敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
「ふむ」と言った。「『応えられない』と言ったならそれが答になってしまうな」
「〈イスカンダル〉――おそらく、その言葉こそ、この戦争を終わらせるヒントなのに違いない。サーシャは謎を解く手がかりをくれたのですよ。これは〈ゴルディオンの結び目〉だ。案ぜずとも、〈彼女〉は必ず〈コア〉を持って戻ってきますよ。地球人類を救けるのには裏の理由があるのでしょうが、だからこそいま見捨てはしない。〈彼女〉は決して、人類を試しているわけではないと思います。『この試練をくぐり抜けてみせよ』と言っているのだと……わたしにはそう思えます」
「ふむ……」
と言った。意味は同じなようでも違う。『鉄の斧を自分で掴む道を示す』と言うことか。やはり……と思った。察しているな。この男は、わたしがしてしまったことを……わたしひとりだけの責任ではないと言え、そんなものは言い訳にならない。わたしはいま、この沖田に手をついて謝らねばいけないのだと藤堂は思った。本当はそうしなければならないのだ。『鉄の斧』と応えるべきを『金銀』と言った。〈コア〉がなければ〈ヤマト〉はまさに、折れ錆び付いて役に立つことのない鉄の斧。そうだ。わたしはこのときに、沖田をその傾いた床に立たせていたのだった。沖田はわたしがサーシャは戻って来ぬのではないかと気を揉んでいるのを知っていた。
「〈イスカンダル〉の名前には〈天竺〉という意味も確かにあるに違いない」沖田は言った。「だから、わしは行きますよ。古代守が行くと言った〈アルカディア〉にわしは行く……そこには地球人類が読むべき〈経(きょう)〉があるのだと、そう信じるから行くのです。この旅はわたしの命を奪う旅になるかもしれない。マゼランのように途中で死ぬことになるかもしれない。だが、ともかくあの男は、世界の西と東を繋ぐ偉業は果たした。わしも人類を救わぬ限り死にはしない、絶対に……そのために、たとえ後で鬼と呼ばれることになろうと……」
「沖田……」
「太平洋では辻もマゼランも悪魔と呼ばれ、どちらも母国で嫌われ者だ。わしもすでに卑怯者と呼ばれています」沖田は言った。「味方を見捨て自分だけオメオメ逃げてきた男だと――わしは敵の基地を前にして逃げました。かつての堀井と同じように。古代が行くと言っているのにだ。わしは共に行かずに逃げた……」
「しかし……」
「ええ。サーシャには会いました。ですがそれは結果論です。あの帰り路でわしはずっと、古代と共に行くべきだった、なぜそうしなかったのだと、そればかりを考えていました。わしの選択はニューギニアの戦場で堀井がした選択と同じだ。堀井は基地を前にして、闘うことなく退いて逃げた。『命令に従う』などと言い訳をして――だが、それは違う。その男は指揮官としての裁量権を捨てたのだ。あんなところまで行きながら……どうしてそこで『もう少しだ』と意地を見せられなかったのか。ココダ山道の全滅は、最初の玉砕でありながら玉砕に数えられていない。ただオメオメと逃げながらの犬死にであるため、なかったことにされてしまった。これではそれこそ、死んだ者が浮かばれない……」
「昭和のスタンレー山脈越えは、そもそもすべてが誤りだったのだ。〈メ号作戦〉の君とは話が違うと思うが」
「ええ。しかしそれでもです。ルーズベルトが何を企んでいたものか、軍人がわからぬようでは話にならない。辻以外にひとりもサムライがいなかったのか……サーシャに会って逆にわしは考えました。あのとき死ぬべきだったのは、古代ではなくわしの方であったのだと……そうすれば、この〈ヤマト〉に乗るのはあいつになっていただろうと。古代守こそがマゼランへ行くにふさわしい男でした。これがアレキサンダーの旅なら〈ゴルディオンの結び目〉をまずは解かなければならない。だがあのとき逃げたわしに、それが果たしてできるのか……」
「ゴルディオン?」
藤堂は言った。正直に言ってこのときに沖田が何を言っているのかわからなかった。アレキサンダーと〈結び目〉の伝承ならば知っている。かの大王の遠征における〈東〉への入口の街がゴルディオン。『触れるものすべてを黄金に変えた』と言われるミダス王の都(みやこ)だった。街の神殿にはミダスが納めた戦闘馬車が縄で繋ぎ止めてあり、その結び目は複雑にこんがり合わされ、ほどきようもなく見えた。
それが〈ゴルディオンの結び目〉だ。『縄を解きほどいた者はアジアの支配者になる』と預言がされていた。アレキサンダーはこれに挑んで見事に解いた。それは歴史の事実と言うが、しかしどう解いたのか、ふたつの異なる話が伝えられている。ある伝承では、アレキサンダーは剣を抜き、結び目を一刀のもとに断ち斬ったのであると言う。もうひとつの伝承は、留め釘をただ一本引き抜いたならスルスルとすべてがほどけ落ちたのだと述べている。いずれにしても、その夜に神は雷鳴を轟かせ、アレキサンダーの解答を認めた。〈東〉への道が開かれたのだ。
〈天竺〉への――沖田は言った。「アレキサンダーにとってインドは〈東〉。三蔵法師は〈西〉に旅してインドへ行った。マゼランは南の果ての海峡から〈北〉へ向かってインドを目指し、わしは〈ヤマト〉で〈南〉にある〈宇宙の天竺〉へ行かねばならない。わしは三蔵法師にはなれても、孫悟空にはなれないでしょう。この旅にはどうしても、〈主役〉になる者が要ります」
「それが〈ゼロ〉のパイロット、〈アルファー・ワン〉だと言うのかね? 坂井や他の誰でもダメだと?」
「いいえ。決してそういうわけではないのですが……ですから、それが〈ゴルディオンの結び目〉なのですよ。わしにはどうも解ける気がしない」
「ふむ」
と言った。そのときは、沖田も不安なのだろうとだけ考えた。サーシャが戻ってくれるかどうか、自分が不安でたまらないのと同じように――と、ちょうどそのときだった。懸念が最悪と思えるような意外な形で的中したのは。
〈サーシャの船〉が太陽系に戻ってくるには来たのだが、ガミラスに見つかり追われていると言う。付近に地球のどんな戦闘艦艇もなく、救いになど行きようがない。
その報せを聞いたとき、もはやすべてが終わったと思った。沖田も共に同じ話を聞いていた。が、その後だ。さらに意外と言うしかない別の報告が届いたのは。よりによって七四式軽輸送機のパイロットが、敵追撃機を全機墜としてサーシャの脱出カプセルを回収した。サーシャ自身は死んでいたが、〈コア〉は確保――。
「〈がんもどき〉だと?」
と、そのときに藤堂は言った。何をバカな。きっとどこかで情報が間違ったのに違いない。〈47〉が〈74〉にひっくり返ったとか、そんな……〈七四式〉と言えば武装もないオンボロ・グーニーバードだろうが。操縦士も機種同様に『がんもどき』と呼ばれる役立たずパイロットだ。軍人として使いものにならないが降格する理由もないため万年二尉の名ばかり士官の階級を与えて軽トラ乗りをさせておく。自分の〈隊〉はそのオンボロ一機だけ、自分の〈部下〉はポンコツロボット一体だけ――そんなやつがいきなり出会った敵を墜とす?
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之