よろしくお願いしますわ」
女の子は道を見上げてから、千鶴を見下ろす。
「いけばわかるさ?」
「なんでわたくしにきくんですか……」
ソースクロケット人からソースを使わないで良いと思わせる方法。
国王から頼まれたのは、霊山・貴伊山の頂きに咲くという伝説のコロッケを見つけ出して食べることだった。そうすることでソースを取り上げられる、とだけ教えられたのだった。
色々とつっこみたい所はあったがキリがないと悟った千鶴は、とりあえず登った。
それから数分後。景色が何も変わらない。
「ぜえ、ぜえ。全然頂上が見えませんわ。ホントに進んでいるのかしら」
「あと5時間くらい?」
後ろからついてくる女の子が小さく言う。めまいがした。
「ライブだって精々3時間ですわよ。5時間は無茶、無理、無謀、現実的ではありませんわ。皆様の太ももはパンパンになって、腰が立たなくなってしまい、ライブどころではなくなってしまいますもの」
近くの木の幹にふらふらと腰をつくと、途端に身体が重くなった。
「そういえば朝から何も食べていなかったのでした……食べた、い」
ジューシーな肉の断面から透明な汁が滴り落ちていく。きつね色の衣から穏やかに白い湯気がゆらめいていた。
突然出現したコロッケの切れ端に千鶴は食いついた。その瞬間、瞳が☆に輝いた。
「ほぉいひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
細胞の一つ一つまでコロッケの旨味が染み渡っていく。一口で食べ終わってしまう量だったが、それでも十分な美味しさと満足感を与えてくる。
ニコニコの笑顔でもぐもぐもぐもぐ。ごっくんと飲み込むと、信じられないほど身体が軽くなって表情に覇気が戻った。テッカテカだ。
「う、うっひょ〜〜〜〜ですわ〜〜〜〜! か、身体のそこから力が溢れ出してきますわぁ〜〜〜〜! 元気100倍、いえ、元気10000倍! 勝てる! これなら5時間のライブに勝てますわ! おーっほっほっほ! おーーーーっほっほっほっほっほ! ンノお〜〜〜〜〜お?」
ふと我にかえった。
(そういえば出てきたコロッケの先に、白い手があったような……)
そっと目を移す。佇んでいるコロッケの顔の部分に風穴が開いていた。
「いやぁああ!! だだだだだ大丈夫?! 誰がこんな事をってわたくしか〜〜〜〜! わたくしでしたわ〜〜!」
ジューシーな肉汁がこんこんと湧き出し、足元の土が油を含んで黒ずんでいた。千鶴が食べたのは、完全に女の子クロケットの欠片だった。
「肉汁がこんなに溢れだしてこのままじゃこの子死っ――ぬの?」
「おいしかった?」
抱えていた頭を下ろした。それは女の子の声だった。彼女を通して向こう側の景色が見えるが様子に変わりはない。空洞から溢れ出ている肉汁も止まっていた。
「すごく美味でしたけれども……もしかして、わたくしのために?」
コクリと頷く。
「これが私の仕事だから。メスムンバンカ様を安全に頂上まで送り届けるのが私の使命」
何かを諦めているような、達観した口ぶりだった。それは千鶴にも伝わっていた。
「そう。それならば」
千鶴はおもむろにワンピースの裾を掴むと、思い切りひっぱって破いた。唖然としている女の子の風穴に布を巻きつけて塞いだ。
「そ、その服、お高いんじゃ……シャネルってやつだから」
「いいのです。こんなのまたバーゲじゃなくてセレブなお店へ行けばたんまり買えるのですから。代わりはあります。でも、」
驚き慌てる女の子に、千鶴は優しく笑いかけた。
「この『仕事』を達成するには、貴方の力が欠かせないのですわ」
ゴージャスな髪を翻して、千鶴は坂を見上げた。今から五時間……気が遠くなりそうな気持ちを胸を三回叩いて奮い立たせた。
「うだうだ考えていてもしょーがありませんわ! いきますわよ! わたくしについてきなさい、ってちょっと!? 無視してどこへ行くんですか!」
「……ついてきて」
あさっての方向に歩き出した女の子は呼び止めても無駄だった。首をかしげて後を追うと、林を抜けて、開けた場所にでる。広場の真ん中には、軽自動車くらいの大きさのある鉄のコロッケが佇んでいた。
女の子はそのコロッケの表面に手のひらをつけると、重々しく扉が開く。中は二人掛けのシートが向かい合わせになっている空間が。
「のって」
片方に腰掛けて女の子が呼ぶ。千鶴はこれが何なのか答えがでないまま、恐る恐る対面のシートへ腰掛けた。
ガタンと世界がゆれた。
窓から見える風景が下へ潜り込んでいく。優雅なひとときだ。窓枠に肘をついて、緩やかな揺れに身を委ねる。ころもの紅葉が鮮やかで、美しい。
千鶴は気づいた。
「ロープウェイ、あったんですね」
「観光地?」
「おみやげ買って帰ろうかしら」
「ホントは……ダメ」
「ん? ロープウェイがですか? もしかして、歩かないと伝説のコロッケが現れないとかそういう過程が?」
無言が降りる。触れてはいけないことだったようだ。
「二人きりになりたかったの」ポツリと口を開く女の子。
「ずっと二人だったでしょう」
「……会いたい人がいるの。でもソースさんたちと仲良くならないと、ダメなの」
話が見えない。と、
「お願い! メスムンバンカ様」
何かを決心したように、女の子が身を乗り出した。
「伝説のコロッケは食べないで。あれを食べちゃうと、私たちは――」
突然、ゴンドラが激しい衝撃を食らって激しく揺れる。まるで話を遮るように。
無防備な千鶴の身体が揺さぶられてドアに衝突してしまう。あっけないほどに簡単に開いた。
「え? まって、まって!」
空を泳ごうと必死に肢体を動かす。平泳ぎ、クロール、バタフライ。そして足を組んでセレブなポーズ。
「ダメですわ」
落下した。
メスムンバンカ様!!
悲痛な叫びを後にして地表に向かって落ちていく。
それなのに千鶴は余裕だった。
「うん、きっとこれは夢ですわ。おかしいと思っていました。あまりにも普通に存在しているから勘違いしてしまいしたが、コロッケがしゃべるわけありませんものね。そうですわ、目をつむればいつもの見慣れた天井が」
まぶたを閉じて。まぶたを開けた。
空は白くお皿のようで、水平線は薄い緑のキャベツのようだ。
「おーーーーっほっほっほっほ!!」
高笑いがキマった。それで千鶴は悟ってしまった。
咳き込まないで笑えてしまうと、良くないことが起きる前触れなのだと。
「きゃぁあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! いやいやいやいやぁああ! まだ21なのにィ!! まだ全然セレブじゃな、セレブを満喫したかったのに! シャネルとかグッチとかマックミランとか三ツ星レストランでバイキングしてシャンペンスーパーノバ〜〜〜〜してみたかったのに〜〜〜〜!!」
作品名:二階堂千鶴とゆかいなコロッケたち 作家名:誕生日おめでとう小説