敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
老いた者から
「事は一対一だとか、十対一とかいうことじゃないだろう」
と島が言う。〈ヤマト〉中央航法室だ。
「百対一の話だというのをみんな忘れてないか? 冥王星にはガミラス艦が百隻いて、〈ヤマト〉が行けばワッと出てくるに決まってる。何度も言ってることじゃないか。みんな何を期待してんだ。おれが船をうまく操りゃ、その百隻と渡り合えるとでも思ってんのか」
「まあねえ」
と太田が応える。3Dのマトリックス画に映される〈南天〉の図に線をあれこれと引いていた。航海組ではすでに太陽系を出る航路の選定にかかっている。
「戦うより〈南〉に向かうのを考えるべき。ぼくもそうは思うけど……」
「なんだよ」
と言った。大マゼランは〈南〉にある――地球から見ればの話だが、太陽系を出てマゼランへ進路を取ることを航海部員はいつからか〈南へ向かう〉と呼ぶようになった。地球で北極点に立ち、真上を見上げてあるのがポラリス――北極星だ。対して夜の南極で、空の高くを見上げて探すとボンヤリと小さな雲のようにあるのがマゼラン――〈ヤマト〉が行くべき星の雲は、〈南の宇宙〉にあるのだった。
大マゼラン星雲は、〈天の南極〉の星雲だ。ゆえに、ひとたびその方角に進路を向けて太陽系を出たならば、振り返っても決して地球の北半球は見れなくなる。もしも百万光年先から母なる地球がはっきり見える望遠鏡があったとしても、それを覗いて見えるのは半月型の南半球だ。地球の南が夏なら太り、冬には少し痩せるけれど、真ん中の弦に半分食われてあるのは南極大陸。そのようにしか見えはしない。コスモクリーナーを持って戻らない限り、決して北半球を――そこにある日本列島を――また目にすることはない。
だから〈赤道を越える〉とも、誰からともなく言い始めた。北半球を故郷とし家族を残す者にとって、太陽系を出ることはまさに赤道を越えること。そのように言っておかしくはない。
イスカンダルへ行くのなら、早く〈南〉へ向かうべき。なのに〈ヤマト〉は地球の黄道(こうどう)――惑星が並んでまわる面上にいて、西へ東へさまよっている。まだ〈赤道を越え〉られない――航海組のクルーにとって、これは到底我慢のならない話だった。
「だいたいな、〈ヤマト〉は敵に十対一で勝てるように造ったなんて言うけどな」と島はまた言った。「タイタンではどうだったよ。駆逐艦を二隻ばかりそりゃ確かに沈めはしたよ。けれどもそれが精一杯だったじゃないか。敵がやって来る前に試射で砲が過熱してたと。でもそれだけじゃないだろう。駆逐艦どもは〈ヤマト〉に近づけば命がないのをわかってたから遠くから爆雷を撒いてきた。そうして網を張られた後は、もう手出しできなかった。だから二隻を殺っておしまいだったんだ」
「うん、確かに」
「敵はバカじゃない。テレビゲームの標的みたいに闇雲に向かってくるだけならば、百隻いたってまあ怖くはないだろうさ。だがタイタンで敵は駆逐艦隊に爆雷の網を張らせておいて、〈ヤマト〉を閉じ込めて戦艦が有利に戦える状況を作ろうとした。もしあのまま戦ってたら、主砲がまだ撃てたとしても〈ヤマト〉は殺られちまってたんだ」
「そうだろうけど」
「タイタンでは網をくぐってなんとか逃げることができた。けど次は〈スタンレー〉だぞ。どうする、太田。百の敵に囲まれても、お前なら逃げ道を見つけられるか」
「それを言われるときついけど……」
と太田が言う。タイタンで敵の包囲網を抜ける道を見つけたのは沖田だが、それに従って脱出路を計算したのはこの航海長だった。だがあのときは、敵にしても、〈ヤマト〉を完全に取り囲むほどの余裕は元々なかった。
けれども次は敵の本拠地。最初から張り巡らされた防衛網に自(みずか)ら飛び込めと言われたら。
航海士として、その船頭はやりかねるというのがやはり内心のところだろう。まして〈ヤマト〉は戦うための船ではない。イスカンダルからコスモクリーナーを持ち帰るための船なのだ。その任務を優先し、〈赤道を越え〉て〈南に向か〉う。太陽系を出るための航路算出。今はそれに努めるのが彼の仕事のはずだった。しかし太田は言った。
「ぼくの父さん、帰る頃にはたぶん死んでると思います」
「え?」
「癌でね。やっぱり、放射能のせいですよ。あと半年か、一年かという話ですけど。でも進行が早まったら……」
「いや……」
「だからまあ、死ぬのはしょうがないとしても、なんとかね。コスモクリーナーを持ち帰って、『やったぞ』と親父に言ってやりたいんだけど。死ぬ前に、人類が滅亡を免れるのを見せてやりたいんですが……」
「なんだよ」と言った。「なら、それこそ、早く行かなきゃいけないじゃないか。早く戻れば親の死に目に間に合うかもしれないんだろ? 『おれはやった』と言ってやれるかもしれないんだろ? ならそう思えよ!」
「わかってますけど」
「だったらさ」
「でも、だからこそ、〈スタンレー〉をこのままにして赤道越えていいのかと思って……もし遊星が止められたら、親父の癌の進行も少しは……」
「おい、いいか。いま遊星を止めたところで、地下都市の水の汚染を止めることにはならないんだぞ。お前の親が飲む水の汚染はどんどん濃くなっていくんだ。体にはそれがどんどん溜まっていくんだ。お前の母親の体にもだ! だからただ一日も早くコスモクリーナーを持ち帰って……」
「わかってます。わかってますけど」
「わかってるならなんだよ。おれがわかんねえよ」
「だから、希望の話ですよ。もし遊星が止められたら、もしガミラスを追い出せたら、親父はそれを希望にして〈ヤマト〉を待てるんじゃないかって。そうすりゃ、癌の進行も少しは……」
「それは……」
と言った。〈ヤマト〉は何よりまず子供を救うためマゼランへの旅に出た。一日遅れれば十万人の子供が死に、百万人の女が子を産めなくなると言って出た。だから旅を急がなければいけないのだと……だが、地球で先に倒れて死んでいくのはまず年老いた者からだ。コスモクリーナーを持ち帰り水を浄化したとしてもそれはあまり変わらない。高齢者は数年のうちに大半が死ぬことになる。
太田だけのことではない。クルーの中に、〈ヤマト〉が帰る頃には親は死んでいるかもと宣告されている者は多くいるだろう。たとえどれだけ急ごうと、この点に関して望みはほとんどないのだ。
「わかりませんけどね。どっちにしても、親父は半年の命かもしれない。〈スタンレー〉の攻略なんて、とても〈ヤマト〉一隻でできることとも思えないし。タイタンと違うのは……」
と、太田は太陽系の図を見て言った。星にはそれぞれ重力の強さを示す表示が添えられている。
宇宙空間に天体があれば、それが持つ重力がまわりの空間を歪ませて目に見えない〈場〉を作る。見えはしないが、たとえて言えば、アリジゴクの巣のような万物を引き込む重力の罠だ。近づくものは星に落ちるか、その天体の衛星となってまわりをまわることになる。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之